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Mayuno's MEMENTO MORI

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たまーに更新する、繭乃の死生観と色々
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長めの独り言ちょっと聞いてよ。

長めの独り言ちょっと聞いてよ。

鬱の頃の私っておもしろかった。
今の私は、その頃に比べたら大したことはない。と思っている。
今の方が圧倒的に生きやすいことには間違いないけど、昔のあの奇抜な思考はもう出来なくなった。

24.5歳で何か解脱したような気持ちになった(結論してはないと今は思う)。
鬱のどん底から這い上がった経験をしたからだと思うのだけど。
振り返ってみると大した経験では無かったのかもしれない。しかし、当時渦中の私の中

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古きものから思考し感じとる

古きものから思考し感じとる

先日、東京駅すぐ近くにあるJPタワー/KITTEの「インターメディアテク」に行ってきた。

無料で観れてしまうのに、あまりにボリューム感のある展示で、見応え抜群、脳みそが痺れる素晴らしい展示だった。是非色んな方にこの展示の良さを感じて欲しいため、拙い文章で申し訳ないが、私の備忘録と共に少し紹介させてもらいたいと思う。

***

この「インターメディアテク」は日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物

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「メメント・モリと写真」を鑑賞して

「メメント・モリと写真」を鑑賞して

9月の頭に複数の写真作家からなる写真展「メメント・モリと写真」をTOP MUSEUMへ鑑賞してきた。

この主題となる"memento mori (メメント・モリ)"は、古代ローマの思想であるのだが、当初は「今を楽しめ」という、現在の「死を想え」とは真逆の意味を持っていたのだそうだ。後に言葉が広まるにつれてキリスト教と思想が交わり、そこでは『天国・地獄・魂の救済』が重要視されることにより"死"が意

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第二の故郷

第二の故郷

私にとっての第二の故郷は湘南の街である。
数年前まで、いやもっと前だったか、湘南には祖母の家があった。
なんでも刺激を受ける幼い時期をこの街で過ごし、たくさんの知見を得てきた。私が湘南の街や、海への想いが強く根付いているのはそのためである。
しかし、冒頭にもある通り、様々な事情で幼少期を過ごした祖母の家は数年前に取り壊されることになり、今は跡形も無くなってしまった。現在、かつて庭のある割と大きな家

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「人」という字は

「人」という字は

ここ最近囚われ続けている感情に少しでも整理をつけようと、このnoteを綴る。
これからもこの気持ちを忘れないためにも。

* * *

「『人』という字は人と人が支えあって出来ている」

というフレーズは、日本人なら一度は聞いたことのあるであろう某大先生の言葉だ。
私たちヒトは一人で生きてはいけない。もしそう思わない方がいるとしたなら、私は論破できるだけの根拠と事実をその方に話せると自負している。

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死ぬまで僕のこと引き摺って歩いて

死ぬまで僕のこと引き摺って歩いて

この言葉は主にボーカロイドやメジャーで楽曲制作をする『MI8k』と書いてミヤケと読む、彼の楽曲の中の言葉である。
とりあえず一度騙されたと思ってこれを聴いてみてほしい。
(オシャレ鬱ソングなので、そのつもりでどうぞ)

この『嗤うマネキン』を簡単に言えば失恋ソングだが、ただの失恋ソングとは言い難い。
大切な人を失ったであろう主人公の、こんなにも繊細な機微をここまでぎゅうっと言語化出来る彼の語彙力と

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私は何者でもない。凡人だ。

私は何者でもない。凡人だ。

そう理解するのに何年も何年もかかった。
私は何者かでありたい。特別でありたい。
それは今も思う。特別になりたい。
何者にもなれない自分を愚かだと一時は思っていた。
そのための血の滲むような努力もしていない奴がね。

肩書きがあると安心した。
おそらく、学生の頃からそうだったと思う。
学級委員はそういう理由でやっていた。
『人の上に立つ』ということを履き違えていた、
ただのイタい奴だったに違いない。

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とある絵描きと私が見た海

とある絵描きと私が見た海

「繭乃にはこの海、何色に見えるの?」

今から約2年程前の春の終わり。
私は傷心しきっていた。
全てを一度ゼロに戻したくて、バイトもほぼ行かず、活動という活動もせず、自分に絡みついていたしがらみというしがらみをすっかり無くした。
新たな自分に成るべく、それまで嫌っていた自己啓発本なんかも読んでみたりするのに「どうせ変われやしない」とフラフラと歩いた渋谷でわざわざ声をかけられては、面白そうだと感じる

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私を「私」たらしめるもの

私を「私」たらしめるもの

「私」というものを作っているもの。
お砂糖とスパイスだなんて、ファンシーなものでは出来ていない。もっとドロドロとしたもので出来ている。一言で言い表せと言われると分からないが、混ざりに混ざりすぎて綺麗なものとは言えないのは確かだ。きっとそれはみんなそうなのだと思う。一言で言い表せる人なんて居ないように。

私を「私」たらしめるもの。
強いて言うなれば"苦悩"ではなかろうか。
そう思う所以を語るには少

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脳死した思考

脳死した思考

今世間にブームを起こしているTikTokにYouTube、他動画サービスの数々。
電車内や道ゆく人が視線を上げて移り変わる景色を楽しみながら歩を進めているところを見かけることはほぼ無いに等しいほど、私たち現代人にとってSNSや動画コンテンツというものは親密なものになっている。

かく言う私もYouTubeは昔から好きで、ゲーム実況やアーティストのMV、YouTuberチャンネルを楽しんできている。

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「母なる海」と言われる意味を考えてみた。

「母なる海」と言われる意味を考えてみた。

海。
地球の大規模を占める大いなる海。
恩恵に預かりし海。
私たちが汚染してきた海。
脅威には太刀打ち出来ない海。
未知の世界、海。

突然だが、「あなたは山派か?海派か?」
と問われたらどちらを選ぶだろうか。
無論、私は海派なのだが。

幼い頃から海との触れ合いが多かった。
祖母の家が海のすぐ近くに在った。
海へ遊びに行くその度に、海との正しく安全な距離感を教えられる。
クラゲの出る時期には行か

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「一番好き」を仕事にするな

「一番好き」を仕事にするな

幼い頃から自分の"成りたい"を語るとこう言われ続けた。

一番好きなものを仕事にしてはいけない。それは逃げ道に残しておくのがベストだ。一番好きが一番嫌いになった時、それはもう凄まじく苦しい。

母は昔から洋裁がとても好きで、リリアンから始まり編み物・キルティング・ミシンと幅を広げ、専門学校に通い卒業してパターンナーになった。
母と買い物に出ると「これ可愛い形だなぁ〜」と言ってはお店に売っているもの

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煙草は自殺への一歩。

煙草は自殺への一歩。

道端に落ちているその吸殻は、切なくも環境汚染の素と言われ、それをどんな人がどんな想いで口にしていたかなんて誰も想像しない。
煙の行き先が分からないように、喫煙者というものは己の行き先の見えぬ人間の集まり、と言っても過言ではないかも知れない。喫煙所に溜まる人々を見て少なくとも私はそう思う。

私は煙草が大嫌いだ。今も、これからも。
それなのに最近、時たまに吸う。
とは言っても過去にも吸っていた時期は

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2020.7.18

2020.7.18

最近悲しいニュースが多い。
自殺を選ぶなんて、どれだけ辛く苦しかったことだろう。

私はモデル活動や小説の執筆をしているが誰かに勇気やパワーを与える人間にはなれていない。そう思っている。
「共に強く生きよう!」
そう言える強さは私は持ち合わせていない。
私がそれだけ余力のある人間ではないからだ。
だけど、私は誰かが落ち込んだ時に寄り添えるような人間でありたい。
「大丈夫だよ」と声をかけられる人間で

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