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[1分小説] 逢|#やばい恋心

真昼の白い陽が街道に照りつけている。
もう9月だというのに、どうしてこんなに暑いのか。

毎年のように頭をよぎる疑問を、太一たいちは明日からのテストに辟易する脳みそでぼんやりと考えた。


『あ、やべ』

「部室で待ってるから」そう言っていた軽音楽部の女子生徒との約束を完全に忘れていた。


「お願い、一曲だけ打ち合わせさせて」
明日からテストじゃん、そう言ってあしらった彼に、しかし彼女は食い下がって懇願したのだった。

『どうせ俺と一緒にいたいだけだろ。面倒くさい』

隣のBクラスでは「一番可愛い」ともてはやさてる彼女であったが、正直、太一にはこれっぽっちも興味が持てなかった。

彼女に興味がないというよりは、同年代の女子に関心がないのかもしれない。


彼には、歳の離れた姉が二人いる。
これまでの人生、何かと可愛がられ、甘やかされて育ったからだろうか。

太一には、年上の女性と一緒にいる方が居心地よく感じられてしまうのだ。


『あれ?』

馴染みのスーパーを通過して、しばらくした時だった。

『どうしたんだろう』

太一の目が、炎天下の道端に座り込む女性の姿を捉えた。


「大丈夫ですか?」思わず声を掛けた。

自分を見上げたその顔は青白く、見るからに具合が悪そうだった。


「レディの前では紳士でいるのよ」

小さい頃から姉たちにそう教育され
-あるいは実験的に育てられ- てきた彼にとって、
それはごく自然な行動であった。
女性に手を貸し、コンビニ脇の涼しい日陰まで連れて行った。
 

『それにしても、綺麗な人だな』と思った。


スーパーでの買い物帰りだろうか?彼女が提げた淡い桃色のエコバッグからは、長ネギが出ていた。

『この人、いくつだろうな』

結婚しているのは、指輪を見ないでも分かる。
こんな昼間に買い物に出ているのだ。

『子ども、いるのかな』

ふと、『何考えてんだ俺』と自分につっこみを入れた時、妙に沈黙が気になった。 


『なんか喋った方がいいのかな』

気づいたら、口が動いていた。別に彼女は聞きたくもないだろうに、彼は自分のことを次から次へと、まるで「ねぇ聞いて」と母親や姉たちに話すように、言葉を発していた。 

大学受験への惨憺たる現状を口にした時だった。

いくぶん具合が良くなったのだろうか、俯いていた彼女が顔を上げて「ふふふ」と、小さく笑った。

花がそっと開くような、可憐な笑い声だと思った。



その時である。彼女がこちらを向いた。

遠慮がちな優しさと、秘めた意志が混ざったような
ハッとする眼差しが、自分へ向けられている-。

しばらく、目が離せなかった。



―と、そうしているうちに視線を外したのは彼女の方だった。

彼女はおもむろに立ち上がって、
「どうもありがとう。もう大丈夫だから」
唐突にそう言って歩いて行ってしまった。

「え、」

戸惑う彼を残して、「テスト、がんばってね」。

そう言い残した声だけが、
太一の耳の奥で反芻し続けていた。


「ただいま」

帰宅後、テスト勉強はまったく手につかなかった。絶えず彼の脳裏に浮かぶのは、あの女性のこと―。

『結婚してる人に惹かれるのは、さすがになぁ...』

しかし、そう否定する端から、
『同じマンションに住んでるのかな』とか『また逢えるかな』とか、
そんなことばかりがひっきりなしに、太一の脳内を駆け巡っていた。

『はぁ』。溜息ひとつ。


ベッドに転がって、窓の外に目をやる。

空にはまだ、
甘く熱い夏の気配が、十分すぎるほど漂っていた。



≪[1分小説] 逢|#始まらずに終わった恋

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