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感動屋さんになってみる

素敵に思えたこと

ついこないだの話ですが、公園でたくさんの親子が遊んでいました。小さな子供たちが自由に遊んでいる中で、多くの大人たちは、それを見守るように、ただ観覧していたのですが、その中で、ひときわ輝いている方を見つけたんです。その方は、子どもたちと一緒になって、アスレチックに登ったり、滑り台を滑ったりしていたんです。その時の、はしゃいでいる様子は、何よりも幸せそうに見えました。僕は、子どものように楽しんでいる姿をみて、とてもほっこりして、いいなって、素直に羨ましく感じたんです。

子ども時代の頃を思い出すと、僕は夏休みの課題で作った恐竜の貯金箱に小銭を貯めていました。何かある度にお小遣いを我慢してお金を入れていました。コツコツと貯めて、やっとの思いで満杯にすることが出来たのです。正確な金額は忘れてしまったのですが、確か一万円に満たなかったと思います。でも、僕は大大満足だったのでした。それはもうどこかの王様だったような気分でした。その時は、駄菓子を買って、友達や弟にあげたような気がします。

大人になってみると、公園ではしゃいで過ごすとか、一万円を貯金出来たことに対して、ちっぽけで大したことないって思ってしまうものです。

幸せの選別

以前の僕もそうでした。幸せとは、何か大きなことを成し遂げないといけないと思っていました。小さな幸せは、すぐに忘れ去ってしまうものだって考えていたからです。どんなに大好きなエビフライを食べたとしても、すぐにエビフライは恋しくなるものだから。かといって、エビフライばっかり食べていたら、飽きてしまうものだから。小さな幸せも同じだと思っていました。

成功することこそ、本当の幸せになれる。そう考えていた僕は、大きな成功を手にしようと躍起になりました。ある方から、成功するまでは、死んでも働けという教えに、共感し、将来の成功の為ならと、今の自分の幸せを我慢しないといけないと思い、我慢するようになりました。自分にどんなに痛い鞭を打っても構わない。どんなに辛い思いをさせても構わない。そもそも、それくらい、人生をかけないと成功なんて出来るもんじゃないんだ。だから、もっともっと仕事に集中するんだって。仕事とは、自分を捧げて、自己犠牲のもとに成り立つものだと。小さなことに構うな。成功して大物になりたいのなら、ちっぽけなものは、気にしてもしょうがないじゃないかって。

こんな考えで、自分で幸せを大きいとか小さいとか選別するようになってしまっていた僕は、いつしか心を無くしてしまったのです。世界の全てを損得でしか、計れなくなってしまったのでした。

それは、実に悲しいことだったのです。人間関係も、忠告してくる人は、損害しかもたらさないとして、雑に扱っていました。仕事上で売り上げに貢献してくれる、ちやほやしてくれるといった人たちは、利益をもたらす人として、大事にしようとしていたのでした。

そうしたつけが回ったのか、僕は、同じように、いいようにしか扱われなくなったのです。会社では、ただただ、無茶な売り上げノルマを言われ、クリア出来ないのは、努力が足りないからと、休日はもってのほか、寝る暇すら取り上げられてしまったのです。会社の奴隷だった僕は、必死にしがみつきました。しかし、次第に精神を病んでしまい、僕は大きな挫折を味わってしまったのでした。

その時の僕は、プラスの感情はいっさいなかったし、悲壮感もありませんでした。どうして、こんなにも自分ばかり辛いことばかりなのかって、悲しみに打ちひしがれていたんです。それは、間違いなく会社だけのせいではありません。原因の多くは、僕が勝手に幸せを仕分けして、幸せのハードルをとんでもないくらい高くしてしまったからでした。

未来はイメージ通り

未来は結局、僕が自分自身をイメージした通りになっていくものだと、最近思うようになってきました。悲しみに明け暮れていたときは、僕は僕自身で、低価格の居酒屋で、お酒に飲まれてしまい、うだうだ言っているような、絵に描いたような、転落人生を想像していました。案の定、お酒に逃げて、毎日のように飲んだくれていたのですから。

そうした自分のイメージから、抜け出すには、かなりの時間と心の浪費を要した気がします。

自分のイメージをどう描くのかが大事だと考えた時に、やっぱり、あの時の公園で、はしゃいでいたほほえましい親子の姿だったのです。羨ましく感じたのは、僕の正直な気持だったのです。そして、子供の頃のような、小さなことにでも、ワクワクしたり、感動できるような人でありたいと。

その時から、あれこれ考えてみたんですが、感動屋さんになりたい。そう思うようになったのです。

大人になってから、しばらく忘れていたこと。色んなことに感動できる人。そうはっきりと自分で決めてみると、すぐに効果がでたものです。

ある雨の日、仕事をしていると、その日だけは早く帰宅したいと思い、綿密な計画を立てて頑張ったのですが、大事な書類を作成するのを、すっかりと忘れました。ですので、結局、いつもより残業してしまったのです。普段だったら、早く帰りたかったのにと、落ち込みため息をついてしまうものです。もっと、しっかりしなきゃって、自分を叱っていたかもしれません。

ですが、感動屋さんを目指したことで、僕はちょっぴり変われたのです。会社を出ようと、玄関の扉を開けてみると、すっかりと雨が止んでいたのです。「凄い!残業したおかげで、雨が止んだ!」なんだか、とっても嬉しかったのでした。普段でしたら、気にも止めないことで感動することが出来たのでした。感動したいから、心が感動を感じる基準を下げてくれたのでした。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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