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劣等感と向き合う(後編)

すぐに誰かと比べてしまう癖は、劣等感からもたらされているものだと思います。その劣等感が僕の人生に、深刻なネガティブさをもたらしました。詳しくは前編を読んで頂きたいのですが、後半の部分では、劣等感の原因と手放し方を、僕が自分自身の過去を客観的にみた上で考えていきたいと思います。

劣等感を生み出すふたつの思考

感情が生まれるにあたって、ひとつの思考が結びついていると言われています。だとするのなら劣等感を生み出す原因である思考がどういったものかをを探る必要があります。

前編を読み直したときに、劣等感に支配されるきっかけは、「僕は、不器用だから。」という考えからだったと、断言しています。つまり、劣等感という感情は、自分には欠けている部分があるという考え方から生み出されています。

しかし、この考え方はどう見ても、決して悪いものには思えません。そこから、読み進めていく中で、見えてきたものは、次第に自分に欠けているという思考が、非常に強くなっていったこと。

そうなってしまうと、自分にないものや自分に欠けているという考え方が、自分だけがないと感じて、他の人は持っているという思考に発展してしまうこと。それは、自分が落ち込んでいる時に、周りの人たちが楽しそうにしているように見えるのと同じ心理です。自分だけが置いていかれたような気持ちになれば、寂しさがうまれ、そこから怒りや疑い嫉妬といったものに発展してしまうことでした。

そして、もうひとつは、自分だけが著しく劣っているという考えです。異常なコンプレックスであると言えます。僕が劣等感に支配されていたと、自分でそう思っている時期では、自分の顔も身体も声も、人より劣っているように思えて、嫌いで仕方ありませんでした。その思考のもとでは、人を攻撃しかねない被害者意識が強くなってしまいます。

こうした思考のもとでは、強く劣等感を生み出し感じるものになるために、手放すべき思考であると言えます。

劣等感を手放すには

こうした思考を手放すには、原因であるこのふたつの思考を、大きな思い込みであると証明しなければいけないのですが、残念ながら、誰かと比べて自分に優越をつけることでは、心を貧しくしてしまうことは確かなことです。更にいえば、そこで感じる優越感は一時的なものです。

人と優越をつけて、自分よりも下を見下したところで、劣等感を手放すことは出来ないものだと考えています。結局のところ、人の良し悪しなんて誰にも決められないということなのですから。

ここで、少し話は変わりますが、この劣等感と言うものは、年齢を重ねるにつれて、少しずつ薄れてきているようにも感じるのです。それは、どうしてなのかというと、自我が確立されていくからではないかとおもうのです。色んな経験から、自分はこういう人間だ言うことが分かってくるからだということです。

自分という人間は、もうこいった人間なのだか、誰かと比べてはしょうがないと思うようになるのではないかと僕は推測したのです。

つまり、開き直りこそ、劣等感を手放す方法なのです。それは、ある意味、何もかも、どんなことも受け入れる姿勢であること。自分は自分だと思えていること。

時には、人生はそんなものだとか、なるようにしかならないとか、肩の力を抑えて、楽観的に生きることも、とても大事なんだと感じています。年齢を重ねるにつれて、そういう生き方が上手くなっていくのかもしれません。

呼吸を意識してみる

人生が一度しかないから、どうしても肩に力が入り過ぎてしまいます。しかし、それでは、劣等感を筆頭としたネガティブな感情に振り回されやすくなるものだし、周りが見えずに、冷静的な判断もできないものです。

ここで余談ですが、人は軽やかに生きる方が、生きやすい為に、人生が一度だと思えば思うほど、肩に力が入ってしまうために、死後の世界や輪廻転生といった教えを導きだしたのかもしれないと思うのです。

そういった時は、必ずといって、呼吸は浅く速くなっているものです。従って、血液中の酸素濃度が著しく上昇するために、息苦しくなります。

そうであるから、人生そのものに対して、生き辛らくも生き苦しくも感じるものなのです。ですので、日常の中で、自分の呼吸に意識することも時には大事になってきます。だからこそマインドフルネスも、呼吸に意識をおくところに重きをおいています。

つまり心技一体なわえですから、呼吸法を身に付けて、日頃から穏やかにな呼吸が出来れば、気持ちもおだやかでいられやすいものだと考えることが出来きるのです。呼吸も意識する必要があります。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー



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