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⑧ セカンドビザ取得の為ケアンズへ移動
ブリスベン生活も5か月を迎え、日本に一週間だけ帰ったり、
シドニー、メルボルン、ニュージーランドと旅行もした。
ブリスベンに帰ってきて、ふと「オーストラリア結構満喫したな」
なんて思ってしまって。笑
周りの友達はバンでミックビザを使ったり2nd、3rdとビザを伸ばして4年もオーストラリアにいる子やこれから2ndビザ取得の為にファームに行こうとしていたり。
私は結構周りの影響を受けるタイプでも
⑦ 自分の英語力の低さに挫折
ローカルのカフェでの仕事は、想像よりも100倍ハードだった。
まず、カフェのメニューの多さ。
ロングブラック、フラットホワイト、ラテ、チャイラテ、バニララテ、ダーティーチャイ、ティー各種、アーモンドミルク、オーツミルク、ラクトスフリー、ディカフェ、ハーフストレングス、ダブルショット、エクストラホット、カプチーノ、モカ、ピッコロ、ベビチーノ・・・・・等々
バリスタコースで少し学んだから多少は分か
⑥ 初めてのレジュメ配
家に慣れる→学校に慣れる→食事には慣れなかったけど笑
生活に慣れ始めてきたので、いよいよ仕事探し!
初めての海外での仕事探しは、意外とシンプルで、レジュメ(履歴書)をお店に直接渡しに行くこと。笑
これが一番メジャーなやり方みたい。
日本だと直接私に行くのってあんまりないよね?
マイナビ的なアルバイト求人サイトとかでオンラインで応募する感じだったよね?
今考えるとレジュメ配りって新規営業だよね
⑤ 思ったより衝撃を受けなかった「オーストラリア」
長かった道のりだったけど、念願やっと!
ブリスベンに到着!!!!!!
学生時代に旅行でオーストラリアのゴールドコーストに行ったことがあって。
だからなのかは分からないけど、オーストラリアはあまり海外という感じがしなかった。
ただ、裸足で外を歩いている人を初めて見たときは、最初はかなりカルチャーショックだった。笑
海辺なら分かるんだけど、普通にシティの道でも裸足だったり、スーパーやMacDonal
④ 大きく変化した2年半
すぐに落ち着くと思ってたコロナウイルス。
気づけば渡航まで、2年半もかかったな。
正直、それまで何回も「ワーホリするの辞めちゃおっかな」って思ったし、
同時期にワーホリを考えていた知り合いは結局行かずに、日本で再就職したり。
でも友人皆が「ここまで準備したのにもったいない、絶対に行くべきだ!」と背中を押してくれたお陰で、結局今ここオーストラリアにいる。
本当に感謝しかないし、周りの人のおかげだ
③ スペインがロックダウン。カナダの国境が閉じ入国不可能。
スペインのロックダウン。
人生初、ロックダウンというものを経験した。
当時の日本の状況と比べたら、スペインなんてすごく深刻で。
当時のウイルスはとても強く、感染した人の多くの人が亡くなってしまう様な、未知でとても恐ろしいものだった。
街は人は歩いていないし、買い物も複数人でお店には入れないし、
アルコール消毒に手袋までしないと買い物ができない。
ガスマスクのようなマスクをして歩いている人もいた
② コロナウィルスで国境が閉じる
留学も考えたけど、やっぱり学費が高い。
結局、学校の縛りもなく仕事も時間制限なくできる、
ワーキングホリデーに決めた。
ワーホリって30歳までしかできないし。
自分の今の年齢のことも考えた決断だった。
学生の時にホームステイをした、カナダのケローナ。
カナダという国と人々がすごく好きだったから、渡航先はカナダに決めて、
仕事をすることを考えると、お店が沢山ありそうなトロントにした。
フライ