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『シン・ウルトラマン』における「ヤオヨロズ作戦」の可能性と、日本の禍威獣による「多様性と単一性」を併せ持つナショナリズムの観点


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アニメ映画
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』



特撮テレビドラマ
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラQ』
『ウルトラマン』
『ウルトラセブン』
『帰ってきたウルトラマン』
『ウルトラマンエース』
『ウルトラマンタロウ』
『ウルトラマンティガ』
『ウルトラマンダイナ』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンマックス』
『ウルトラマンメビウス』

『ウルトラマンX』

『ウルトラマンオーブ』

『ウルトラマンZ』

『ウルトラマントリガー』

特撮映画

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』
『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』

『ウルトラマンサーガ』

『シン・ゴジラ』

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

実写映画

『ターミネーター4』

『ターミネーター・ニュー・フェイト』

テレビドラマ

『JIN-仁-』
『JIN-仁-完結編』

『相棒』

ネットオリジナル特撮



『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』

漫画
『るろうに剣心』
『NARUTO』

テレビアニメ
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』

『新世紀エヴァンゲリオン』


「ヤオヨロズ作戦」の可能性


 『シン・ウルトラマン』では、『新世紀エヴァンゲリオン』のヤシマ作戦、『シン・ゴジラ』のヤシオリ作戦、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のヤマト作戦に続き、古い日本語で「ヤ」から始まる作戦があるのではないか、と想像しています。
 その候補として、ウルトラマンの長寿に関わる「ヤチヨ作戦」、ネロンガの姿を特殊な鏡で見破る、あるいは鏡で攻撃を反射する「ヤタノカガミ作戦」、『シン・ゴジラ』のゴジラの熱線のようにウルトラマンの光線が切断に特化する可能性に関わる「ヤツカノツルギ作戦」、『シン・ウルトラマン』のウルトラマンにないカラータイマーを、『ウルトラマンコスモス』のような勾玉の形の何かで補う「ヤサカニノマガタマ作戦」を挙げました。
 そして、『シン・ウルトラマン』では、「怪獣」に該当する「禍威獣(かいじゅう)」が日本にしか現れない、少なくとも多数現れていることから、異形の存在が多数日本にいることを「八百万の神」になぞらえた「ヤオヨロズ作戦」を考えました。

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2022年5月4日閲覧



 『ウルトラマンガイア』では、地球怪獣が宇宙からの敵に立ち向かうエネルギーを人間が集めて、地球の光であるウルトラマンガイアとウルトラマンアグルを復活させた「ファイナルミッション」があります。
 『シン・ウルトラマン』でも、「ヤオヨロズ作戦」として、日本各地の禍威獣の、ネロンガの電気やガボラの原子力などのエネルギーを用いてウルトラマンを復活させるのではないか、と考えました。

「禍威獣」によるナショナリズム

 しかし、それも単純に美談とみなせない部分があります。それは、「地球ナショナリズム」、「日本ナショナリズム」とも言うべきものを、一見多様性を保ちつつ単一性を生み出す危険性があると考えているためです。
 これは「左翼ナショナリズム」とも言うべき思想が「禍威獣」により実行されるのではないか、とも予測しています。

『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』

 まず、切通理作さんがウルトラシリーズの脚本家を解説した『怪獣使いと少年』では、「ウルトラマンより怪獣に自分を重ね合わせていた」というイメージが語られています。
 民俗学などから、怪獣は社会の秩序(コスモス)から排除される混沌(カオス)の象徴であり、それは悪意があると言えないものも含む「ひとりぼっちの存在」であることもあるとされます。
 ここで、切通理作さんの挙げた沖縄出身の金城哲夫さんは「沖縄と日本の架け橋になろうとした」というくだりがあります。
 それが『ウルトラマン』でウルトラマンに変身するハヤタに「自分は宇宙人と人間、両方だ」と言わせた可能性もあります。
 同じく沖縄出身の上原正三さんは、「僕は沖縄抜きには作品を書けない」として、沖縄への日本本土の差別への批判を込めていたとされます。『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」が有名です。
 また、佐々木守さんの作品は『ウルトラマン』のガヴァドンなど、公権力や武装する人間を揶揄する扱いがあります。
 市川森一さんの作品でも、『ウルトラマンエース』や『帰ってきたウルトラマン』の主人公が周りに信用されない構図が、公的なものへの不信感を描いています。
 金城さんは「機動隊が民衆の敵とみなされるのに義憤を抱いた」、「沖縄と日本のどちらにも所属出来ない沖縄出身の自衛隊員の孤独に注目していた可能性がある」とされます。
 ここから、佐々木さん、上原さん、市川さんの作品には、沖縄に対する日本本土の扱いや公権力に憤る面があったと言えます。
 私が読んだ2000年の宝島社文庫版では、「本書では無防備な、素朴な戦後左翼的認識があるが、脚本家の左翼性には距離を置いている」と解説されています。

左翼の「自由、平等」の軸

 左翼は、一般的に伝統に反する、理性による改革を重視するとされ、それが権力への反発を生み出すともされます。
 しかし、ここに逆説的な概念があります。それは「ナショナリズム」です。
 ナショナリズムは国家主義と言われることもあるものの、本来は近代化による「国民の自由、平等」を重視するもので、それが国の外に進出する発想を生み出したとされます。つまり、伝統的な社会の権力とは言い切れないのです。フランス革命が関わっているそうです。
 たとえば、『ターミネーター4』で機械が起こした戦争で、人類の抵抗軍としてラジオにより人を集めようとするジョン・コナーの「これを聞いている君は、抵抗軍の一員だ」という言葉は、上司に逆らうこともあるジョンの反骨の姿勢なども含みます。
 しかし、ジョンが英語しか使わないため、「英語の話せるか」で助け合う優先順位を決めてしまう無自覚な排他性があります。それはアメリカ映画では描きにくい影を持つ「英語ナショナリズム」です。

2022年5月4日閲覧


 『怪獣使いと少年』にも、沖縄の「日本語教育」の概念があり、日本ナショナリズムがあったと言えます。
 切通さんも、「琉球を攻めた薩摩も、蝦夷や隼人を攻めた東北の人も、自分が同じ日本人だという自覚はなかった。ただ西洋からの価値観で、曖昧なこと、バラバラなことが許されなくなったから日本民族として集められたに過ぎない。日本民族というのは思い込みだ」と書いています。
 しかし、だからこそナショナリズムは本来左翼が自国民の「自由、平等」を生み出すためでもある「多様性のための統一性」なのです。


多様性を受け入れる政治的ルールのための単一の文化

 また、ナショナリズムの定義を、「政治的な境界線」と「文化的な境界線」の一致だとする主張もあります。「政治」は法制度を司るものですが、「文化」の定義はやや曖昧です。

 しかし、たとえば「ウルトラマンのサムズアップを味方の意思だと解釈する」のも、広い意味では日本ナショナリズムです。『ウルトラマンサーガ』にそのような場面がありましたが、これは「地球の外から来たウルトラマンを味方と判断すべきか」というルールの境界と、「日本以外で通用するとは限らない身振りで意思を示す」文化の境界を一致させるものです。ある地球の日本人の人間と、別の宇宙の地球の日本人が変身するウルトラマンダイナだからこそ成立したのです。

 『ウルトラマン』のカラータイマーの赤く点滅するのを、「赤は危険、万国共通です」、「そんなの分かるか」という台詞がありました。また、犬は赤色を識別しにくいそうですが、『ティガ』の犬型の怪獣でカラータイマーを持つガーディーに「赤は危険」の概念があるかも微妙です。

 色覚はともかく、身振りを味方の意思と解釈するかは日本文化に依存する単一性のある概念と、人間でない存在と分かり合えるという多様性の可能性を撚り合わせており、それが一種の「日本ナショナリズム」なのです。

 近年はウルトラシリーズが海外に進出しているらしいのですが、『サーガ』の「会話しないウルトラマンのサムズアップ」が味方だと扱われる「日本文化」が他の国に入り、たとえばその国の子供に「これは世界共通なのか」と錯覚させてしまうと壁を感じる外国の視聴者がいるかもしれません。それは、無自覚な「日本ナショナリズム」です。

怪獣と左翼の対応

 
 ここで、人間の武力や権力で排除される怪獣を、「社会の外の混沌」であり、左翼の象徴だとしますと、実は怪獣こそ「左翼ナショナリズム」を生み出す可能性があることに気付きます。
 『ウルトラマンガイア』は、ウルトラシリーズで珍しくウルトラマンも地球の光により人間が変化した存在であり、そこから地球生命として地球の怪獣とは、人間とウルトラマンが手を組み、宇宙からの敵に立ち向かいました。現実にもある、地球は1つの生命体という「ガイア理論」に基づきます。
 しかし、宇宙から善意ある存在が来なかったため、宇宙から来るのを敵と断定する、というより移動するのを悪いとみなす単一性があります。
 軍事的な存在も協力しているので、「左翼」かはともかく、そこには、「地球生命の多様性を受け入れるが、宇宙からの存在は排除する」という意味の「地球ナショナリズム」とも言うべき概念があります。
 ちなみに、『怪獣使いと少年』でも挙げられた『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』では、戦艦大和を改造した宇宙戦艦で宇宙人と戦う『宇宙戦艦ヤマト』と、日本から独立した潜水艦でアメリカに圧力をかける『沈黙の艦隊』を比較して、「地球=日本」の図式があるのではないか、と批判的に扱っています。
 しかし、『ガイア』の怪獣は世界中におり、外国人も対話しているので、日本以外も受け入れられる「地球ナショナリズム」があります。ちなみに、私はナショナリズムに関して言語を重視するのですが、主人公の我夢は海外の地球怪獣のシャザックと分かり合うために、英語を訳してもらっています。ちなみにビゾーム戦では、ドイツ語を話せています。
 そのように「世界中」の言語を分かる努力をしても、宇宙人の言語は『ガイア』では通じないでしょう。その両面が「地球ナショナリズム」を生むのです。 
 また、地球怪獣同士は、風水師の仲介で地球の「気」を通じて呼応しているらしき描写もあります。これも、おそらく「宇宙とは通じない」ために、「地球ナショナリズム」を生む可能性があります。


「ガイア理論」とウルトラシリーズの結合の限界

 ところが、ここで『ウルトラマンZ』を通じて、実は「ガイア理論」がウルトラシリーズに適合しないところのある、そして「地球ナショナリズム」の限界が示されます。
 それは、「地球怪獣同士も争う」ことです。
 そもそも、『ウルトラQ』初回のゴメスとリトラ、『ウルトラマン』のレッドキングとチャンドラーとギガス、バニラとアボラス、『帰ってきたウルトラマン』のグドンとツインテール、『ウルトラマンタロウ』のバードンとケムジラ、『ウルトラマンコスモス』のリドリアスとゴルメデ、『ウルトラマンマックス』のグランゴンとラゴラスなど、むしろ地球怪獣が同時に複数現れたときには、互いに争うことが多々あります。
 というより、そうでなければウルトラマンや人間が怪獣による攻撃を防げない可能性が高いのですが。
 地球怪獣が多数登場しにくい『ウルトラセブン』、『ウルトラマンエース』、そもそも宇宙からの統一された敵しかいない『ウルトラマンネクサス』などを除けば、むしろ地球怪獣同士の争う物語が多いのです。
 『ウルトラマンメビウス』のレッサーボガールや『ウルトラマンティガ』のクリッターは共食いの性質があります。
 共食いはともかく、地球怪獣には自分達が「地球怪獣」だという意識が低い可能性、そもそも「レッドキングはレッドキング、ギガスはギガス」という単位で争う可能性が高いのです。

 また、『ウルトラマンコスモス』の宇宙人のウルトラマンコスモスのスペースコロナモードは、「気(ウルトラ念力)」を使いやすいとされ、先述した『ガイア』の「気」の概念も、『コスモス』では宇宙人にも含めて適用出来るかもしれません。

怪獣を攻撃する怪獣


 
 それをあまり認識していないのが『ウルトラマンZ』でした。
 元々主人公のハルキは怪獣を敵だとみなして、人間を守るための武装に積極的でしたが、倒されたレッドキングの父親が子供を守ろうとしていたこと、それが自分の父親に似ていたことに気付いて、重ね合わせて見逃しました。
 しかしそれ以降、ウルトラマンや異次元人ヤプールの能力を複製した人間の兵器「ウルトロイドゼロ」が、科学者のユカ曰く「地球という1つの生命体にとって危険だとみなされた」らしく、キングゲスラ、タッコング、ゴメス、デマーガ、パゴスが「暴走」して団結してウルトロイドゼロに立ち向かいました。しかしそこには、レッドキングの生き残った母親が加わっていません。
 動けない卵を守るために自発的にウルトロイドゼロに立ち向かえなかった、ウルトロイドゼロがセレブロに奪われて襲って来るまで受け身にしかなれなかった可能性もあります。しかしこれまでのウルトラシリーズから考えますと、「そもそもレッドキングは他の種類の地球怪獣と協力する気がない」という可能性、「負の多様性」が見て取れます。
 実際に、ハルキは先述したのと別のゴメスから犬を守ろうとしてビルを破壊して上司に叱責されましたが、それは「ゴメスは人類だけでなく犬も殺そうとした」ということなのです。
 ハルキはレッドキングの前にギガスを殺しており、『ウルトラマン』の歴史を知りませんが、場合によってはレッドキングがギガスを殺した可能性もあるのです。
 つまり、「地球は1つ」という自然観は、自然に地球怪獣同士が争うこともあるウルトラシリーズでは合わないこともあるのです。

『ガイア』における「ガイア理論」の限界


 
 『ガイア』でも、細かく観ますと、シャザックの家族を除いて、種類の異なる地球怪獣同士はそもそも目に見える範囲で接触しておらず、風水師による呼びかけにも「声」でしか反応していません。それが本当に「団結」なのかは分からないのです。切通さんも、『地球はウルトラマンの星』で「共闘の意識があるかは画面からは分からない」としています。
 『ガイア』では、地球怪獣同士が接触しなかったため、共通の頭上の敵にエネルギー弾を放っただけで、それ以上協力し合えるかの疑問が生じずに済んだのです。
 つまり、『Z』はギガスが先に殺されていた、レッドキングが卵を守るために動けなかったようにも見えることなどで、レッドキングが他の地球怪獣と争う可能性を表面化させずに「地球怪獣の団結」だけを描いた珍しい作品なのです。

怪獣同士の争いと「沖縄の内部」

 また、上原さんは、「沖縄の内部にも差別がある」と話し、「沖縄の人間を被害者として団結させようとは言わない」、「上原さんにとって脚本は家族を守る手段」と切通さんに表現されています。
 そして、上原さんは複数の怪獣を同時に登場させるのが好きで、『ウルトラセブン』の未制作の脚本で数十体の怪獣を出すことさえあったとしています。
 上原さんにとって、赤毛はアメリカの象徴として、「沖縄で差別する者とされる者の両方のイメージがある」とも書かれています。
 レッドキングは本来赤い怪獣の予定で、そのイメージに繋がるそうです。
 しかし、それを逆に考えますと、上原さんの作品では、レッドキングはそれこそ「人間に排除される者」、「他の地球怪獣を排除する者」となります。実際に、上原さんの作品で天敵であるグドンとツインテールは争い、家族であるシーモンスとシーゴラスは協力し合います。
 そして『Z』でのレッドキングは、「血の繋がった家族は守る者」となり、「他の地球怪獣を攻撃する」かは曖昧なのです。
 仮に怪獣を人間による武力などによる秩序に逆らう「左翼」の象徴とすれば、『Z』のレッドキングは「家族を守るが、外部から攻撃される場所を共有する存在でも、家族以外とは馴れ合わない左翼」の象徴であり、キングゲスラやタッコングは「同じ場所に住む存在として、外部からの敵に立ち向かうために団結する左翼」の象徴だと考えられます。
 人間や異次元人、地球、地球怪獣、レッドキングが、日本本土、沖縄、沖縄で団結する左翼、沖縄で家族だけを守る左翼に対応するとも見られます。

「負の多様性」を見ない、「物事の裏しか見ない」 

 ユカは「人類は地球じゃなく人類を守っているだけ」と言っていますが、それは人類の敵が人類しか狙わないような、人類の表の論理の裏しか見ない表現です。ハルキも「怪獣は人間の敵」という表を裏返して「怪獣にも事情がある」という裏を見たものの、表と裏を合わせて、「怪獣は人間以外も攻撃する」という視点が足りません。
 次作『ウルトラマントリガー』では、「笑顔」を重視するためか怪獣を敵とみなす傾向があるものの、バニラとアボラスの争い、すなわち地球怪獣同士の争いを描写したことで、地球怪獣の「負の多様性」を直視したところがあります。
 「怪獣のための多様性」の正の面しか見ないのは、『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』のトレギアの「片方の局面からしか見ない」を裏返した、「周りの裏しか見ない」とも言えます。それがかえって、「地球怪獣ナショナリズム」を強化するのです。

「人間同士の争い」を想定しない

 ある意味で『ガイア』と対になるナショナリズムを持つ『ウルトラマンメビウス』が、そのような楽天的な部分を持ちます。
 『メビウス』では宇宙人のウルトラマンメビウスが、怪獣から人間を守ろうと懸命に戦いますが、自分に反発する人間や青いウルトラマン「ハンターナイトツルギ」、そして身勝手なところのある宇宙人のザムシャーも説得しようとする優しさがあります。しかしそれと引き換えに、怪獣を敵だとみなすのに疑問が見られず、『ガイア』とは対照的です。
 メビウス=ミライは、隊員同士が言い争うと、「どうして僕達が争わなければいけないんですか!」と説得したこともあり、劇場版で初代ウルトラマンに「地球人の精神は複雑だ」と言われています。つまりミライは、「人同士が争うなんておかしい。敵は怪獣だ」というある種の楽天的な純粋さを持つのです。
 しかし、このようなナショナリズムに似た「団結と排除の二面性」は、他の作品にもあります。
 『JIN-仁-』ドラマ版で幕末の攘夷などの争いを坂本龍馬が「兄弟喧嘩ばかり」と言っており、「自分達の共通の敵は国の外にいる」とみなしているようです。『ターミネーター4』、『ターミネーター・ニュー・フェイト』では、「機械が共通の敵であり、人間同士で争っている場合ではない」という台詞があります。
 また、私は『るろうに剣心』で、明治十一年を描き「欧米列強」という概念が登場しながら西洋人がほとんど登場しないこと、大久保利通の「ネイションステイト」を「理想論」としていることから、外国人を議論の外に置き、日本国民の平等や自由を重視するナショナリズムがあるとみなしています。
 『るろうに剣心』では、「どうして日本人同士で争わなければならないのだ」というミライに似た概念があるようです。同じジャンプ作品では、『NARUTO』の「主人公の敵も、自分の仲間や里を大切にする心を持つことはある」という描写があります。
 しかし、それも切通さんから見れば「ナショナリズム」でしかないかもしれません。

左翼の内圧の連鎖

 これを整理しますと、『Z』の「地球怪獣ナショナリズム」は、レッドキングのような「家族しか守らない、他の種類の地球怪獣を敵視する」地球怪獣の「負の多様性」の描写を避けて、地球怪獣の「人間に反乱するための地球怪獣の統一性」という逆説的な部分を描いているのです。
 それは、左翼による逆説的なナショナリズムだと言えます。
 しかし、左翼とナショナリズムは相性が悪いという意見もあります。
 上原さんの言及する「沖縄の内部の差別」は、左翼同士の対立を招く可能性もあります。
 実際に、上田紀行さんは、ナショナリズムとは別ですが、「左翼同士は仲が悪い」、「平和を目指す左翼が、まずは内部の平和を目指すべきだ」と書いています。
 また、『大世界史』「「右」も「左」も沖縄を知らない」で、佐藤優さんは、朝日新聞デジタル版の「沖縄の内部にも、琉球王国による宮古などへの制圧があったのだから、沖縄の未来を切り開くためにも内地(本土)からの知的なマンパワーが必要である」という趣旨の主張を紹介しています。
 これを佐藤優さんは、「ナショナリズムを分かっていない。ナショナリズムより下位の段階でより強い結び付きのナショナリズムが成り立つならば、それはナショナリズムではない。沖縄の分断を引き起こす。沖縄にとっては『産経』や『読売』はどうせ敵だから良いが、『朝日』は味方か分からないからけしからん、ということになる」と書いています。
 朝日新聞の「左」の部分は、佐藤さんには、共同体の外圧に対する内部からの反発を「自由」として重視するものの、沖縄の内部からの反発も連鎖して引き起こすとみなされているのかもしれません。

日本のナショナリズムと左翼

 それがレッドキングの「他の種類の地球怪獣と協力しない、家族しか守らない地球怪獣」に、私には重なるところがあります。
 「地球怪獣同士が争わずに団結して人間に立ち向かう」左翼のナショナリズムに似た団結も、レッドキングのような「家族しか守らない左翼」に似た反発にも、それぞれ良し悪しがあります。
 『シン・ウルトラマン』に話を戻しますと、「日本にしか現れない」「多数の禍威獣」が「八百万の神」として団結するのを前向きに捉える「ヤオヨロズ作戦」があれば、それは外国の存在を「不自然」として排除する「日本禍威獣ナショナリズム」になる可能性があります。その良し悪しを見極める必要があります。
 「自然を大切にするのは日本だけか」という問題があります。

 『ウルトラマンオーブ』では「東京は世界有数の龍脈(気の流れ)があります」という説明があります。『ウルトラマンX』の世界の地球では、日本が平均よりきわめて多く怪獣の人形が集中しています。「日本に自然の中でも特別な何かがある」という点はあるかもしれません。
 『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』では、「大和の守り神」と呼ばれる怪獣と人間の「防衛軍」がゴジラに勝ち、軍人が「守り神」に「敬礼」しました。『ガイア』のティグリスⅡにも似ています。

 この「守り神」は人間の自然破壊などには憤りますが、あくまで山などの大和言葉としての「くに」を守る存在でした。
 『シン・ゴジラ』では、日本の総理大臣がアメリカに逆らうときに、「我が国は、アメリカの力による覇道ではなく、仁徳による王道を行くべき」という概念がありました。

 

ナチュラリズムとナショナリズム

 さらに、中島岳志さんは『保守と立憲』で、「日本の食」、「有機栽培」などを重視するナチュラリズムが、日本のナショナリズムに繋がると指摘しています。
 自然を守るという地球怪獣の動きが地球ナショナリズムを生み出すと私がみなすように、「日本の自然を守る」思想がナショナリズムに繋がる危険性があります。
 『相棒』でも、外国人に排他的な議員の息子が、「外来種は日本を滅ぼす」と言っていました。それに刑事は反論しにくくなっていました。

日本と外国、地球と宇宙も繋がっている


 しかし、念のために続けますと、日本の文化も外来の要素を取り込んだところがあります。日本の宗教から仏教を切り離して、神道だけで成立はさせにくいでしょうし。
 『シン・ゴジラ』の「仁徳による王道」も、元々は中国の概念ですし。
 また、『ウルトラマンコスモス』のザランガや『ウルトラマンX』のホオリンガは、定期的に宇宙から地球に来る怪獣で、生態系に適合している、むしろ助けている可能性があります。人間が知らない長い周期で、地球と宇宙の生態系すら繋がっている可能性があるのです。

 環境問題でしばしば使われる、「宇宙船地球号」という表現も、ウルトラシリーズでは必ずしも当てはまらないのです。
 宇宙から来たために外来種だという発想は『ウルトラマントリガー』のギマイラや『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』にありますが、それにも限度はあります。そもそも、地球生命の起源を宇宙だとする説が現実にあります。日本人も、人類学としては当然外から来ています。

「多種多様」、「変わった人」

 また、『シン・ゴジラ』では、ゴジラ出現で経済的にむしろ得をする人間がいることを、「多種多様」と表現する人間もいます。また、日本政府を恨み、ゴジラの活動を促した可能性のある牧教授が、それに対応する手段のヒントを残し、「私は好きにした。君達も好きにしろ」と言い残したのを「変わった人」だと表現しています。
 これは、「多様性」や「自由」の影を直視したのかもしれません。「禍威獣」の「日本だけに現れる」のが「負の多様性」である可能性もあります。

まとめ

 『シン・ウルトラマン』は、「日本にしか現れない禍威獣」が「八百万の神」として団結する「ヤオヨロズ作戦」が行われる可能性を考えました。
 それは「日本禍威獣ナショナリズム」の排他性のリスクがあり、それに「禍威獣同士も自然に争う可能性がある」、「そもそも日本と海外も緩やかに繋がっている」などの概念を持ち込む必要があるかもしれません。

参考にした物語

特撮テレビドラマ

円谷一ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966(放映期間),『ウルトラQ』,TBS系列(放映局)
樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)
野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)
本多猪四郎ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1971,『帰ってきたウルトラマン』,TBS系列
筧正典ほか(監督),市川森一ほか(脚本),1972,『ウルトラマンエース』,TBS系列
筧正典ほか(監督),田口成光ほか(脚本),1973,『ウルトラマンタロウ』,TBS系列
村石宏實ほか(監督),長谷川圭一(脚本),1996 -1997,『ウルトラマンティガ』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),川上英幸ほか(脚本),1997 -1998(放映期間),『ウルトラマンダイナ』,TBS系列(放映局)
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)
大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村上秀晃ほか(監督),金子次郎ほか(脚本),2005-2006,『ウルトラマンマックス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2015,『ウルトラマンX』,テレビ東京系列(放映局)

田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016 (放映期間),『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),吹原幸太ほか(脚本),2020,『ウルトラマンZ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),ハヤシナオキほか(脚本),2021-2022,『ウルトラマントリガー』,テレビ東京系列(放映局)

テレビアニメ

庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)

アニメ映画

庵野秀明(総監督・脚本),摩砂雪ほか(監督),2007,『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』,カラーほか(配給)

庵野秀明(総監督・脚本),鶴巻和哉ほか(監督),2021,『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』,カラーほか(配給)

特撮映画

金子修介(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2001,『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』,東宝(配給)
小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),2006,『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』,松竹(配給)

おかひでき(監督),長谷川圭一(脚本),2012(公開),『ウルトラマンサーガ』,松竹(配給)
庵野秀明(総監督・脚本),2016,『シン・ゴジラ』,東宝(提供)

マイケル・ドハティ(監督),マック・ボレンスタイン(脚本),2019,『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』,ワーナー・ブラザーズ

実写映画
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)
ティム・ミラー(監督),デヴィット・S・ゴイヤーほか(脚本),2019,『ターミネーター・ニュー・フェイト』,パラマウント・ピクチャーズ

テレビドラマ
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2009,『JIN-仁-』,TBS系列(放映局)
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2011, 『JIN-仁- 完結編』,TBS系列(放映局)

橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)

漫画
和月伸宏,1994-1999(出版社),『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』,集英社(出版)
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)

テレビアニメ

伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)


https://m.youtube.com/watch?v=X-Q0z0V8VnI
2022年5月3日閲覧

『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』

https://shin-ultraman.jp/sp/story/
https://twitter.com/shin_ultraman/status/1514876177931939841?s=21&t=WZ8_b8GRoffDzCd3CWhnuw
https://m.youtube.com/watch?v=3G0dtM4BFn8
https://m-78.jp/news/post-5776
2022年4月30日閲覧

https://twitter.com/hg1543io5/status/1517449075570122752?s=21&t=WZ8_b8GRoffDzCd3CWhnuw

2022年4月30日閲覧

https://twitter.com/hg1543io5/status/1520702227580882944?s=21&t=Ptdm7bppgKVbOCmsI-Romw

2022年5月3日閲覧

参考文献

切通理作,2000,『怪獣使いと少年』,宝島社文庫
切通理作,2000,『地球はウルトラマンの星』,ソニー・マガジンズ
池上彰,佐藤優,2015,『大世界史 現代を生き抜く最強の教科書』,文春新書
中島岳志,2018,『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』,スタンド・ブックス
上田紀行,2010,『「肩の荷」をおろして生きる』,PHP研究所
上田紀行, 2010,『ダライ・ラマとの対話』,講談社文庫
上田紀行, 2008,『かけがえのない人間』,講談社
佐藤健志,1992,『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』,文藝春秋

大澤真幸(編),2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ
伊勢武史,2013,『「地球システム」を科学する』,ベレ出版
ローレンス・E・ジョセフ(著),高柳雄一(訳),1993,『ガイア 蘇る地球生命論』,TBSブリタニカ

てれびくん編集部,2003,『ウルトラマンコスモス超全集』,小学館

 
 
 

 
 
 
 
 


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