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2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 1日目「はじまり」

 その日も、前日の夜からパソコンのメッセンジャーでチャットをしていた。0時半ごろ終わり、1時ごろに寝る。

 朝、目覚めて、枕元に置いてある時計を見ると7時15分。それからぐずぐずして30分後に起き上がる。階下へ行き、朝食を済ます。
 台所にいると、祖母が新聞の記事を私に見せた。引きこもりの人がすごいことをしているという内容。
〈いやいやいや、俺のほうがこれからもっとすごいことしようとしてるんやで〉
 祖母は、私がこれからしようとしていることを知らない。私は今日、ヒッチハイクの旅に出ようと思っている。計画はかなり前から立てていた。今、青森の祖母の家に住まわせてもらっている。こっちに来てからもう半年以上経つ。前々からヒッチハイクの旅をしてみたいと思っていた。
 今日は大阪の私の母がここに来ているので、この家には私と祖母と母がいる。母も祖母も、秋田の友達に会いにいくと勝手に勘違いしている。私は「秋田に行く」とだけしか言っていない。わざと勘違いするように言った。
 3年前の8月、まだ実家の大阪にいたとき、それの旅に出たが、交番に寄ってしまったのが運の尽きで、親の承諾を得ていないことがばれて3日目に家に戻った過去がある。せめて今回は4日以上、この旅をしていたい。
 今は20歳。来月でもう21になる。そして今、本州最北の県にいる。バイトをやめたらこの旅をしようと思っていた。時間はある。条件も揃っている。今年の夏しかないと思った。また仕事なりアルバイトなり始めれば、こういうことは無理になってくる。そしていつまた別の地に引っ越すかわからない。

 2003年7月21日。
 最後の夏。
 今日、私は九州へと旅に出る。
 旅の名前は「0番線」。意味は特にない。

 昼の12時15分、その青森市にある家を出る。天気は良好。
 肩から黒いカバンをぶら下げている。荷物はそれほど多くない。着替えも最低限。いらないと思っていた腕時計ははめていくことにした。ポケットには、財布と携帯電話。
 家から歩いて15分ぐらいの場所にある、海沿いの合浦公園に行く。「合浦」と書いて「がっぽ」と読む。なぜかこの公園には自分のひいじいちゃんだか誰だかの石碑がある。
 海に裸足で入る。そして、ベンチで海をぼけーっと眺め、足を洗ったあと、裸足のまま靴を履き、南下して、青森市街地の南を東西に走る国道7号線に向かう。その国道に行く前に、百円均一の店に寄る。ここまでは予定どおり。
 旅に必要なものを買い揃えていく。しかし、一番肝心といっていいほどのスケッチブックが見当たらない。店員に聞くと、品切れらしい。合浦公園に行く前に寄った文房具屋で、高かったけど買えばよかった。そこまで戻っていって買うとなると往復30分ぐらいかかる。途中の店で買うことにした。
 すぐ近くにホーマックという店を発見。その隣にはユニバースという大型スーパー。そのどちらかの店に、今はどうか知らないが、ある人が働いている。前、仕事をしていた店でアルバイトをしていたNさん。その、ホームセンターらしき店のホーマックに寄って、スケッチブックを見つけ、購入。ユニバースにも寄ってみる。レジをしていると言っていたNさんの姿を探すが、それらしき人は見当たらなかったので、そのまま店を出た。

 ヒッチハイクポイントはあらかじめ決めていた。出発する前に地図で確認していて、歩いて3時間ほどはかかる交差点。その交差点を南にずっと行くと、青森市の南西に位置する弘前(ひろさき)市がある。予定としては、その弘前市を通って秋田に行こうと思っている。
 その交差点までは、ひたすら歩く。空は晴れ渡っている。
 少し行くと、10年ほど前に見たことがあるような景色に遭遇した。そのときは確か、辺り一面が草という感じがしていたけど、場所が違うのか、家が建てられたりしたせいなのか、記憶の中の景色は見えなかった。
 国道7号線に出る。そして、進路を西に取る。
 ただ、歩く。なにもすることがない。周りの景色を見たり、歌を歌ったりする。好きな歌を歌う。

 徐々に足が痛くなってきた。痛い。痛い。足を見てみると、靴の中を覗くと、足の皮が剥けていた。
 これはやばい。早くなんとかしないと。靴下は持ってきていたが、ここではこうとは思わなかった。
 イトーヨーカドーが見えた。旅に出る前に地図で確認したときに見たものだろう。少し遠回りになってしまうけど、国道から反れてそれに向かう。思ったより歩いてすぐなので助かった。
 大阪、梅田のヘップファイブを思い出す回転ドアから建物の中に入り、綺麗な女の人が座っているベンチの近くに座り、カバンに入れていた靴下をはいた。少ししめつけられる感じ。はかないよりはマシだった。
 トイレに行く。近くに冷水機があった。水分補給をして、用を済ませ、さっきのベンチで少し休む。
 う~ん……。なんか嫌だ。嫌になってきた。
〈ヒッチハイクするのなんて嫌や。歩くの嫌や〉
 だるい。本当に自分なんかがヒッチハイクできるのだろうか。ボードをかかげることができるのだろうか。
 ここまで来て、私は不安にかられた。いや、前々から不安なことは不安だった。今日も昨日も、ずっと前も。だからこそ、無理やりにでも体を前へ前へと進めてきた。
 しかし、そんなこと考えても始まらなかった。
 外に出る。とりあえず先に進む。そう、先に進まないと始まらない。時刻は15時45分。

 私道なのか、あまり車が通っている感じがしない道路に出てしまった。このまま先に道があるのか不安になってきた。近くで工事をしているおっちゃんにたずねる。
「この先、道つながってます?」
 おっちゃんは曖昧に答えた。
「多分行けるんでねーべか」
 大丈夫かよ……。ここで工事してるから、てっきりここらへんのことは知っているものと思った。
 旅に出て、最初に人に聞いた。これから、こういうことがたくさんあるだろう。
 そのまま道なりに行くと国道に出ることができた。ひたすら、太陽が沈む方角へと足を運ぶ。
 疲れてきた。歌うエネルギーが惜しい。歌うのは控えよう。
 16時半ごろ、右側に小さくアスパムが見えた。アスパムは、青森駅の近くにある三角形をした建物。おみやげやら売っていたり催し物をしていたりするんところだが、出発した家からは、1時間とかからずにそこに着くことができる。まだアスパムが見える場所なのだなと思うとがくっとなる。
 思っていたより時間がかかる。スタート地点に着くのは18時ごろになりそう。

 案の定、そのスタート地点を予定していた分岐点に着いたのは18時過ぎ。そこに着くまでは、それを見ることはできなかった三内丸山遺跡の横を通り、三内まほろばパークなるものを通り過ぎ、自転車二人組が前を行くのを見て靴の下にローラーをつけた靴が売られていることを思い出してそれやったらちょっとは楽かなぁなどと思ったりした。
 交差点を曲がり、ヒッチハイクポイントを探しながら、南へと歩いていく。
 車がいっぱいでやりにくい。
 自分がボードをかかげている姿をたくさんの人に見られるのが恥ずかしい。すぐに通り過ぎるのだったらいいけど、混んでいると見られる時間が長くなる。しかも、流れがつっかえて、ボードをかかげているすぐ横で車の流れが止まろうものなら、恥ずかしすぎる。どこに視線をあてていいかわからない。

 ただ恥ずかしいだけ。そう、ただ恥ずかしいだけ。
 スタート地点に着く前にも、ヒッチハイクできないことはなかった。しかし、この道から弘前市に行く車は少ないのではないかと思うと、ずっとボードをかかげているのが恥ずかしい。
 しかし、実際はスタート地点に来たら来たで、車が多くて恥ずかしくてできなかった。
 歩く。歩く。
 多分、ここらへんでもできないことはない、と思いつつもさらに先を歩く。絶好のポイントを求めて歩く。阿呆やと思いながら歩く。
 歩くこと約1時間。
 やばいと徐々に思ってくる。家を出る前に地図で確認したときは、さっきの分岐点から先はなにもなさそうやなぁと思っていたけど、本当になにもない。行けば行くほど、木、木、木。ただ、国道と両側の森だけになってくる。ヒッチハイクできそうな場所なんてなくなってくる。
 以前、秋田から青森まで車に乗っていたときも、なにもない印象を受けていた。3年前に行った、滋賀の国道とは違う。そのときはまだなにかしらあった。
 ヒッチハイクできそうな場所とは、車が停まりやすい場所。先に進めば進むほど車が停まれるくぼみのようなものがほとんど見当たらなくなってきた。
 ぽつんと飯屋っぽいところがあり、その場所がけっこうよかったけど迷った末、やめた。
 もう夜の19時をまわっている。20時になるにつれて日が落ち始める。
 次がラストチャンスだろう。

 工場らしき建物が見えた。車が出入りするための道もあり、車が停まれるスペースがある。
 まだここに来て少し悩む。とりあえず、スケッチブックに行き先を書かなければ始まらない。近くに座り、1枚目を開き「弘前」と黒のマジックで書く。一番初めに行く場所はここと決めていた。そして、弘前から秋田県の大館へと内陸を行き、そして能代、秋田と海沿いに出る予定である。スケッチブックに行き先を書いたはいいが、迷う。かかげるしか道はないというのに。この先、日が落ち、夜になってしまえばヒッチハイクどころじゃなくなるのに。
 歩道に戻る。その段違いの歩道の上で、国道を走る車の波を2回ほど見送る。見送ったのは、スケッチブックをかかげる瞬間を見られるのが恥ずかしいから。「たったそれくらいのこと」と思われるかもしれないが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 ボードを持ち、胸辺りでかかげる。そして、頭の上でかかげた。
 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
 停まってくれー、車。お願いや。
 車のライトも明るく思えてくる。それだけ辺りが暗くなってきている証拠である。
 車の波が来る。停まらない。波がおさまる。また次の波が来る。心の中で停まってくれと願う。
 3、4回ほど車の波が来て、私はスケッチブックをしまった。
 あきらめた。駄目だ。もう陽もほとんど残ってないし、なにより恥ずかしい。
 10分ほどしかボードをかかげていなかった私は先を歩き出した。少し休んでいたので足が少し軽くなっている。意味もなく少し走ったりする。
 その工場から出ていく車は南の弘前方面ではなく、北の青森市街に向かう。
〈そらそうやわな〉
 乗せてもらえないか頼もうとも思ったけど、逆方向では意味がない。

 歩き出してからすぐのことだった。私が諦め、歩き出してからまだ2分後くらい。一台の車がウィンカーを出して私の歩く横に来た。その車はあきらかに私の横に停まった。国道は、びゅんびゅん車が走っていて、こんなところに車を停める必要は、他に考えられない。
 でも、なぜだろうか。こんなところを歩いていることを見かねて助け舟を出してくれたのだろうか。見るからにもう乗せてくれる雰囲気である。
 助手席側の窓が開いた。見ると、運転席に男の人、助手席に女の人。夫婦だろうか。
 私は弘前まで行きたいということを話した。
「学生さん?」
 と聞かれる。「フリーター」と答えようと思ったけど「プー太郎です」と答えると少し笑ってくれた。乗せてもらっていいか聞くとOK。礼を言い、後部座席に乗せてもらう。
 感じのいい人だった。
 いきなり、アレを聞かれた。
「乗せてくれる人いるの?」
 私は即行で答えた。
「いますよ、ここに」

 いろいろ話をする。
 どうやら、さっき私がボードをかかげているのを見て、一度通り過ぎたが、また同じ道を戻ってきてくれたみたいだった。
 青森のむつの恐山から帰る途中という夫婦。歳は聞かなかったが三十代ぐらい。主に私としゃべってくれるのは夫の方。奥さんは無口で、夫にたまに助言をしたりするくらい。夫はさわやかな感じ。どちらともなまりはきつくなかった。どこの人か聞かれ、大阪と答えると、行きたいなぁと言う。聞くと、夫婦ともにずっと青森に住んでいると言う。祖母らに、私が今していることを言ったかどうか聞かれたが、私は言っていないと言う。
 けっこう喋りかけてくれる人でよかった。
 弘前から秋田まではなにもないから、弘前から先に行くとしたら一気に行くほうがいいと教えてくれる。野宿できるところがないか聞いた。すると、弘前に運動公園というのがあるらしく、トイレもあるし、そこがいいと言う。
 1時間弱走り、弘前市内へ。セガのゲームセンターの場所も教えてもらったけど、あまりお金は使いたくない。街並みを見ていると本屋も発見。明日、地図でも見ようか。
 そして、そのまま車で運動公園の中を案内してもらう。子どもたちが遊ぶ公園という感じではなく、ただ広く、スポーツが色々出来たりする公園。トイレの場所や、どっちに行けばコンビニがあるとか教えてくれる。そして、近くのコンビニのサークルKまで乗せていってもらう。
 お礼を言い、別れる。

 記念すべき1台目で弘前まで来られた。
 嬉しかった。1日目で車に乗せてもらえたこと。そして、なにより、車に乗せてくれる人がいるということが嬉しかった。今日はここでゆっくり休んで、明日にそなえよう。
 コンビニの中に入り、午後の紅茶とソーセージパンを買う。ふと、レジの値段表示が出る液晶画面に表示されていた天気予報に目が留まった。青森、秋田、山形と気温はあまり変わらず寒い。その下の新潟まで行ければ、けっこう暖かくなる。早く新潟まで行こう。
 コンビニを出て、運動公園に向かう。ここは市街地から離れているらしく、それほど大きな建物がなかった。歩いてすぐの運動公園に着く。

 お腹も満たされ、一段落ついたので、やりたかったことを始めた。携帯電話でメールを送ること、そして日記をつけること。
 日記は、持ってきていた手のひらサイズのノートに今日のことを綴る。そして、これは旅をしている間つけることになる。
 メールは、インターネット上でつけている日記のURLを教えるため。運営しているサイトに「この旅の日記のアドレスを教えて欲しい人はメールください」という内容を書いていた。日記は、自分が持ってきたノート以外に、ネット上でもつけていこうと思ってつけていた。携帯電話からメールを送り、それがネット上で反映されるというもの。今日も、カメラ付きの携帯電話で写真を撮りながら日記をつけていた。この携帯電話でさえ、そういった目的で使いたいがために先月、カメラ付きのを買ったくらいだった。そして、せっかく弘前に来たので、来たことを証明できるものを撮りたかったけど、暗いこともあり「弘前」というものが撮れなかった。さっき寄ったコンビニのサークルKの店舗名を撮ろうとしたが、「外崎」と書かれてあり、これじゃどこかわからなかったのでやめた。
 今、運営しているイラストサイトには、ネットでつけている旅の日記のことは書かず、前に運営していていまだ削除していないサイトにそのことを書いていた。もし勘がよくて、前のサイトに足を運んで、この話に興味があればメールをくれるだろうと思っていた。メールをもらう形にしたのは、不特定多数の人に日記を見られたくないから。ヒッチハイクすらできるかどうかわからずに、家に戻ってきてしまう可能性もある。それもあって、祖母にもなにも言っていないのである。
 今日、そのことでメールをもらったのは2人。ネットで仲良くさせてもらっているMさんから、昼に来ていた。すぐにはURLを教えなかった。できれば、1台目、ヒッチハイクで乗せてもらってからにしようと思っていたので、今送る。
 しかし、それより先にメールが来たCには、今日ヒッチハイクする以前に日記のURLを教えていた。
 Cは、私より年上の女の人。1か月ほど前に、前のサイトを閉鎖するときサイトに記載してあるパソコンのメールアドレス宛にその人からメールをもらった。そして、私がメッセージのやりとりがリアルタイムでできるメッセンジャーに誘い、チャットで話をしていくうちに仲良くなった。
 Cは、奈良に住んでいる。会ってみたいと思った。旅をするということもばれるので、初めはそのことを言わないでいた。しかし、旅をすることをばらし、会いたいことも告げた。するとあっさりOKをもらえたので、そっちまで行けたら会うことを約束した。とうてい、関西まで行けそうにないと思っていたが、それでも今日、1台乗せてもらえた。行けるかもしれない。

 この旅は3つの目的がある。
 1つは、ヒッチハイク自体をすること。2つ目は、まだ行ったことがないはずの九州に行くこと。そして3つ目が、ネットで仲良くなった人に会いにいくということ。
 1つ目の、ヒッチハイクをするというのは、もう成功した(本当は、なるべくお金を使わないで九州まで行こうとだけ思っていたが、この旅自体を、ヒッチハイクだけで行こうと、旅を続けていくうちに徐々に思うのである)。
 九州の福岡には、Kちゃんがいる。この人も、ネットで仲良くなった人。Kちゃんにも会いたい。そのことは前に告げていた。そして、まだ私が九州に行く旅に出たことを言っていないので今、メールを入れる。
 Mさん、Kちゃんともに返事が来る。
 公園のベンチにて、長袖を着て、靴を脱ぎ、カバンを枕代わりにして横になる。

 22時ごろ、公園内の電気が消えだした。

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