のど自慢に救われた話
のど自慢ってあるじゃないですか。
NHKがやってる、正午すぎからの生中継の。
あの番組って、普段気にしてないけど、日曜にたまたまたテレビがついてて、
みんなそれぞれ思い思いに歌ってて、
「わ~この人は鐘一つやな(失礼)」って勝手にジャッジしたり、
「うまいな~」ってちょっと驚いたり、
姉妹のハモり聞いて微笑ましくなったり。
「意識しないけど、違和感なくそこにある」
の代表例みたいなものやなと思っていて。
今日、朝ご飯と昼兼用みたいなご飯を夫と食べて、ちょっとしたらのど自慢が始まったんです。
男性の方がいきなり、キレッキレのダンス始めたりして、そのギャップに笑顔になったりして楽しんでました。
で、わたしは昨日から夫に「言おう言おう」と思っていたことがあって、
不妊治療のことなんですけどね。
昨日は通院日で、参考にする数値が芳しくなくて、
治療法の一つでほぼ最終手段の腹腔鏡手術を進められました。
わたしは「できることは何でもしよう」と思って治療に臨んでいるので、
主治医から「ご主人と相談した上で、次回またどうするか教えてください」と言われたものの、ほぼほぼ気持ちは受けようと固まってたんです。
で、夫は基本、わたしの思いや行動を尊重してくれるので、
「まあ軽く報告がてら言うか」
と思ったんですけど、いざ言おうと思うとなかなか言えない。
無駄にお茶取りに行ったり、「アイス食べる?」って言ったり。
で、のど自慢で77歳のおじいちゃんが伸びやかな歌声を響かせ始めた時に、意を決して言おうと思って。
その歌声に背を押してもらおうと思って。
「真剣な話していい?」って言ったら
「うん」と夫。
でも言い出せない。
そして、なかなか言わない私に夫が「病院のこと?」って聞いてくれたと思ったら
それに応じる言葉が出ない代わりにとめどなく涙が出てきた。
自分でもびっくりするくらい。
ぽろぽろとめどなく涙が出てきて、とても言葉を発せられないし、
でもその涙が出てくる間に自分の気持ちが見えてきて。
「なんでみんな自然妊娠してる友達が多いのに、わたしは普通にできないんやろう」とか
「なんでこの病気はわたしなんやろう」とか
「もっと早く数値に気付いていたら違ったんかな」とか
「やっぱ全身麻酔するんこわい」とか
「夫はわたしを選ばんかったら、子供すんなりできてたんかな」とか
言葉が出ないかわりに、自分は悲しかったんやなっていう感情が次から次へと心の中に出てきて。
でも、テレビからは鐘一つの音。
うわーっと落ち込んだ表情を見せる人。
ふとテレビに目を向けたときに映ったその人の様子にちょっとなんかまた笑えて、
ちょっとずつ落ち着いて、めっちゃゆっくりやけど夫に説明することができました。
なんかわからんけど、めっちゃこののど自慢に救われました。笑
テレビついてなくてしーんとしたところやと、
わたしは多分悲しい気持ちにどっぷり引きずられてしまって
でも、例えば漫才番組だとちょっと騒がしくて
ニュース番組は自分の気持ちを落ち着かせることはできなくて
ちょうどいい距離感。
結局、夫は心配しつつも、わたしの「手術に挑戦してみたい」って考えを尊重してくれました。
今日ののど自慢、「一生忘れんかも」って心の底から思いました。
◆
不妊治療って結構センシティブなものやし、全員が関わるテーマでもないから、
このnoteで書くかよく迷うんですけど、
でも不妊治療で揺れ動く感情とか、乗り越えなだめなハードルはわたしの人生そのものやし、
治療の節目で自分が揺れ動いたことがあれば、記録したいなと思っています。
今日の決断は多分、自分の治療の中で一つ大きな節目。
昨年の12月から通院を始めて、落ち込んで、また這い上がってを繰り返して。
よく病気のドラマで主人公が「なんで私なの」とかって泣くシーンがあって、そういうの結構他人事でみてたんですけど、
治療始めてからめっちゃ思いました。
「ほんまに思うんや!」ってちょっと冷静な自分もいた。
何より、子供が出来なかった場合に、その悲しみを夫に背負わせてしまう可能性があるというのが一番こわい。
でも、結局前に進むしかないんですよね。
これって別に不妊治療に限らんけど。
どんなに落ち込んだって、次の日はくるし、わたしの卵巣は弱っていく。
そうなれば、できる限りのことを選択して、くさらず、毎日進みたいと思います。
不妊治療で、そういうことを学べました。
本当は、そんなことずっとずっと学ばずにいたかったけど。笑
書いててちょっと落ち着いた!
また明日から頑張ります!次の通院は2週間後。
のど自慢に関わってくれた全ての人ありがとうの思いで今日も眠りにつこうと思います!