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人はいかなるyのことを考えても、あるxに対して、「自分のxのことしか考えていない」ことになる定理


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注意

ここでは、コロナワクチンについての議論もしますが、情報源はある新聞記事です。それ以外にはありませんので、ご了承ください。

これらの重要な情報を明かします。

特撮テレビドラマ
『ウルトラセブン』


特撮映画

『ウルトラマンサーガ』


実写映画

『ターミネーター4』

漫画
『マンガで分かる心療内科』
『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』
『マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方』
『真実のカウンセリング』

『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』

テレビアニメ

『ドラゴンボールZ』

『ドラゴンボール超』

アニメ映画

『ドラゴンボール超 ブロリー』
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

小説
『二重螺旋の悪魔』
『華やかな三つの願い』(星新一)
『はじめての例』(星新一)

はじめに

 これまで、私は様々な物語を通じて、環境問題や経済学、政治学や宗教など、節操のない分野に広げて考察などをしてきました。しかし、今回はいささか感傷的とも言える、けれどもどうしても書きたいものを挙げます。
 『怪獣使いと少年』(2000,宝島社文庫)の解説の表現を使えば、「無防備」ですが、ご了承ください。
 それは、「自分のことしか考えていない」という言葉の是非です。
 私個人は物心付いたときから、これへの違和感がどうしても取り払えませんでした。「相手の気持ちが分からない」という言葉への疑問も記しましたが、これへの疑問はさらに強いものです。

2022年6月15日閲覧

 それへの違和感を言い表すのにきわめて長い時間がかかりましたが、一度思い付けば、これまでの記事にも当てはまる要素があると気付きました。
 私の現時点での反論は、「あるxを決めれば、誰もが自分のxのことしか考えようがない」というものです。
 まず、岩井克人さんの文章がそのヒントになります。
 岩井さんは、「人間は遺伝子で全て説明出来るという人もいるが、それだけではない。言語、法、貨幣の3種類は遺伝子に還元出来ない」と主張しています。
 つまり、人間の、とりわけ社会的な動きは、遺伝子、言語、法律、貨幣の4つの組み合わせをベクトルのように使っているのでしょう。
 これは非常に説得力があります。そして、これを用いれば、ある種の逆説的な表現が可能です。
 「人の他者への優しさは全て、自分と遺伝子、言語、法律、貨幣で繋がった相手、自分のxに基づいた優しさでしかない」ということです。




「人は自分のx=家族、職場、国のことしか考えられない」定理

 より簡易的に言えば、「人が社会の中で生きていくには、自分の家族、職場、国ぐらいにしか配慮出来ない」ということです。

 「人は自分のxのことしか考えていない」という定理を私は主張します。

 そして現代社会の大半の人間にとっては、

x1=遺伝子に関わる共同体である家族あるいはその前の段階である恋人
x2=貨幣に関わる共同体である職場あるいはその前の段階である学校
x3=法律に関わる共同体である国家あるいは条例に関わる自治体

です。

 
 遺伝子による繋がりがなければ人間社会は長続きしませんし、貨幣なしに自活はほとんど出来ません。
 多くの「サバイバル」の作品は、資本主義の産物に少数の人間が依存していることで成り立ちます。
 また、これは家族や仕事に比べてタブーに扱われやすいかもしれませんが、自分と同じ法律を守る国の仲間である同じ国民のことばかり考えるのが、その人にとっては「善意」なのです。
 「政治なんて大きな分野のことは知らない、私は自分の身の回りのことだけ考える」という人もいるでしょうが、それは「自分の家族、職場」のことが「自分の国や法律」に比べて議論しやすいためでしょう。
 微妙なところですが、言語は家族から教わり、職場や国にまたがる繋がりです。
 家族などは、最初の言語を教える共同体でもあり、学校や職場専用の言語もあります。
 そして、少し拡張しますと、家族の延長には恋愛などによる恋人の繋がり、職場の前の段階には学校などの教育施設、国の派生として条例などで繋がった自治体があります。
 なお、言語は「ある特定の人間の集団には常識だが、その外の集団には非常識であり、外の集団には別の常識が必ずある」と仮定すれば、「文化」もその延長として考えられます。
 「宗教」も「文化」のうちであり、「自分は無宗教である」という日本人は多いようですが、「縁起が悪い」、「死体を見たら悲しくなる」といった感情は多くの日本人にあるでしょう。それは「宗教」と定義出来ますし、埋葬の方法やげんを担ぐ概念などは日本人の常識に沿うものが多いはずです。
 そして私は、決して性悪説を唱えているわけではありません。この言語、法律、貨幣、遺伝子による繋がりによってこそ、限定されている範囲ながら、「他者」を狭く深く救えるのです。

ナショナリズムは「自分のルール」と「自分の文化」の組み合わせ

2022年6月15日閲覧

 たとえば、ナショナリズムがあります。悪い印象の強いものですが、これにも始まりとして善意を含むものがあります。ないナショナリズムもあるでしょうが。
 ナショナリズムの定義の1つは、「政治的な国家の境界線を文化的なネイションの境界線と一致させる」ものです。そして国家とは、「法律による共同体」です。
 ここでの私の表現で言えば、自分のx3を、自分の言語を含む文化の共同体、ネイションと一致させるのがナショナリズムです。
 たとえば、『ターミネーター4』で、英語により「これを聞いている君は抵抗軍の一員だ」と呼びかけるのは、英語が通じさえすれば他の違いを受け入れる多様性と、英語が通じなければどれほど真面目で優秀でも弾かれる単一性の両者があります。それが英語ナショナリズムだと言えます。
 『ウルトラマンサーガ』のウルトラマンダイナのサムズアップにより、言葉も通じない別の地球の人間が受け入れるのは、「日本人とウルトラマンを繋ぐ多様性をもたらすルール」と、「他の国の人間には通じるとは限らない単一性」があり、自分のルールと自分の文化を繋げることになり、日本ナショナリズムだと言えます。

2022年6月15日閲覧

 つまり、「人は自分のxしか考えられない」けれども、自分のxmとxn(m≠n)を繋ぐことで、自分と他の点が異なる相手を受け入れる余地があり、だからこそ円滑に救える他者もいるのです。また、そのときに、自分のxl(l≠m,l≠n)を軽んじることもあります。
 問題は、自分のどのxを重んじて、どのxを軽んじるかです。

数学的な「自分のx」の定理

  数学的な極限とは、「いかなるy>0に対しても、|f(a+x)-b|<yを満たすあるxが存在する」のを、limf(t)(t→a+0)=bと表現しています。これにならえば、「人はいかなるyのことを考えても、あるxを代入すれば、yは自分のxのうちという式が成り立つため、人は常に自分のxしか考えられない」という定理が成り立ちます。

コロナワクチンに関して「自分の国のことしか考えない」

 「自分のことしか考えていない人間はあとで自分も困る」という表現は見聞きしますが、それは現代のコロナワクチンに関しては成り立ちます。
 「コロナワクチン」については、自国民を優先して守るために、打てない国で感染爆発が起きて変異種で結局は自国のワクチン計画が無益になると、国連事務総長が説明しています。
 私の表現で言えば、ほとんどの国家の国民が「自分と同じ法律を守る自国民のことしか考えていない」ため、コロナワクチンを自国に優先して、打てない国で感染爆発が起きて変異種が発生して、打てる国もあとで困ると、当てはまります。
 つまり、コロナワクチンに関しては、「自分の法律と国のことしか考えていないからあとで自分の国も困る」現象が起きているのです。
 しかしそれを指摘した国連事務総長も、「自分の国のことだけ考えるな」と警告するのが「自分の仕事」なのでしょう。それを悪いとは思いません。
 その警告が届きにくいのは、国際機関を除けば、多くの人間にとって、「自分の国と家族を守ることだけが自分の仕事に繋がっている」ためでしょう。

自分の貨幣や法律の組み合わせ

 パターナリズムの一種と私が考える「家族経営」も、「自分の貨幣、仕事のことを考えたいならば自分の遺伝子、家族のように考えろ」という主張であり、ある国のある場所では成立したと『現代社会とパターナリズム』にありますが、現代日本ではその「善意」に限界が生じているのでしょう。
  現代日本の「自己責任」とは、主に「自分の貨幣に関する損害は家族に補ってもらえ」、「子供の貧困は世帯主の責任」、「国民の貨幣の損害は法律の、国家の責任ではない」という意味だとみられます。
 これも、「自分のx」の組み合わせの問題であることに気付けば、単なる利己と利他の二分法ではこじれてしまう議論を整理しやすいでしょう。
 「国の経済における役割は市場に介入したり公共事業をしたりして景気を良くすること」という理論はありますが、それは、「自分の貨幣のことを考えたいならば自分の守る法律の力に頼れ」ということであり、「景気」は「気分」なので、「まつりごと」で良くするものでもあります。
 「政治」というのは、「自分達と同じ国民が守る法律を維持、破壊、創造するのを自分の仕事とする人間」、すなわち政治家を選ぶのが国民に出来ることです。

戦争は「自分の法律に基づく味方と敵がいる」

 これが欠けていると判断したのは、『マンガで分かる心療内科』シリーズです。
 『マンガで分かる心療内科』では、テレパシーで話していた宇宙人「テレパシー星人」が病気で通じなくなったために戦争になったのを、心理士が対人コミュニケーションで助けようとしました。
 しかし、これは現実の戦争の解決にはなりにくいと言えます。
 「テレパシー星人の戦争」は、正確には「乱闘」が近いのです。何故ならば、戦争とは「法律に基づく敵と味方」がおり、「自分と同じ法律を守る人間のためならそうでない人間に暴力を振るう」行動であるためです。もちろん実際には「勝てば官軍」という面はありますが、本来は「法律に基づく争い」です。
 たとえば『ウルトラセブン』のメトロン星人のタバコは、吸った人間が周りの全てを敵だとみなすため、暴力や疑心暗鬼は招くことが可能ですが、味方と組む行動をさせられず、少なくとも直接には戦争を起こせません。
 疑心暗鬼が目的なので、タバコを吸いやすい国や地域などの差異で戦争を起こせるかもしれませんが、その国の内部でも疑心暗鬼が起きるかもしれないので、正式な戦争にはなりません。
 テレパシー星人も、周りの全てを敵だとみなすならばそうなります。
 『マンガで分かる心療内科』ではアドラー心理学を重視しますが、「目的が原因より大事」というのも、戦争の社会的な原因などを無視します。
 佐藤優さんの「アドラー心理学は性善説と楽観論に基づく」というのを参考にしますと、「対人コミュニケーションで戦争が止まる」というのは、「テレパシーが通じないことで周りの人間全てを敵だとみなす」現象を扱うので「性善説」は否定しつつ、「法律などの社会的な壁を無視した平等な悪意をコミュニケーションによる平等な善意で解決する」にとどまり、「楽観論」だと言えます。
 ナショナリズムは「自分と同じ言語を使う人間ならば分かり合い、同じ法律で助け合える」という多様性と単一性を持つ「厳密には不平等な部分のある善意」です。
 テレパシー星人の戦争の解決は、この宇宙人の言語や法律が共通とはいえ、「法律の壁」、「貨幣の壁」、「遺伝子の壁」、「文化の壁」などによる「不平等な善意」、「不平等な悪意」に気付いていません。
 同じ暴力や破壊でも、仕事や血縁の違いが大きい相手にされると怒りが大きい「不平等な悪意」というのもあるでしょう。逆に仕事や血縁の近い人間の悪事は許しやすい「不平等な善意」も考えられます。
 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のミドリの表現を借りれば、「身内に甘い」ということです。問題は遺伝子、貨幣、法律のどの分野の「身内」かにもよりますが。

 

政治や経済での「信じる」とは

 ここで、政治と経済を私なりに定義します。
 政治は「自分の法律を扱う」もので、経済は、「自分の貨幣を扱う」ものです。
 政治の議論は「法律に従うか逆らうか決める」ものではなく、民主主義においては、「法律を決めるどの政治家を国民が選挙で選ぶか落とすか決める」ものです。それが法律への民主的な抵抗です。 
 『真実のカウンセリング』で、宗教のたとえで、「信じるならばあとでクレームを入れてはならない」という概念を恋愛に適用していました。しかし、それは「天国がなかったからと、死後にクレームを入れるな」という「宗教」、私のたとえではおそらく言語や文化に属するもので、「証明出来ない」、「人間の行動で変えられない」ものなら「信じたならばクレームを入れてはならない」とは成り立ちます。
 また、家族や恋人、恋愛の要素では微妙です。しかし、政治や経済での「信じる」、つまり自分の望む法律や貨幣としての利益をもたらすと信じた政治家や商業の相手が裏切る、つまり公約破りや明らかな契約不履行では、「クレームを入れる資格はない」とは言えないでしょう。これらの信頼には、人間の行動である程度応える余地があるのですから。
 つまり、『マンガで分かる心療内科』や『真実のカウンセリング』のシリーズの主張は、恋愛や家族、つまり「自分の遺伝子」に関わる要素と、自分の仕事、「貨幣」に関わる要素と、宗教、自分の「文化」に関わる要素は心理学で説明していますが、「法律」に関わる政治や、貨幣でも明らかな犯罪などには適用しにくいのです。


「自分の宗教のことしか考えない」と言い切れる


 ダライ・ラマ14世は、政治的な苦境などで、「何故楽観的でいられるのか」と尋ねられて、その理由の一つを「私は僧侶なので家族がおらず、自分のことだけ考えれば済むから」と答えています。
 しかし、これは言語の延長の文化のうちを宗教として、「自分の文化である宗教」と「自分の仕事」のことだけに絞れるからこそ、「自分の家族」、「自分の国」に縛られている人間が見落とすものを指摘出来るのでしょう。


「自分の命」より「自分のプライド」を重視するフリーザ


 『ドラゴンボール』シリーズでどこまでも悪役な人物として、フリーザがいます。
 軍として侵略や制圧を行う宇宙人ですが、少しずつ「自分のことだけ考える」の意味合いが変化しています。
 というのも、超サイヤ人になった敵の孫悟空と戦うときに、自分がいるナメック星を爆破すれば自分だけは生き残れると分かっていながら途中でやめて実力での戦いにこだわり、敗北して「恩知らず」として悟空を背後から攻撃するときも、やはりナメック星を再び狙うことはしていません。
 『ドラゴンボール超』で宇宙ごと消される危険から、やむなく力の大会で悟空と手を組んだときも、強敵のジレンに憤り、殺せばルール違反で失格になり自分が賞品を得られなくなりチームごと負けて消されるリスクを「関係ありません」と、ジレンを殺そうとしました。
 『超 ブロリー』でも、やはり宇宙空間に耐えられないらしいサイヤ人の部下のブロリーの攻撃に巻き込まれても笑って実力で立ち向かっています。
 ベジータは「あいつが俺達に協力したのは自分のことを考えてやっただけだ」と言っていますが、フリーザは徐々に「自分の命」より「自分のプライド」を優先しています。
 逆に言えば、「自分の命」より「自分のx」を優先しても、悪でないとは言い切れないのです。



人間以外では、「体質」、「資源や栄養」、「ルール」に拡張出来る

 なお、人間社会から離れたSFやファンタジーでも、この定理を拡張出来ます。
 「遺伝子」から、「人類全体の利益を考える人間」はいるかもしれませんが、それは大抵は人類の共通の敵、野生動物やロボットや知的生命体がいる、あるいは災害が起きるときです。自分より遺伝子や体質が遠い敵がいるときなのです。
 『二重螺旋の悪魔』では、人間の主人公に「お前が他の人間を守りたいのは、自分の遺伝子を残すプログラムに過ぎない」と主張する存在がいました。その存在は利己的でしたが、その存在から見れば、人が人の命を守るのも拡張された利己主義なのでしょう。
 「貨幣」を「資源や栄養」に拡張すれば、動物や植物も「自分の資源や栄養源」のことしか考えられない、あるいは思考や判断の基盤に出来ないでしょう。
 「法律」を「ルールや約束」などに拡張すれば、「人の命を軽んじる人間でない存在」も、自分が一度人間と交わした契約に振り回される場面は、『ドラゴンボール超』や星新一さんの悪魔の登場する作品『はじめての例』、『華やかな三つの願い』などにあります。それは「自分のルール」のことばかり考えているためです。

「お互い様」は解決にならない

 実際に、ほとんど全ての物語の人間の思考は、「自分の」、家族、恋人、職場、学校、国、自治体、そして言語や文化のいずれかの組み合わせで成り立っています。現実もそうでしょう。というより、そうでなければ現代社会は成り立ちません。コマは軸が不自由だからこそ全体が自由に回るようにです。

 そして、どのxにも、「他の人間のxnより自分のxnを重視する(nは同じ)」という「嫌な面」があります。それは避けられず、誰にでもあることです。
 さらに、「自分の家族や職場や国のことしか考えないのはお互い様」だけでは解決にはなりません。
 たとえば、自分の家族の利害を職場で配慮してほしい人間が「自分のことしか考えていない」と言われるのは、自分の「x1=家族」と自分の「x2=職場」のことを考える二択の問題であり、職場においては、「自分は同僚や部下のことを考えているのに、こいつは自分のことばかり」と言いやすくなります。
 しかし同僚なども「自分のx2で繋がった他者」のうちでしかなく、逆に家族も「自分のx1で繋がった他者」であり、だからこそ気遣うのです。
 問題は「自分のx1と自分のx2」の優先順位であり、それが分野によっては順位が逆転し得るからこそ、議論が面倒になり、「あいつは自分の(家族という他者の)ことしか考えない。こちらは(自分の)職場の他者のことを考えている」と縮めているのでしょう。本当はどちらも、自分とxで繋がった他者のことを考えているに過ぎないにもかかわらず、です。
 その縮めた表現が「格好良い」上に「人を選ぶ」からこそ、独特の鋭さともろさがあります。
 「自分のことしか考えていない」に「みんながそうだろう」としか返せない、苦しい場合が多いのは、そういった原理なのです。
 その反論を封じる便利さが、私にとって「自分のことしか考えていない」という言葉に感じる苦しみでした。
 現代日本は特に、多くの人間にとって、自分の家族より自分の仕事、それより自分の法律が強くなっている印象があります。
 自分の遺伝子に関わる家族やその前の恋人、貨幣に関わる職場やその前の学校、法律に関わる国や条例がその代わりの自治体、そして文化に関わる宗教などの共同体の4種類の、「自分のx」のいずれも考えない人間は、おそらく自滅します。それが人間の限界であり、それを悪いこととは思いません。しかしその限界を認めずに調整しない人間は批判されるべきだと考えます。

まとめ

 xに「遺伝子あるいは貨幣あるいは法律あるいは文化」を代入しますと、誰もが自分のxしか考えられない限界は成り立ちます。それを認め合い、補い合うことが社会を回すのに必要だと結論付けました。

参考にした物語


野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)


特撮映画


おかひでき(監督),長谷川圭一(脚本),2012(公開),『ウルトラマンサーガ』,松竹(配給)


漫画


ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2014(発行),『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2010-(発行期間,未完),『マンガで分かる心療内科』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2017(発行),『マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方編』,少年画報社(出版社)
ゆうきゆう(原作),ソウ(作画),2020-(発行期間,未完),『真実のカウンセリング』,少年画報社(出版社)
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)

テレビアニメ

清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)

アニメ映画


長峯達也(監督),鳥山明(原作・脚本),2018年12月14日(公開日),『ドラゴンボール超 ブロリー』,東映(配給)
庵野秀明(総監督・脚本),鶴巻和哉ほか(監督),2021,『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』,カラーほか(配給)


実写映画

マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)

小説
星新一,1985,『夜のかくれんぼ』,新潮文庫(『はじめての例』)
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫


梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫


梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ


梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
星新一/作,和田誠/絵,2005,『宇宙のあいさつ』,理論社(『華やかな三つの願い』)

参考文献

切通理作,2000,『怪獣使いと少年』,宝島社文庫
岩井克人,1998,『貨幣論』,ちくま学芸文庫
大澤真幸(編),2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ
沢登俊雄,1997,『現代社会とパターナリズム』,ゆみる出版
西原理恵子,佐藤優,2016,『とりあたまGO!モンスター襲来編』,新潮社
岩井克人,2014,『資本主義から市民主義へ』,筑摩書房
池上彰,2012,『池上彰と考える、仏教って何ですか?』,飛鳥新社


朝日新聞,2022年2月18日朝刊p.17,寄稿「国連事務総長「グローバルな意思決定、手詰まり状態」」

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