心理的安全性と次の時代の採用要件
りお>
Googleの研究、プロジェクトアリストテレスでは、生産性向上に最も関連性の高い要素が『心理的安全性』であるとされました。
しかしこれは、心理的安全性が高いチームが必ず成功すると言っているわけではありません。管理職が心理的安全性を高めることに集中して頑張ったとしてもチームを成功に導けないケースも少なからずあったはずです。心理的安全性が高いとしても、チームがうまくいかないケースというのは、具体的にどんなものがあるのでしょうか。
としぞう>
もちろんです。プロジェクトアリストテレスが示した結果は心理的安全性が高い組織の方が必ず成功する!というものではなく、統計学的に成功する可能性が高い、ということに過ぎません。この結果はチームで協力するときに必要となってきますので、個人プレイの場合には必ずしも必要なわけではありません。加えてもちろん、製品がよくなければ売れませんし、景気の良し悪しにも左右されます。その他にも数え上げたらキリがない無数な要因が存在する可能性があります。
ただ、そこで全く同じチームで、状況である時、一方が心理的安全性が高く、もう一方が心理的安全性が低い時に、確率論的に心理的安全性が高いチームの方が成功するからなるべく心理的安全性を高めましょう、ということになります。もう一つ大事な点としては「我々は心理的安全性は高い」と思っているチームの方が心理的安全性は下がる傾向にあることです。「我々は心理的安全性がこんなに高いのに失敗したということは、心理的安全性が高いからといって成功するわけではないんだ、そうに違いない」と考えることで、実際は心理的安全性が低いのに気づくのを恐れている、というケースは多い気がします。
りお>
なるほど。外部環境は想定できる範囲でするしかないですよね。程度にもよりますが、未来を予測することは相当難しい。
確率論的に成功するとあらゆる統計で証明されているから高めておこうという論にはとても納得です。心理的安全性が低い時が多いかもしれないということに不安を感じ、それに気づけている状態こそが心理的安全性が高いというのは逆説的で面白いですね。
としぞう>
そうなんです。本当に宇宙の原子レベルで全ての情報を集めることができればこれが正解である!という未来予測を出すことができるかもしれません。ただ実際の未来予測が不可能であるのであれば、中途半端に未来予測になるべく近い方法はこれだ!と決めつけるよりは、柔軟に捉えていたほうが心理的安全性は高まりやすい。明確に方針は定めつつ、柔軟性を維持する言葉としてみんなで心理的安全性を意識しましょう、違和感は共有しあいましょうという文化や習慣は成功する確率を高めるのです。ただ、心理的安全性に関しても他の言葉と同じく、「心理的安全性を下げるなんてけしからん」的になってしまうと逆効果になる。統計学的に証明されているし、わかりやすいから、みんなで心理的安全性を意識する習慣を続けながら、お互い対話していい形を、どんどん変わりながらみんなで作っていきましょう!くらいのスタンスが、(直感には反するかもしれませんが、運用することを考えると)やりやすいんです。実際にそうなってみると、組織運営のしやすさを実感するはずです。
りお>
しかし、こうなってくると、やはり能力値的な採用要件はとても重要になってきますよね。心理的安全性が高くても、その人が持っている潜在力のようなもの、培ってきたスキルが、より正当に評価されるようになる気がします。一部の人にとっては残酷なことなのかもしれないなと思ったりします。心理的安全性が低い職場で求められる能力要件と高い職場の能力要件にはどんな違いがあると想定されるでしょうか?
としぞう>
能力値は大事ですね。ただ、この能力値も数字化されるものでも、高い低いで表されるものでもなく、どちらかというとカルチャーフィットに近いかもしれません。そして、そのカルチャーがフィットするかどうかは、アメリカと日本でも違いますし、それぞれの組織によっても違います。なかなか、心理的安全性が低い職場で働きたい!という人は少ないかもしれないですが、例えばメンタル面での強さに自信があれば、心理的安全性が低いけどめちゃくちゃ稼げるところに行って稼ぐ!という手もあるかもしれないです。ただ、メンタルが強い人もやっぱり心理的安全性が低いと辛いし、辛いことに気づかず稼いでしまうとその分、稼いだ苦労を正当化するためにお金を使ってしまったりするので、その意味ではあまり稼げないところで心理安全性が高い職場の方が気分良く働けるかもしれないです。
仙人>
カルチャーフィットとは、その人がコミット可能な体験があるか?コミットする協働の質により、協力意識を持てるか?という話ですよね。
また、各自が持つ資源の問題はメンタリティと分離できるのではなく、それ自体が文脈であり相補的な条件みたいなところがあり、ある意味生存バイアスを無慈悲に取り払うと人間が確率を高める部分は成功という意味では極めて低い。しかし、心理的安全性が高くなければリソースも見逃してしまうという所もあるので、健康増進、運動習慣みたいなものですよね。
りお>
心理的安全性は、統計学的に証明されているし、わかりやすいから、みんなで心理的安全性というものを意識する習慣を続けながら、お互い対話していい形を、どんどん変わりながらみんなで作っていきましょう!くらいのスタンスがあったとしても、そこから具体的に、組織がより良い形になるために必要なインプットがなされて、それが具体的な行動に結びつかなければ、結局組織は良くならないと思います。心理的安全性が高かったとしても、学習効率が上がらない、そもそも必要な情報をインプットし、アクションにアウトプットするという能力がなければ、組織は良くならないと感じているのですが、いかがでしょうか?
としぞう>
ですね。組織全体が車で一人一人が部品だとすると、心理的安全性とはお互いの部品が摩擦が少ない状態で噛み合っている状態になります。どんなに部品がうまく組み上がっていても、ガソリンを入れて前に進もうとしなければ何も動きません。そのガソリンとは要するに、組織のメンバーが自律的に行動しようと思っているかどうか?になるんですが、実はお互いに協力しあう行動を促進する組織に必要な条件が、心理的安全性とは別にあるんですよね。摩擦なく部品が組み合っていること、ガソリンが注入されていて組織のために積極的な行動が起きる条件が整っていること、この2つが必要になります。
りお>
能力値はどちらかというとカルチャーフィットに近いかもしれないという意味がわかりません。
能力とカルチャーフィットは粒度も違い、全く別物じゃないでしょうか。
としぞう>
ちょっと忖度した言い方になってしまったかもしれません。正確には心理的安全性の次に、能力そのものを見るよりは、カルチャーフィットの方が、その人が実際に今の職場で能力を発揮してもらえるかどうかに重要という意味です。プロジェクトアリストテレスの結果として重要なことは、生産性に個人の能力が関係していると人間は思いたくなるけど、実際は能力の高い低いなんてチームで生産性を上げるために重要じゃないよということです。これはある意味、「心理的安全性を高める能力」と言っても同じで、どの職場でも心理的安全性を高められる能力があるわけではなく、職場と個人の組み合わせに依存するということです。その意味でその人個人をみている限り採用要件の答えは出なくて、その人がいると実際に職場の心理的安全性が高くなりそうかどうか?とチーム全体の視点が重要です。
仙人>
協働できそうか?という話ですよね。協働できた方が人間、どう考えても幸福で生産的なんです。
組織協働にコミットしてない人(働かないマネージャー、意識は高いが上滑りの人事、現場に昔話を持ち込んで手を動かさない幹部)が採用で一緒にやろう!と選んだらイエスマンや使いやすい自律性のない人材、或いは協働し難い天才、口だけの人を採ることになりますよね。でも結局3割くらいしか失敗しないのは、そんな極端なコミットのない人というのはある意味事例全体人格をイメージした戯画だからでしょう。
即ち心理的安全性を高め、CDPs(コアデザイン原則:今後noteにまとめます)の具体的中身が明確になっていく組織では採用の的確性も当然高まる。というか、人材がどうと言う前に中で文句言い合ってる時点で失敗してるでしょう?笑 中がうまく協働出来ていたら、そりゃ採用もうまくいくよ、というのは当たり前ですね。
逆に、AIであろうが、天才アウトソーシング人事のプロだろうが、経営者の鶴の一声だろうが、彼らを含んで心理的安全がないような組織でうまくいきようがないですよね。。
本当にこうだったらとイメージするとやはり「あっ…」となりますね。
以下少し派生して会社組織に限らない話に発展
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