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自分を受け入れるということ

人に認められたい問題

誰かに認められたり、肯定してもらえると、安心することができます。逆に、誰かが認めてくれなかったり、誰かに否定されてしまうと、たちまち不安になってしまうものです。

今になって、かつての僕を振り返ってみたのです。すごく自分に自信を持つことが出来ていませんでした。だからこそ、余計に、人に認められて安心したかったのかもしれません。人に認められることに必死になっていたような気がします。しかし、僕は理想を描き過ぎていたのかもしれません。誠心誠意、真心を持って人と接することが出来れば人に、絶対に認められると思っていましたのですから。

しかし、どんなにがんばったところで、全ての人に認めてもらえるはずはありません。だから、僕自身を安心させることが、なかなか出来なかったのです。不安ばかりがいつも付きまとうのでした。

そうやって、挫折を繰り返していくうちに、僕の真心は人に通じないと思うようになりました。社会人になって酷いいじめを受けたことがありました。その時に、必要ないから排除してやると言われた時の状況といつまで経っても人から認められない状況が重なるようになったのです。

その時から、僕は過度に人の顔色を伺うようになったのです。ひとりになった時に、もう少し冷静になれないかと考えたのですが、人と直面すると、後輩であろうと、家族であろうと、それまでは気の合う友であっても、顔色ばかりが気になったのです。人を気にし過ぎる問題は、思いの外、僕を疲弊させるものでした。

次第に疲れてきってしまった僕は、自分のことをみじめでみすぼらしいと思うようになりました。ただ、その時に幾人かの人に、大丈夫かと心配の声をかけてもらえたのでした。僕は、ほんの少し安心す出来た気がした気がしたのです。

そこに味を占めてしまった僕は、あえて、どん底の自分をみせて、相手から受け容れようとするようになったに違いありません。

しかし、結果的にはもちろんのこと、どん底ばかりの自分なんか、認められることはなかったのです。その上、どんどん自分に絶望していくばかりでした。改めて思うことは、これはただの悪い癖でしかなかったのです。

こうした問題は、その都度、人間関係の問題となって表れます。人から、嫌われたり、いざこざが絶えなかったり、余計にこじれたりします。自分と自分との関係も、自分を卑下に貶めてしまいます。上手くいかないことに、感情的にもなってしまいます。

それは、自分が望んでいた人生だとは、到底言えませんでした。一体何が悪かったのか。僕自身に原因があることは分かっていても、何をどうしていいのかも分かりませんでした。

完璧でもないし、不完全でもない

こうした問題の中で、僕は人から認められたいと強く思っていたのですが、だから、自分自身が自分を受け入れなければいけないだとか、人間関係のスキルを身に付けなければいけないと、色々と考えてしまうのですが、どうして、自分は認められたいのかを考えることが大切であったのです。

それは、幼き頃の辛い悲しい体験からくるものだとされていました。それが無意識の中に残り続けていることが原因となっていることがほとんどなのだそうです。

僕自身は、母親に否定ばかりされていたことが原因でした。そのことで、見放されたくないと子供ながらに常に強い不安を抱えていたのです。だから、何よりも安心したいという気持ちが強かったのです。それが、大人になって表面化して、人に認められたいと思うようになっていたと推測することが出来ました。

それを知ることが出来たから僕は、じっくりと考えてみたのです。そんな時に出会った、僕の心に響いた言葉があります。「完璧な人なんかはいない。どんなに好きな人であっても、どんなに愛している人であっても、その人の全てを愛することは出来ない。」ということ。

例え、親であっても子供の全てを愛して、受け容れなければいけないのでしょうか。中には憎たらしい部分もあるはずです。そもそも受け入れるということは、全てを無条件に認めなければいけないと言う考え方自体が、間違った信念であると言えたのです。思い込みだったのです。

例え、愛していたって、その人の全てを好きにならなくてもいいし、全てを受け入れなくていいものなのです。

だから、僕の場合であれば、あの時の母親だって、完璧な人間ではなかったはずなのです。間違った言い方をするし、間違った接し方をするはず。その時は、母にとって、最も嫌なことを僕がしでかしていたのかもしれません。今となっては分からないことではありますが。

だから、自分自身を受け入れていくためには、自分自身をこう捉えていくことが必要だと思えたのです。

自分は愛されることの出来ない存在だと羞恥心を抱かなくていいんだよ。何処かしら欠陥のある存在だと罪悪感を抱かなくていいんだよ。決して、生まれてきてはいけなかった存在だと否定する必要は何処にでもないんだよ。たまたま、運が悪かっただけなんだって。たまたま、タイミングが悪かったに過ぎないんだって。

こうしたことを前提に、こう僕は自分に言い聞けせています。

あの時の苦しかった時と比べてどうだろう。当時の自分と今の自分は違うはずでしょ。成長もしたし、強くなっているものでしょ。過去の自分だってそうなんだ。その時の自分で精一杯最善を尽くしていたに過ぎなかったんだって。今の自分もそうすればいいだけのこと。今の自分に出来ること精一杯頑張るだけなんだって。

僕は完璧でもないし、不完全でもない。
今の僕自身と僕の大切な人を守るだけなんだ。

この言葉が心に染み込んだ時、自分を受け入れることが出来るのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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