講談は声の文化の原点?

昨晩、神田京子さんの講談会に行ってきました。
「任侠マンデー」清水の次郎長伝の生い立ち編。いやー、やっぱり生はいいですね。しかも昨晩は30人程度の狭い会場とあって、前から2列目、かぶりつきで見ました。
もう、うなずいたり、笑ったり、ずっこけたり、話芸だけでこんなに楽しいものかと、講談のよさを改めて感じています。

特に最後に京子さんがやってくれたのが「いざ鎌倉」の『鉢の木』、EMS落語部で京子さんが直接指導してくださった演目だけに、内容や言葉も頭に入っているから、もう嬉しくて嬉しくて
ああ、小さい子が、大好きな絵本を何度も何度も繰り返し読んでもらう喜びってこれだよな~ と思ったりしました。

石井桃子が編集長をしていた「岩波の子どもの本」シリーズの時代について鳥越信先生にインタビューに行ったとき、「当時は講談本が人気だったし、巌谷小波もラジオやってた」なんてことを思い出した。先日、瀬田貞二の「ナルニア国物語」の翻訳が長くて読みにくいとの指摘をめぐって、読んでもらえば大丈夫と反論していた人がいた。たしかに、今はお話を聞く習慣が減っているかも。声の文化の復権、大事かもしれない。ストーリーテリングもいいけど、日本人には講談や紙芝居があったものね。

京子さんのお弟子さんの前座さんは、東京女子医大の開祖、吉岡彌生を新作落語に。伝記好きの私にとって、とても勉強になりました。偉人伝は入りにくいけど、こうやって講談で聞いたら、とっつきやすいかも、と思ったり。先日「リンドグレーン」の生涯の映画を見たときも思いましたが、先人の足跡を知ることはロールモデルになると思う。

京子さんの古典の先生、神田愛山もさすがでした。歴史小説作家・結城昌治にかわいがられたエピソードを枕に、結城の「斬に処す」から次郎長のライバル黒駒の勝蔵を語る。講談って、つばとばして、はりせんバンバン鳴らして、のイメージが強かったんだけど、朴訥とした語りが、身体に染み入ってくるんすね、これまた。味わい深い…… 名人芸はなんでもそうかもしれませんが、一瞬で世界に引き込まれます。

京子さんの「鉢の木」は能にもなっている古典、愛山先生の勝蔵は現代小説が元ネタ。講談の自由さと懐の広さも魅力ですね。

京子さんのパンフレットにモットーは 「守破離」とありましたが
私が習っている茶道教室もずばり shuhally
型を知ってからはじめて型破り、じゃないと型なしになっちゃう
和の道はおもしろいです。


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