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ブルーカラーな私たち
父親はむかし、建設現場の現場監督をしていた。
一口に現場仕事といってもいろいろある。雇われて働く人もいれば、人員を管理する人もいる。父は後者だった。マネージメントする側。同僚はみな大卒で、中にはいいトコの大学を出ている人もいた。
「でもな、作業服着て働いとると、近く通りかかった親子連れのお母さんがこっち見て言うんだわ。『ちゃんと勉強しないと、将来ああなっちゃうわよ』ってな。それ聞いた同
ちゃんと叱られて育ちたかった?
ちゃんと叱られて育ちたかった。そんな思いがどこかにある。
「ゆとり」と揶揄されて育った世代だから、学校でしばかれたという記憶がない。運動部の子たちは多少、厳しい指導も受けただろうが、自分は文化部だった。文化部なら指導されないというものでもないが、厳しい扱いは受けたことがない。
学校の先生たちは、怒り怒鳴ることはあっても、適切に「叱る」ことはほとんどなかった。生徒の将来のためを考えて、
下着メーカーが、女性用ふんどしを売り出したときがあった。「あれは紐だから、パンツのゴムと違ってお腹を締めつけないからいい」と聞いて、何気なく父に「そうらしいよ」と言った。すると父は「お前ふんどしなんか着ける気か?もしそうなら勘当だぞ」と急に温度が高くなった。なんだったんだ、あれ。