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ビタミンB3(ナイアシン)など栄養療法統合失調症の子供が治った話2-エイブラム・ホッファー博士より

※現在、精神分裂病は「統合失調症」に変更されているので訂正しています。

以下の記事の続きですので、先にお読みくださいね。
お勧めの本やナイアシンアミドなども紹介しています。

ビタミンB3(ナイアシン)など栄養療法統合失調症の子供が治った話1
-エイブラム・ホッファー博士より


☆☆☆☆☆☆☆
2番目のケースが1日当たり3gのナイアシンを始めたのは1960年で、
その女の子は7歳だった。
このアニーの母親は、バルチモアの精神病院から退院した慢性退行性の
統合失調症患者だった。
母親はニューヨーク州のたくさんの病院を経てきた。
実はアニーが生まれた場所は、そうした病院のひとつである。
母親は、次々と過ごした病院の一つで、ある水夫を誘惑したのであった。
生後アニーは母方の祖父に預けられたが、祖父には後妻がいた。
祖父夫妻は、「AA(アルコール中毒匿名の会)」の副創立者、ビル・W氏と
仲が親しかった。
オズモンド博士と私は、ビルたちと親密な間で、私たちの研究の情報を交流していた。
アニーは精神発達が遅れていると診断されたので、この育ての親たちに、
彼女を障害児学校に入れるようアドバイスした。
(1960年には、遅れているなど、古い用語がまだふつうに使われていた。)
ビル・Wは、私が次にニューヨークに行った時に、
アニーに会ってくれと頼んできた。
親たちは私に、彼女は学習できないし、重度の行動問題が発生していると話した。
私はナイアシンアミドを1日当たり3g与え始めるようアドバイスした。
2年後にビルはもう一度、私にアニーに会うよう求めた。
親たちが、彼女に変化がみられなくて失望しているという。
その頃までの私は、子どもについては限られた経験しかなかった。
辛抱していれば、彼女も結局は反応するだろうと望むことしかできなかった。
翌年、彼女はよくなり始めた。
正規の学校システムを経て、彼女は大学に入学、優等生名簿にのせられる
成績で卒業、教員になった。
数年前、私は母親から手紙を受け取った。
ワシントンD・C.での彼女の結婚式への招待だった。
私がアニーに会ったのは、彼女が子どもの時と、十代後半の時だけだった。
1997年現在、なおよい状態である。
これらの長年にわたる治療の例は、私にとって特殊である。
初めて治療した子どもたちだからである。
その時以来、この経験は1,500人の子どもたちで確かめられた。
彼らのほとんどは反応した。
失敗したのは、このプログラムを十分に続けないからだった。
ここにあげた2人のケースは、ライナス・ポーリングやビル・Wのような、
高名な味方との連合によって、分子整合精神医学をもスポットライトで
浮かび上がらせることになった。
受け入れられるための戦いは、40年以上も続いてきた。

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