国際情勢:プーチン大統領について⑤
国際法について(⑤は3,944字)
プーチン大統領
「国際法と国連憲章に違反して、アメリカは何をしたのですか?合衆国はベオグラードへの空爆を開始しました。瓶の中の精霊を出したのはアメリカです。さらに、ロシアが抗議し、憤りを表明したとき、何を言ったか?国連憲章と国際法は時代遅れになった。今では誰もが国際法を引き合いに出しますが、当時彼らは全てが時代遅れだと言い始めました。全てを変えなければならないと」
President Putin
“What did the United States do in violation of an international law and the UN Charter? it started bombing being Belgrade. it was the United States that led the genie out of the bottle. Moreover, when Russia protested and expressed, its resentment what was said the UN Charter and international law have become obsolete. Now everyone invokes international law, but at that time, they started saying that everything was outdated everything had to be changed.”
国際法は、西洋近代で作られたルールに過ぎない。
人間が作った国家間のルールだ。だから宇宙の法則のように絶対ではない。
今、国際法違反と言うと、まるで鬼の首でも取ったかのように騒がれるが、その歴史はそんな長くない。
プロテスタントとカトリックが激しく争ったドイツ30年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約から、国際法は始まる。つまり、これは、ここ400年くらいで成立した慣習で、唯一絶対のルールではない。
実際、1999年のコソボ空爆でも、アメリカは、国際法は時代遅れだと言って、堂々と破っている。
だが2024年のロシア・ウクライナ戦争では、アメリカは、ロシアは国際法違反だと言っている。
これではただの恣意的なルールでしかないだろう。アメリカが、都合よく使っているだけだ。
国際法は、屁理屈とまで言わなくても、アメリカが尊重していないので、意味が薄くなっている。
最強国であるアメリカが、国際法を尊重するなら、意味はあるだろう。他の国も従う。
だが現在の状況を見る限り、国際法とは、西洋人が都合よく発明した地上のルールに過ぎない。
日本では、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』ではないが、「これからは国際法の時代」とか、日本国憲法の序文で謳われている国連・国際社会に対する奇妙なまでに厚い信頼がある。国際法→国連→日本国憲法みたいな三角関係があるが、実はとても脆い三角関係で、当てにはならない。だが戦後日本が、国際社会を見る視点になってしまっている。
これは戦後、日本が抱えた病理だろう。こんな変な見方をしている国は他にはない。
あまり悪く言いたくはないが、それには司馬遼太郎も一役かっている。
所謂、司馬史観なるものが世間にはあり、これが日本史と世界を見る視点にもなっている。
確かに彼の小説は見事だが、99%の事実と1%の歪曲でできている。
『坂の上の雲』の旅順攻略戦で、児玉源太郎が現地に来て、仁木希典を助けた話があるが、史実ではない。
司馬遼太郎が、乃木希典を嫌っていたから、そういう虚構を書いている。
これはもう歴史ではない。ロマンだ。小説だ。
特に断りもないので、何も知らない読者は、そういう事があったと思うだろう。
これでは歴史の歪曲だ。何らかの説明は必要だろう。説明がないと事実と混同する。
書き方にもよるが、ずっと事実調で書いてきて、突然断りもなく、そんな話を入れられても困る。
騙す意図はなかったのだろうが、あまりに乃木希典が嫌いだったから、歴史を歪曲した。
今、フランス語でマックス・ガロの歴史小説を読んでいるが、同じ轍を踏んでいないか、確認中だ。
この人は、アカデミーフランセーズのイモータルで、国民的歴史作家でもある。面白い。
だが歴史作家の常で、1%の歪曲があるのではないかと思っている。これをロマンと取るか、否か。
歴史を対象に、小説を書けば、誰でもそうなる可能性はあるが、何らかの工夫は必要だろう。
司馬遼太郎は東洋には強いが、西洋には強くない。もし歴史をやるなら、両方押えるべきだろう。
だから「これからは国際法の時代」とか竜馬に言わせるのは、やめて欲しい。西洋人に笑われる。
もしキリスト教をやるなら、仏教もやるべきだし、もし西洋史をやるなら、東洋史もやるべきだ。もし近代語をやるなら、古典語もやるべきだ。もしサイエンスをやるなら、霊界についても知るべきだ。
多分、22世紀以降の人間は、基本そういう方向に行くと思う。双方向の時代だ。
宇宙人の影響を受けた人は、視野が爆発的に広がる。次の文明は、相反するものが統合されて、高みに登って行くものだと思う。
大体どちらか片方だから、間違う。これは殆どの現代人がそうだと思う。専門家の弊害だ。
司馬遼太郎は偉大な作家だと思う。だが申し訳ないが、司馬史観なる世界観は、もう破却して欲しい。
話が大きく逸れた。だがもう少し国際法について触れたい。
もし国際法を生かしたいならば、仮にも民主主義でもあるので、皆で決めたルールは守るべきだろう。
日本は守るかも知れない。だがアメリカは守らないだろう。ジャイアンだからだ。
であるならば、アメリカが唱える自由や民主主義も、ただのお題目になるだろう。
第一次世界大戦後、国際連盟を提案したウッドロウ・ウィルソンという大統領がいたが、肝心のアメリカが、議会の反対で入れず、言い出しっぺが参加しないという深刻な矛盾が生じた。これがアメリカの現実だ。大統領の理想論と議会の現実論は今も変わらないだろう。これは必要だが、アメリカの構造的欠陥にも見える。世界の迷惑だ。
国連もそうだが、国際法にも、弱点・欠陥がある。都合が悪い時はやらないし、守られない。
帝国主義の時代は終わったが、覇権主義の時代はまだまだ終わっていない。
だから国連も、国際法も、人権も、人道でさえ、凄く軽く見られている。
覇権国家の都合で、どうにでもなる。これは繰り返し見て来た光景だ。
実は国連も、国際法も、人権も、人道も、全て幻想なのだろう。幻だ。
人間が地上で作ったルールだから、あの世から吹いて来る諸行無常の風に耐えられない。
宇宙の法則だけが唯一絶対で、善悪に関する不変のルールが存在する。
このルールは目に見えないし、死んでみないと、分からない。だが存在する。
しかし今、地上の人間、特に先進国の半数以上の人間が、神、あの世を信じていない。
あるいは、発展途上国であれば、半分以上の人間が、神、あの世を信じているのかもしれない。
だがこの星が、イスラム教に征服されるのは、ご勘弁願いたい。共産主義に支配されるのも嫌だ。
どちらも全体主義になる。イスラム教を悪く言いたくはないが、あの戦争好きはホントに嫌だ。
だが非好戦的で、穏やかな宗教は、滅ぼされる運命にある。地上的ではないからだろう。
仏典に基づいて、『仏の顔も三度まで、釈迦族殲滅戦』という短編小説を書いたが、問題の核心を衝いたつもりだ。仏陀でさえ、政治・経済・軍事に関して、明確な解答を出していないように見える。バランスが難しいのだろう。
もし一つだけ、解があるとしたら、仏陀が仏陀である事をやめて、転輪聖王になる道だろう。ガウタマ・シッダールタが、国の王になって、政治・経済を司る。さぞかし、その国は、その時代は栄えるだろう。だが死んでしまえば、それまで。その後の時代は急速に盛り下がるし、その国もいつか亡びる。であるならば、仏陀の方が永続性がある。
ガウタマ・シッダールタは、仏典の中で、過去七仏と言って、自分の過去世の話をしている。これは、常に仏陀か、転輪聖王の選択肢が開かれていて、その時代や使命に合わせて、選択して来たのだろう。
あるいは『法華経』を読む限り、大乗的な回答があるように思える。救済対象は国家ではなく、社会だが。
大乗仏教で言う一切衆生救済とは、特定の国家を救う事ではなく、人類社会全体を救済する事を指す。
そうなのだ。問題はいつだって、社会なのだ。国家ではない。そして国民国家は大きくなり過ぎた。
我々は民主主義で、国家に取り込まれた。民主主義の問題点は、大きな国家を形成する事である。
我々はこの大きな国家に飲み込まれて、一人一人の個性が見えなくなる。英雄豪傑はもういない。
一人一票の世界だからだ。そして一人一票は容易にデジタル化されて、政府にコントロールされる。
中国古典が理想とした聖人・君子が、上に立ち、社会のために、その身を削る小さな国ではない。
民主主義は、発達すれば、必ず巨大化して、大きな政府、大きな国家を形成する。近代だ。
そうなると、この巨大な機構をどう管理するのかという議論になる。
だからグローバリストが現われ、ダボス会議などで、地上の国家群を管理する計画を立てる。
カント流の世界政府を構想し、地上の国家群を管理し、人類社会を救う。いや、無理だ。
それはマルクス主義だ。人類は管理できない。人類は自由だ。だがカオスではない。
メソポタミア文明では、王朝がよく倒れて、国家が消滅する事が多かったせいか、神殿が社会を守った。当時の人類の価値のある資産は全部、神殿に預けた。一種の銀行だが、銀も発行していたので、本当に銀行だった。図書館や役所・裁判所の機能もあり、うかつに王朝も手を出せなかった。国が滅びて、神殿ありの世界観だ。
このメソポタミア文明のやり方は、嫌いではない。人類が幸福に生きるための智慧だろう。聖域、サクチュアリを設けて、文明の安全地帯を確保している。国際法なんかより、よほど賢いやり方に見える。
キリスト教は、いつも捨て身で、逆転を狙う逆説の宗教だが、「カエサルのものはカエサルに」と早々と政教分離を宣言しているので、世俗と聖性が分かれて、社会が分裂した。この矛盾を補うため、人権とか幻想が構築された。
これが歴史だ。世界史、西洋史の話だが、全く解決が付いていない。むしろ、カオスになった。
『社会契約論』を書き、古代の立法者を夢見たジャン・ジャック・ルソーと話がしたい。
彼は今、この星をどう見ているのか?理想の社会とは?
どういう訳か、この人の事は、凄くよく分かるので、彼の秘密も知っている。著名なフランス人の秘密を知っている。
国際法で話が大きく脱線した。プーチンに戻ろう。
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