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毎月の海外出張でハーバード大MBA講義まで

Telecom91の後、千本氏の海外出張に同行することが多くなった。

専務の出張の第一目的は、最先端の情報収集。いきおい大手通信会社のVIP訪問が多くなる。フランステレコム、ドイチェテレコム、ブリティッシュテレコム、アメリカは長距離のAT&Tだけでなく地域のベル会社(サザンベルとかUSウエストとか) 民営化の状況、ISDNやパケット通信網、携帯電話の前身のCT2(発信専用)など次なる時代を切り拓く技術を実験している場所を見に行き、日本の新しいシステム構築の参考にした。

ベンダーも多かった。日本の通信はNTTの独占だったから、すべての日本の通信メーカーはNTTの調達メーカーなので、NTTの仕様にあわせて作っている。日本のメーカーに頼んでも、NTTとと同じなので差別化できない。NTTが開示をこばめば技術的に劣ったものが半年以上遅れて届くだけ。これでは勝負にならない。だから、第二電電はすべての技術を海外に求めた。

交換機はダラス本社のDSC(Digital Switch Corporation)、携帯はシカゴ本社のモトローラ。PHSのメインチップはシリコンバレーのベンチャーPCSIやクワルコムなど。通信業界は変化が速いので、このうち残っているのはどこだろう。

先方の秘書とやり取りをしてスケジュールを設定する。インターネットもメールもないので、英文レターのファックス。専務の秘書は英語ができないので、海外出張は私がすべて窓口になる。毎月のように2週間程度の出張に出るので、帰国後もその後処理と次の準備に追われ、あっという間に次の出発日になる。

専務はせっかちで待たされることが嫌いだ。専務は身軽で荷物を預けない。お付きの私のスーツケースが出てくるのを待ってもらうわけにもいかないので、すべての荷物は機内持ち込み。私はすべての資料を持つのでそれだけでかなりの荷物。私物を制限するため、スーツの着替えなしで、下着はホテルで毎晩洗い、化粧品などは小さく詰め替えた。今でも荷物が少ないのはそのときのトレーニングがきいているのかもしれない(笑)飛行機は隣に座ることもあったが、専務がファーストだったりすると離れて座ることになるので、ビジネスでも一番前の席を事前に確保したり、気をつけることが多かった。

それにしても、色々なところに連れて行っていただいた。DDIの成功が知られてきて、国際会議やMBAの講義に呼ばれることも増えた。

南仏のモンペリエ大学での国際学会のディナーは素晴らしい古城。フランス人は飲食とおしゃべりを楽しむので、スケジュールなんてあってなきがごとく。カクテル飲みながら2時間もしゃべってる。やっとディナーが始まってフルコースが終わるころには夜中。朝型でお酒も飲まれない専務の機嫌が悪くなっていくのが怖い。しかし、この古城までバスで連れてこられてしまったし、町中からかなり遠そうで、タクシーも呼べない。こういうときは、飲んでしまうに限る。「美紀ちゃんは呑兵衛だなあ」と何度言われたことか。

次の日はドイツテレコム会長とのミーティング。アウトバーンを200キロ超で飛ばす会長自らの運転でオフィスへ。ミーティングの後にランチに行こうとタクシーを呼んだ。10分ほど話が長引き、下に降りるとタクシーがいない。まだ来てないかと連絡すると、5分待ったけど来なかったので帰ったという。ドイツテレコムの人は、それを当然のことと受け止めている。昨日のフランスで2時間以上遅れても平然と食事を続ける姿を思い出し、唖然とした。隣国だってこれだけ違うのだ。異文化コミュニケーションのむずかしさは体験してこそ身に染みる。

最大のハイライトは、ハーバードのビジネススクールでの講義だっただろうか。第二電電の成功に感銘したMBAコースの教授がケースに書いてくれた。その教授の要望に応えるために、社内中の資料を集めて英訳して送った。完成後の記念講義に招待された専務のお供で、わたしもハーバードの講義を後方で聞かせていただいた。写真の日付が92年9月とあるから、テレコム91からわずか1年。日本で「ハーバード白熱教室」がはやるのはそれからずいぶん後になる。

ハーバードの緑のキャンパスは美しかった。ピッツバーグのカーネギーメロン大やボストンのMITなど色々なところで講義をして、ゲストルームにも案内してもらったが、ハーバードは別格だった。それから四半世紀後に英国ケンブリッジ大学を訪問したが、そこの古いカレッジに雰囲気が似ている。

「ビジネスのピークを過ぎたら大学で教えるのも悪くないな」専務も感慨深く言う。退社した専務が第二の道で大学教授の職を選ぶことも、その背中を追うように、私自身が学位を取得して大学教員になることになるとは。しかし、本音の言葉はどこかに残っているのだろう。

昔話ではこれを予言とか予告という。『いばらひめ』の冒頭で「この子が16歳になるとき、つむに刺されて100年の眠りにつくであろう」という呪いは、その後の物語の中で現実となる。呪いの言葉は、その後のプロットを誘導する。

私たちの人生も、それぞれの物語である。(これは河合隼雄先生がよくおっしゃっていたこと)後から振り返ると、自分の行動を誘引した言葉が見つかるものである。呪文のように。


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