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2005年ヒッチハイクの旅「旅はまだ終わらない」2日目
状況は最悪 雨はまだ降り続いている。
坂道を下っていくと、海沿いの道と交わる。その道を南へと歩こうとするがカーブになっていて、先が見えない。カーブの先を見に歩くのもよかったが、この雨の中、あまり歩きたくない私は、これ以上先に進んでもいい場所はないと思い、ここでヒッチハイクを開始。掲げた先は「天塩(てしお)」。スケッチブックは雨で濡れるので、透明のゴミ袋をかぶせている。右手で傘を持ち、左手でスケッ
2005年ヒッチハイクの旅「旅はまだ終わらない」1日目
旅支度 夢ではない。私は今たしかに北海道の地に立っている。飛行機に乗り、こうして北海道の北の果て、稚内にいる。ほんの数時間前まで、大阪であくせくしていたのが嘘のようだ。
飛行機に乗ること。それは最初の難関だった。とにもかくにも、飛行機の乗り方がわからなかった。飛行機に一人で搭乗するのは今回が初めて。以前に家族で乗ったのも、もう十年以上前になる。「飛行機の乗り方」などのサイトを見てまわり充分に知
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 あとがき
12年前 12年も前に書いたものを、少し読みやすく直した。改めて読むと、当時よりもだいぶ考え方が変わってきている。部分的に、ぶっきらぼうに聞こえる書き方をしているところもあるが、なるべくそのときに思ったことをそのまま書いている。建前などの「良い自分」を演じたりはしていない。
旅中は、イトーヨーカドーに一番お世話になったかもしない。国道沿いによくあった。
降りるたびに言葉が変わっていくのが面白
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 10日目「ゴール」
山口駅でも0時に閉め出されてしまった。どうしよう……。さっきの道の駅でも閉め出され、ここでも閉め出され。ついに、旅が始まって10日目になってしまった。
眠い。
国道まで戻ることにした。
商店街のベンチで座って少し眠ったあと、若者が仲間たちでロケット花火の撃ち合いをしている公園の近くを通り、国道に出る。
国道を下関方面に歩く。途中コンビニで地図を見て、「関門トンネル」という文字と「下関」、
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 9日目「想う」
9日目の朝。6時過ぎに起きた。外には海が見える。ぱらぱら雨が降っている。
道の駅から外に出る。大きな地図を見ているときに、そこに来た男の人に声をかけるが、下関方面は行かないと言われ、断られる。
ゴールまでもう少しなのに、なかなか前に進めない。島根からなかなか先に進めない。島根にはなんかの縁があるのではと思ってしまう。
運命や縁という言葉はあまり好きではないが、なんだかそう思ってしまう。そう
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 8日目「留まる」
8日目の朝。ゴールである九州はもうすぐである。
起き上がった私は、その「大栄」という道の駅においてあるパンフレットを見る。すると、どうやらここは、『名探偵コナン』の作者「青山剛昌」の出身地らしい。近くにコナンロードというものまである。コナンは最近の作品だから、コナンロードも最近できたものなのだろう。
西瓜と長芋も有名らしい。マラソン大会があって、マラソンしたあとは西瓜食べ放題というようなこと
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 7日目「都会越え」
7月27日、日曜日の朝である。青森から九州へ向かうヒッチハイクの旅も7日目。朝、5時過ぎに起きる。約5時間ほどは寝られた。あまりにも眠くて半袖のまま寝たが、寒くなかった。関西まで下れば今までみたいな夜の寒さもなければ、駅構内が広いので風が入ってくることもなく暖かい。
京都駅は、ベンチは見当たらないがゴミ箱はちゃんとある。少ないけどある。そのゴミ箱があったと思われる場所まで行き、野宿用に地べたに
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 6日目「二人目」
腕時計はまだ4時を示していた。それは、2時間ほどしか眠れていないことを意味していた。夢の中では、大阪の友人のNと今日会う予定のCがクイズ番組に出ていて、解答者になっていた。
駅構内では、ピンポーン、ピンポーンという音が鳴り響いていた。それほど大きな音でもなかったが、その音が鳴っていたのに眠れていたのか。
これ以上眠れそうになかったので、起き上がる。下に敷いていたゴミ袋をくしゃくしゃにして固め
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 5日目「事情聴取」
若い運ちゃんらしき人に声をかけて断られた後、中年の男の人が来て、地図を見ていた私はその人に声をかけた。富山方面に行くという。その人に、どこまで行くのか聞かれ、私は逆に「どこまで行くんですか?」と聞いてみた。
大阪まで行くらしい。
これはものすごいチャンスかもしれない。大阪まで行く。目の前にいるこの人は大阪まで行く。高速だとやっぱりこういうこともありえるんだな。
その男の人は家族連れだと言う
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 4日目「泣きっ面に蜂」
山形市から南に歩き続け、上山市に入っていた。いつの間にか、隣の市まで歩いてきてしまった。
雨もきつくなってきた。トラックが真横を通り過ぎるたび、傘を体にぎゅっとつけて裏返らないようにしていた。カバンはもうびしょびしょ。靴の中にまで雨が入ってきた。もう踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂状態だった。
歩けど歩けど、見えるのは同じような景色ばかり。道を照らす明りはちゃんとあるものの、それ以外はずっと遠
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 3日目「一人目」
旅に出て3日目の朝。起きたのが、4時半ごろ。
秋田にあるこの「おがち」という道の駅は、後でとてもいい場所だということを知った。東北でなにかの一位になったらしい。
なにかの一位になっただけあって、色々設備が整っていた。空調の効いた室内。夜間も閉まることなく開放されている。椅子もテーブルもある。壇になっている寝そべられる場所もある。私もここでカバンを枕代わりにして横になって寝た。ここまで乗せてく
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 2日目「秋田美人」
眠れない。身体が冷える。東北の夏の夜は寒い。
なるべく横風を受けないようたんぽぽの葉のように、公園のベンチに横になってうずくまる。しかし、それでも寒い。やっぱりジャンパーでも持ってくればよかった。薄いジャンパーなのでそれほどかさばるものでもなかっただろう。
女の人の声がした。多分2人。しゃべっているのが聞こえる。ここで寝ている自分に声かけてくれないだろうかなどと阿呆なことを思ってどきどき
2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 1日目「はじまり」
その日も、前日の夜からパソコンのメッセンジャーでチャットをしていた。0時半ごろ終わり、1時ごろに寝る。
朝、目覚めて、枕元に置いてある時計を見ると7時15分。それからぐずぐずして30分後に起き上がる。階下へ行き、朝食を済ます。
台所にいると、祖母が新聞の記事を私に見せた。引きこもりの人がすごいことをしているという内容。
〈いやいやいや、俺のほうがこれからもっとすごいことしようとしてるんやで
真夜中 (2000年〜2001年)
午前3時をまわっていたであろうか。ラウンジのバイトが終わり、12月の寒空の下いつものようにいつものコースを、スーツの上にジャンパーを着て自転車で家へと走らせていた。閑かな街の形を浮かび上がらせているのは街灯やネオンサインなどの灯りだけである。
この日、私は仕事に履いていかなければならない靴を履き忘れ、普段履いている靴を履いてきてしまい少しブルーになっていた。阪急茨木市駅の高架下を通ると、その