真夜中 (2000年〜2001年)

 午前3時をまわっていたであろうか。ラウンジのバイトが終わり、12月の寒空の下いつものようにいつものコースを、スーツの上にジャンパーを着て自転車で家へと走らせていた。閑かな街の形を浮かび上がらせているのは街灯やネオンサインなどの灯りだけである。

 この日、私は仕事に履いていかなければならない靴を履き忘れ、普段履いている靴を履いてきてしまい少しブルーになっていた。阪急茨木市駅の高架下を通ると、その灯りの中、私と同い年ぐらいの弾き語りをしている三人組の男の人の姿と声が目と耳に留まった。こんな時間に珍しいと思ったが、今日が土曜日の夜(実際には明けて日曜日)だからなのだろうと思い納得した。
 私の好きな「ゆず」の歌を歌っているので、近くでその様子をうかがっていたが、近づいていき声をかけた。聞くと、やはりゆずを歌っているらしい。天然パーマでメガネを掛けている人がリーダー的な存在でふたりを引っ張っていっているようだった。私の中では「天然パーマでメガネ」の人は、引っ込み思案というイメージがあるが、そのイメージと対照的な人で、よく喋り、少し色黒で、声のキーが高い人である。
 ふと、この人たちを見たような気がした。それは1〜2か月前に茨木市役所の隣にあるグラウンドの地下道の灯りの中、4人くらいのゆずの弾き語りの練習をしている人と会ったことがあった。そのときは少し言葉を交わす程度だったが、楽譜のスタンドの「少年」という文字を見てゆずだとはわかった。そのことを聞くと確かにそこで歌ったことはあるらしいのだが、私と会ったかどうかはわからないという。私も記憶があやふやだったので、とやかく聞かないことにした。
 メガネの人ともうひとりの人がアコースティックギターで、もうひとりはベースという編成である。ベースはそのままでは音が出ないので(微かな音はするが)アンプも持ってきている。こんな重い物をわざわざ。
 その人らと一緒にゆずの歌を歌ったり、しゃべったりしていると、駅の東側から高架下を通って作業服を着たふたりの男の人がやってきた。多分ラウンジかどこかで飲んでいた帰りだろう、少し酔っている。その男の人たちの申し出により3人が歌を歌うことになった。歌い終わるとひとりが財布から千円札を一枚取り出し3人に渡した。礼を言ってその男たちの後ろ姿を見送ると3人は喜んだ。私は関係なかったが一緒になって嬉しくなった。
 辺りは白々と夜が明けてきている。三人も荷物をまとめ帰る準備をしている。三人はそれぞれで帰る所が違う。ひとりは茨木、メガネの人は原チャリで高槻へ、ベースの人は電車で京都へ。ここで別れを告げ、私も家へと帰る。

 あれから3人とは度々会った。といってもケータイの電話番号を知っているわけでもないので駅で彼らを見かければ声をかけるといったことしかできなかったが。
 3人は趣味で組んでいるらしく、名前は「真夜中」。言葉で聞いただけなので漢字で真夜中かどうかはわからない。もちろん真夜中に歌っているからだが、真夜中になれば真夜中の歌が聴きたくなるようなという意味でつけた、とも言っていたと思う。電車で京都に帰る人がいるので、だいたい夜中から始発が来る朝まで練習しているときが多いらしい。私がギターを持っているときに会えば一緒にセッションをしたりもする。

 ある日の真夜中、茨木市駅で真夜中の人たちに逢った。この日は小さなラジカセを持ってきておりそれに自分たちの歌声を録音しているようだった。ラジカセを自分たちの前の地べたに置き、録音のボタンを押して歌いはじめ、終わると停止のボタンを押す。それを繰り返し繰り返ししている。
 この日は真夜中のオリジナルの歌を聞いた。趣味でやっているからなのかもしれないが、弾き語りの曲はこうでなくてはいけないみたいな、とらわれのようなものがなく、堅苦しくない曲なので聞きやすかった。アレンジもちょっと凝っていた。メガネの人は流石声だけじゃ女の人の声に間違われるだけのことはありハイトーンがそれこそ気持ちよく響いていた。
 真夜中の歌を聴いた後、自分のオリジナルの曲も聞いてもらうことにした。まず『道』という曲を聞いてもらう。歌い終わるとひとりが感嘆の言葉を発したが何を言ったのかは忘れてしまった。それが本当にそう思ったのかお世辞でそう言ったのかはわからないが、何か思ってもらえることは嬉しかった。続いて『放物線』という曲を歌う。そして感想や意見をもらう。『道』については、「前奏無いん?」やら「もっと声が安定したらいい」など。『放物線』はサビの部分のギタープレイが3人とも気になったらしく、どうやってたのかと聞かれそれを答える。ただ、サビになると速くなってしまっているというのはこれまた3人とも同じ意見だった。
 外で録音しているため雑音が混じったりして聞こえづらかったりするが、面白いのは録音をしていると思わぬ声や音が入ることである。ひとりの男が地面に置いてあるラジカセに気づかず足に引っ掛けてしまう。すぐ後でそれを聞いてみるとガタンと音がした後に男の謝る声が聞こえる。警官に注意されたときの声も録音されたりする。ただでさえ駅で歌ってはいけないのに、こんな時間でもあるので警官がなにも言ってこないわけはない。もっとも昼間は警官よりたいがいは駅員に注意されるが。
 真夜中の三人は警官が去っていった後、口々に愚痴を吐き捨てる。「誰にも迷惑掛からんからいいやん」と言う人もいるが、確かにここら辺りはオフィス街ばかりかもしれないがこの駅に隣接されている建物に人が住んでいるということを以前聞いたことがあった。誰にも迷惑かけていないと思っている3人に言おうと思ったがタイミングがつかめず言いそびれる。
 練習を終わると、近くの公園で反省会をするとのことで私も一緒についていき、もう色が表れている空の下、木の椅子に腰かけ、木のテーブルにラジカセを置いて聞く。
 それからやっと家路につくのである。

 別のある日、阪急駅で真夜中に逢ったときのこと。
 4人でいるところにふたりの同い年くらいの女の人が来て、私も少し参加する形で真夜中が歌うことになった。ゆずの曲をあまり知らないらしい。一曲聞いて帰るわけでもなく、ふたりは近くに坐りこんで歌を聞く。メガネの人もレパートリーが多く、ゆずの曲やゆずでない曲など色々な曲を歌って聞かせる。
 ふと、その女の人のひとりが私に向かって発した言葉に驚いた。
「吉川くん?」
 もちろん私の名前を教えたわけでもないので知ってるはずはないのだが(だからこそ聞いたのだろうが)、彼女を見た覚えはない。私はなんで知っているのかすぐに聞き返した。
 話を聞くと、私の弟と同級生らしい。私の家にも行ったことがあると言う。そのときに私を見たということではないと思うが、顔が似てるからそう思ったのだろう。それにしてもそんなに似ているのだろうか。

 1月になり、ラウンジのバイトを辞め阪急駅の方まで行く機会が少なくなったせいか、真夜中の人たちには会わなくなった。土曜日の夜、その辺まで行くときはなるべく駅で弾き語りをしている人を見ていたがほとんど見かけなくなった。
 年が明け21世紀になり、季節は春になろうとしていた。俺は阪急電車で茨木市駅から4駅離れた上新庄に一人暮しを始め、彼らとはもう完全に会わなくなった。実家に戻ったとき茨木市駅に寄ってみようとは思っていたが、いつも家から近い南茨木駅から乗って帰るので彼らがどうなったのかわからない。
 彼らはあの後も歌い続けていたのだろうか、真夜中の駅で。

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