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ウルトラシリーズや『ターミネーター4』から考える、多様性と単一性

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注意

映画『ターミネーター4』及び小説版
小説『ターミネーター4 廃墟から』
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンメビウス』
小説『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』
『ウルトラマンオーブ』
『ウルトラマンタイガ』

これらの重要な展開を明かします。

ここから先を読む方はご注意ください。




2021年12月1日閲覧

 以前上げた記事にある「自由の中の不自由」として、一つの例として、「ナショナリズム」があります。そこから、多様性と単一性の関連について考察します。





ナショナリズムの単一性と多様性

 『ナショナリズムは悪なのか』という直接的な題名の書籍で萱野捻人氏は、ナショナリズムのネーションは本来言語に基づく共同体で、言語だけを共通としてむしろ人種などの多様性に開かれている部分がある、と説明しています。だからナショナリズムが悪なのか善なのか、という結論は私には出しにくいのですが。

 『ナショナリズム論・入門』や『別冊NHK100分de名著 ナショナリズム』を総合しますと、西洋のナショナリズムの起源では、印刷技術と資本の発達により、聖書がそれまでラテン語などの一部の人間のみ用いた言語から、より一般的なドイツ語などに翻訳されて広まったことなど、言語の関連性が重視されるようです。

 しかし、キリスト教以外の宗教の広まっている地域でも、言語に基づくナショナリズムがあると言えます。
本来のナショナリズムは人種や民族や土地や宗教ではなく、言語を重視しているようです。


「これを聞いている君は」の前提


 『ターミネーター4』では、それまでの『ターミネーター』シリーズが機械により壊滅した未来から来るターミネーターを描くのに対し、未来そのものを詳しく描きます。
 そこで抵抗軍の指導者となるジョン・コナーは、ターミネーターに立ち向かう方法を教え、ラジオで「君達はみな重要な人間だ。これを聞いている君は、抵抗軍の一員だ」と見ず知らずの人間にも含めて呼びかけています。

 これは、「人類には全員機械の攻撃から助けてもらう権利があるし、全員が機械に何らかの形で立ち向かう義務がある」という必要十分条件だったのでしょう。「1人でも助けられなくては意味がないし、1人でも協力を怠れば全員が負けるかもしれない」という意味だとも考えられます。
 小説版の『ターミネーター4』及び『廃墟から』でも、「俺はこの機械達との戦いで、人間を人種、性別、宗教で区別しなくなった」と話す人間や、「ターミネーターに襲われる人間を、誰であろうと関係なく助けたい」と果敢になる人間もいました。
 しかしこの「抵抗軍の一員だ」という一体感には、「英語が通じるならば」という前提があります。
 ジョンは怠慢ではなく、単に切迫しているからと英語以外の言語をラジオで使う余裕がなかったのであり、差別意識はなかったでしょう。ちなみに黒人女性の軍人とも分け隔てなく接しています。発話は出来ないものの英語を理解は出来る少女も協力しています。
 しかし追い詰められた環境で、ジョンの集める抵抗軍の中では、英語の通じない人間は無知から周りに負担をかけたり、元々の対立を悪化させたりして、善意があっても活躍しにくくなります。連絡が行き渡らなければ、助け合う優先順位も下がりがちになるでしょう。
 仮に抵抗軍が機械軍に勝利しても、それまでの実績や命令系統や人口に基づき、生活基盤や政治体制を作り直せば、「英語ナショナリズム」に基づく新国家が生まれてしまう可能性があります。


2021年11月30日閲覧
 上記ページで、「資本は善意にも悪意にもなり得る恐怖を吸収して、地域などの分断を起こす」と書きましたが、ナショナリズムも「連帯感」としての善意と悪意を吸収して何らかの分断を起こすと見られます。
 その裏と表の双方を見きわめる必要があります。


『ガイア』と『メビウス』の異なる質の単一性


 この多様性のための軸となる例外的な単一性は、『ウルトラマンガイア』と『ウルトラマンメビウス』にもあります。


 『ウルトラマンガイア』は基本的に他のウルトラシリーズと繋がらない世界観で、宇宙人ではなく地球の「光」が人間に与えられたことで変身するウルトラマンが、地球あるいは人類を滅ぼそうとする「破滅招来体」から人間と地球を守り、同じ地球の生命だからと、人間と地球怪獣の仲立ちをすることがあります。
 風水師などが、東洋の「気」の観点から地球怪獣と分かり合おうとした例もあります。
 そして地球怪獣のエネルギーで最終的にウルトラマンが復活して地球や人類を救いました。最後の場面で主人公の我夢は、地球の何らかの気配を感じ取り、「そうか、これが地球なんだ...おーい!」という一体感のようなものを見せました。

 しかしこれと引き換えに、今作では宇宙人と言える存在がほとんどおらず、宇宙から悪意をもって人類滅亡を図る破滅招来体に厳しく対応し、それにより運ばれているだけの可能性のある宇宙怪獣さえ助けにくくなりました。たとえば、ウルフガスをガスタンクごと宇宙に放ったのみで、移動出来るかが曖昧でした。他のウルトラシリーズならば、他の選択肢はある程度考えられます。
 さらに、別のウルトラシリーズのような「怪獣を善意で倒す宇宙人のウルトラマン」という概念自体が成立しにくくなります。
 特に、ワームホールという空間の穴を通じて来る相手の星に、新しいワームホールを生み出して反撃するのがX(クロス)ザバーガや超(スーパー)コッヴなどのときに問題視され、「自分の星という場所から離れる」ことそのものを環境保護のもとに批判する可能性があります。

 『ウルトラマンメビウス』は、昭和ウルトラシリーズの続編であり、宇宙人のウルトラマンメビウスが擬態したミライが無邪気とも純真ともお人好しとも取れる姿勢で、優しさを見せつつ戦います。
 彼は自分に拒絶の意思や敵意を見せるハンターナイトツルギ(青いウルトラマン)にも誠意を見せ続け、自分を含めて斬ろうとした宇宙人のザムシャーも協力関係を結んだことで仲間として受け入れその死に苦しみました。
 他にも、いたずら好きをこじらせたサイコキノ星人や、食糧危機でトラブルを起こし、翻訳がかろうじて可能なファントン星人、地球人を恨むメイツ星人などにも仲立ちをしようとしています。
 しかしそれらは、基本的に言葉によるものであり、それの通じない怪獣は倒す例がほとんどです。
 『メビウス』では他のシリーズに比べて、野生の怪獣を殺さなかった例が少なく、かなり怪獣に厳しくなっています。
 地球に水素を求めに来ただけで人間に先に攻撃されたディノゾールに関して、攻撃的な姿勢も優しさもある隊員のリュウは、既に同種の個体に仲間を殺されたとはいえ、「可哀想だなんて冗談でも言うな」と話していました。
 怪獣は多くの特撮で環境破壊の被害者として扱われますが、本作ではバードンのコピーを人間が作り出そうとしたとき、「毒が環境を汚染する」と却下し、さりげなく「怪獣が環境を破壊している」と主張しています。

 小説版『アンデレスホリゾント』では、「赤ちゃん言葉」の通じる、相手を一方的に助ける怪獣「ユーゼアル」とは和解の糸口を見つけました。

 逆に、「何の言葉もかけず攻撃する宇宙人は許せない」という主張もあり、話せない怪獣は論理の外、「論外」なのでしょう。

 つまり、『ガイア』では地球生命ならば通じると認識されている「地球生命の共通感覚」によるナショナリズムの模式図があり、『メビウス』では宇宙人とも翻訳を含めた言語でならば分かり合えると認識する「宇宙の共通言語」によるナショナリズムの模式図があり、どちらにせよ、その多様性を受け入れるための軸となる単一性により排除される存在もいるということです。


異なる単一性を撚り合わせる

 この主人公の多様性の軸の単一性の問題が、主人公以外の人物により表面化したのは、『ウルトラマンタイガ』の修の事例でした。

 『タイガ』では地球に明らかな破壊行為や犯罪を行う従来のシリーズに近い宇宙人や、やむを得ず地球に来ざるを得なかった移民に近い宇宙人が混在し、前者への危機感からの地球人の迫害が後者を前者に変える部分もあり、論理が混乱します。

 地球人に抵抗するつもりだったバット星人の攻撃の巻き添えで母親が負傷した田崎修は、元々不良じみたファッションをしており、「外見で差別される側の気持ちが分かる」と言いつつ、ゴース星人が街を歩いていたのを見ただけで暴行を加えていました。
 また、そのゴース星人が会話出来ないので、修をたしなめようとしたホマレ(実は彼も人間の外見の宇宙人なのですが)を操って会話の仲介としたのにも、修はさらに憤りました。
 しかし、修の中でそれは矛盾していないのでしょう。
 ファッションという自分の意思で変えられる「外見」の多様性を受け入れるための軸として、「中身」としての軸となる単一性としての「体質」=「人間の種族」が必要だと判断したに過ぎないと見られます。
 ちなみに、修は宇宙人を判定する機械のCQを入手していましたが、陰でバット星人を唆していた張本人であり、ゴース星人を見つけて自分に表面的には協力した「奇抜なファッションをした人間」のような霧崎=ウルトラマントレギアを調べてはいませんでした。「霧崎さんもきっと外見で差別されてきただろうから疑いたくない」という、利他的な「反差別」の精神もあったようです。

 そして修の中では、「悪意がないならそもそも勝手に地球に来るな」、「せめてこちらの言葉で説明しろ」という、『ガイア』、『メビウス』のそれぞれの単一性が、世界観が異なるにせよ、撚り合わせられているとも言えます。


 そのため、修の排他的な姿勢は、ある意味『ガイア』と『メビウス』の主張のリスクを露呈させた「多様性のための単一性」なのです。


まとめ

 多様性のための軸となる単一性は、論理が矛盾していると考える方もいるかもしれませんが、円盤に穴を空けて軸とするようなものであり、「臨機応変なほど、その行動の軸は頑固だ」ということになるかもしれません。『ウルトラマンオーブ』第17話の渋川の「何かを守るのは、何かを傷付ける覚悟を持つこと」という言葉を参考にすれば、「誰かと何かで繋がるのは、その何かで繋がれない誰かを弾き出すこと」だとも言えます。


 多様性と単一性は、そのような表裏一体の面があるのであり、表と裏を見なければならないと私は推測しました。


参考にした物語


映画
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)

特撮テレビ番組
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999,『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)

村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007,『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)

田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016,『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)

小説
朱川湊人,2013,『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』,光文社
ジョン・ブランカトーほか(原案),アラン・ディーン・フォスター(著),富永和子(訳),2009,『ターミネーター4』,角川文庫
ティモシイ・ザーン(著),富永和子(訳),2009,『ターミネーター4 廃墟から』,角川書店

参考文献


大澤真幸,島田雅彦,中島岳志,ヤマザキマリ,2020,『別冊NHK100分de名著 ナショナリズム』,NHK出版
大澤真幸,姜尚中,2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ
萱野捻人,2011,『ナショナリズムは悪なのかー新・現代思想講義』,NHK出版

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