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やってやれないことはない33話 『獣医師人生の方向転換』

ある経営会議で院長が突然言い出しました。
「資金がないので、職員に給料が払えない」
「支払い遅延することになる」

全くの寝耳に水の話です。
経営を担当する以上、支出と収入はチェックしていました。
大きな黒字が出ているはずだと伝えるに聞く耳を持たず、無いのだから払えないと言うばかりです。

調査をすると、私にわからないように支出について二重帳簿を付け、自分の趣味に投資していたことが発覚しました。

職員には生活があります。給与の支払い遅延など論外です。
全体の真のお金の流れは、経営者しかわかりません。
私にできることは、支払い遅延とならない算段をすることです。

単純にできることは、私の報酬を返上し、給料支払いの補填をすることくらいです。
直ちに経営者たる院長へ申し出、同時に退職することにしました。

退職については、そこまで必要ないとのことでしたが、今回のことは経営者と一心同体でない考えで経営はできないことを話し、退職届を提出しました。

経営再建は、究極の状態から如何に脱出するかを実施する場です。
一方で稼いだ収入を、他方で湯水のように流していたのでは成り立ちません。
これは、必要にして絶対条件です。

先ずは彼の地を離れ、動物愛護相談員の拝命を受け公務に入りました。  犬猫が人間社会で置かれている立場や問題の実態把握をする仕事を行うことにしました。

この仕事は、今までの私の仕事になかった社会全体を俯瞰しながら、個々の犬猫に起きている問題の原因を深堀して考えることが出来るため、獣医療の仕事を鳥瞰図的に眺めることが出来ました。

地域猫の問題や犬猫殺処分の問題、犬散歩における糞尿の放置問題および外猫の糞尿問題、飼育動物の放棄問題、犬猫の虐待、動物命の尊重問題、実験動物の問題、ブリーダーにおける飼育環境問題、ペットショップの展示時間と展示環境、学校飼育の課題、ペット譲渡後の問題等など多くの事象や現象は、すべて人間が原因で起きていることが根本要因です。

昨今、動物が品物から私たちと同じ命ある「いきもの」という社会認識が形成されてきたとは言え、根本問題が解決したとは言えない状況です。       動物たちと人間の関係は、学校飼育の教育現場が、大きな役割を果たさない限り根底からの問題減少となっていくことはなくならないと感じています。 

学校飼育の状況は年々歳々縮小しています。                皆さんはどのように思いますか?

私は、保健室の学校保健医制度に則り、獣医師が地域の学校飼育の一助を担うべく学校飼育獣医師を指定して「動物と人間の付き合い方」を教えることができれば、現状改善に寄与できるのではないかと考えています。

この公務も7カ月で終わり、次の仕事はペット関連専門学校の専任講師で、ペットに関係する仕事の専門性を持った人間を教育する職場です。
ここでは、動物看護師のクラス担任を担うと同時にトリマーやトレーナーなどのクラスの講義を行い、各種実習も担当することになりました。

この専門学校には付属の動物病院と犬猫の展示場があり、犬300頭以上、猫30匹以上の予防医療と疾病治療も担当する立場になります。

これだけ多くの動物に、センター長の立場で行う獣医療はハードでしたが、兎に角、獣医師として遣り甲斐のある職場です。
ワクチン接種は、毎年1回一日に100頭以上に接種します。三日で300頭は結構な労働です。
                                                  帝王切開の必要となる小型犬の手術も行います。帰りの道すがら、携帯が鳴り呼び戻された挙句、午前様の2時に終了。帰宅して朝出勤してクラスの講義を行うこともありました。

仔馬ほどの体格をしたグレートデンの子犬。後肢の腫瘍切除をした獣医師が、皮膚のトリミングを過剰にしてしまい緊張を起こして縫合部位の離開した創に、湿潤療法で完全治癒させたときは専門としての面目一如となりました。何しろ、骨も神経も腱もすべてが露出した創が治癒していく様は湿潤療法の醍醐味でした。それも最初から一切の消毒薬を使わずに・・・

仔犬を出産して授乳中のミニチュアダックスフンド。動物病院に連れて来られた時は、乳房が赤くはれて熱を持ち、皮膚がひび割れて崩れ始めていました。
細菌性乳房炎です。一刻の猶予がありません。全身状態が良いうちに感染が拡大しないように摘出しなければなりません。
担当の動物看護師がいないため、たった一人傍にいた生徒と一緒に手術することにしました。
人一倍負けず嫌いで優秀な生徒でしたので、一つ一つ説明しながら、確実に切除していきました。
麻酔管理も万全です。
止血操作も完璧です。
無事、成功し片付けも完了し、帰宅したのは4時間後でした。

其の他、骨折や犬同士の喧嘩で60か所以上を噛まれてきた犬など多種多様な治療を行いました。

授業においては、世代を担う若い生徒から、真剣な数々の輝く目線をもらいました。                                                  

私が知るに至った教育の原点は、平坦な言葉や知識の羅列ではなく、教育者たる人間の感情が感じられる言葉によって、一つ一つの考え方がほとばしるような授業を行うときに、教える側と教えられる側の垣根がなくなり一体となって充実した時間を過ごせることが実感となりました。           その瞬間スマホを操作する者も居眠りをする者もおしゃべりをするものもいなくなります。                                                      

教育のすべては教育者の哲学が感じられる授業を実践的に行った時、受諾および拒否のどちらにしろ、生徒の脳内に刺激が与えられ活性化され意識=教育成果となることがわかりました。

とても充実した日々でしたが、片道通勤が車で2時間は、60歳を過ぎる身体に、積もり積もって悲鳴を上げ始めましたので残念ながら退職することにしました。
送別会も大々的に行ってもらい、非常に残念な別れでした。         正直なところ、もう少し働きたいという気持ちがありました。
体力的な厳戒の中で、医療事故を起こしてはならずとの思いからやむなく去る決意をしました。                                                             

そして、ハタと思うところにあったのは、公衆衛生です。
小動物臨床も10年近く行ってきたので年齢相応に方向転換します。

人生最後の仕事となるのかわかりませんが、探してみると結構ありました。  獣医師となって初めて対象が人社会となりました。


このnoteは、私の人生において成功・完結・失敗・後悔などのストーリーです。 若い皆さんのヒントになればと思って書いています。 書いてほしいことがあれば、気軽にご連絡ください。 サポートは結果であると受け止めておりますのでよろしくお願いいたします。