2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 2日目「秋田美人」
眠れない。身体が冷える。東北の夏の夜は寒い。
なるべく横風を受けないようたんぽぽの葉のように、公園のベンチに横になってうずくまる。しかし、それでも寒い。やっぱりジャンパーでも持ってくればよかった。薄いジャンパーなのでそれほどかさばるものでもなかっただろう。
女の人の声がした。多分2人。しゃべっているのが聞こえる。ここで寝ている自分に声かけてくれないだろうかなどと阿呆なことを思ってどきどきしていたが、そんなことあるはずもなく。
警官か知らないが、ライトを持った人が見回りに来ていた。こちらにもライトが向けられたが、そのまま通り過ぎていった。もし、声かけてくれたら警察署に泊めてもらえないか頼んだのに。
顔を真上に向けると、星空が輝く。ここはそれほど田舎でもないので、特別に星が輝いてはいなかった。顔を少しもたげる。斜め左前にひときわ輝く星が見える。そして、左の東側からはゆっくり月が昇ってきている。
寝ようと努めたり、たまに星を眺めたりするが、寒くてたまらずに起き上がる。
服をちゃんと着直して、コンビニへ向かう。肌着かなんなのかわからないシャツ、その上にTシャツ、そして、長袖のTシャツを着る。
時刻はまだ夜中の1時。旅の2日目である。
さっき行ったコンビニに向かう。誰か話し相手が欲しかった。あわよくば、その人の家に泊めてもらえないか、もしくは野宿できる場所を聞けるかもしれないと思った。
コンビニには男の店員が2人。とても話をしようという気にはなれなかった。いや、しゃべりやすそうな人がいたところで、多分しゃべりかけることはできなかっただろう。
エネルギーを補おうとチョコレートを買う。公園に戻ろうかと思ったが、公園の横を通り過ぎてそのまま国道7号線へ。
歩きながら食べる。
気がつくと、市街地から出ていてゴミ箱すら見当たらなかった。
チョコレートの屑が入ったビニール袋はもはや車のライトの反射板の代わりをなしていた。
着ていた服は黒で、下はGパン。明るい色ではない。南へ下っているはずの国道も、2〜300メートル間隔でしか街灯がなく、しかも、それ以外の明りといえば、ずっとずーっと向こうの光と月の光。そして、たまに通り過ぎる車の光。
朝になるまで歩こう。停まるかどうかわからない車を待つより先に行こう。そう思ったものの、本当になにもない。引き返すに引き返せなくなっていた。
夜の長距離トラックは怪物である。歩いている真横を、めいっぱいのスピードで走り抜けていく。そのたびに恐怖を感じる。国道も、市街地を抜ければ、ほとんど人が歩くような場所ではなくなる。昨日の、弘前まで向かう車に乗せてもらう前に歩いていたような、道の両側が森という景色ではないので圧迫感はない。しかし、なにもないことに代わりはない。
昨日から、見てはいないが足にまめみたいなものができていて、少し痛い。ぎこちなく歩く。
寒さはあまりない。多分、歩いているからだろう。それでも、息は白い。夏だというのに。
早く夜よ明けてくれ。昇った月はまだまだ沈まぬ。まだまだまだまだ夜なのだ。
2時間ほど歩き、道の駅という場所に着いた。道の駅とは、高速道路でいうサービスエリアみたいなところ。
椅子があり、雨はしのげる程度のところだった。そこで休むことにした。
「がんばる便」という名前の入ったトラック。「がんばっ亭」という店。自分もがんばろう。
スタンプラリーのものと思われるスタンプがあり、持ってきていた日記用の小さなノートに押す。「道の駅・ひろさき サンふじの古里サンフェスタいしかわ」という文字と一緒に太陽のマークが入ったスタンプ。
トイレもあり自動販売機もある道の駅なので、トラックも停まっている。声をかけようとも思ったがやめた。恥ずかしいというのもあったが、様子を見ていると、けっこう長い時間休憩しているみたいだった。そこに声をかけにいくのは気が退けたのだ。
椅子に座り、夜が明けるのを待った。
寝たり、絵を描いたり、雲がそのまま落ちてきたかのような霧に驚いて携帯電話で写真を撮ったり、歯を磨いたりして時間を潰していた。
交通量を見計らい、午前6時、道の駅を後にする。疲れが和らいでいることを実感する。
すがすがしい朝だ。空気がおいしい。
民家がちらほら見える。歩くこと30分。いい場所を見つけ、ヒッチハイク開始。
まだ恥ずかしさがあり、あまり見られたくないので左カーブになっているその先のところを選んだ。つまり、走ってくる車からしたら何百メートルも手前で私の姿が見える位置ではないということ。
さっきの道の駅で書いたスケッチブックの行き先は「秋田」。道路と歩道の間にある段差のところでしゃがんでボードをかかげる。しゃがんでいる姿がヒッチハイクスタイルにふさわしくないとわかってはいたが、立ってボードをかかげるのは恥ずかしかった。昨日は暗かったからできたけど。
10分足らずだった。一台の車がカーブから曲がって、その姿が見えた瞬間にウィンカーを出し、私の手前で停まった。
〈ウィンカー出すの早いなぁ〉
車に近づき、運転席に目をやる。助手席側の窓は開けておらず、運転手見ると「ドアを開けて」と身振りで示している。
秋田まで行くか確認し、礼を言って助手席へ。車に乗っていたのは、若い女の人一人。
なにをしにいく途中なのか尋ねた。秋田までという長い距離なので、気になった。返ってきた答えは、仕事に行くということ。
早いなぁ。まだ7時にもなっていない。しかも、秋田までって。
いつもは、近くまでだが、今日はたまたま秋田の別の店舗に、9時半までに行かなければいけないらしい。今から約3時間はかかる。そう、それくらい秋田までは遠いのである。しかし、それだけの時間、この女の人と一緒にいられる。
私のしゃべることに対してハキハキ応え、スラッとしていて、かっこいい女の人。よく意味もなく笑ったりするが、それがなんかかわいいなと思ってしまう。髪は黒髪の短髪でちょいぼさぼさしていて、眼鏡をかけている。めちゃめちゃ肌が白く、もともと秋田の人だけど、今は青森の弘前にいてマックスバリューで働いているという。歳は24歳。歳の話では、けっこう上に見られると言っていた。たしかに、子どもがいても不思議ではなかったけど、ちゃんと24歳に見える。「24歳」という年齢になぜか惹きつけられるということもあって、一層この女の人が素敵に見えた。
一人で暇だったと言う。これから何時間も車を走らせなければいけないとなると、そうかもしれない。一度通り過ぎてUターンして戻ってきてくれたらしい。どうりでウィンカーを出すのが早かったわけだ。
まともに寝ていなかったので眠かった。
「いいよ、寝て」
「やったー」
お言葉に甘えて眠ることにした。でも、せっかく暇をつぶすために乗せてくれたのにしゃべらないのは悪いと思ったのと、あと数時間で着いてしまうと思うとなかなか寝つけなかった。それに、過ぎてゆく景色を見ないのはもったいない。
助手席で体を横にしていると、後ろから仕事場の制服を取ってそれをかけてくれた。
〈優しい人や〉
ヒッチハイクで乗せてくれる人って、本当に優しい人だけなんだなと思う。
体勢を傾けて寝ようとしたり、一緒にしゃべったり、あまり代わり映えしない景色を眺めながら車は進む。
いつしか、国道を反れて走っている。裏道というやつ。そして、今年初めて夏らしい夏だと感じた。蝉の声がしたからだった。多分、今年初めて聞いたかもしれない。
陽も高くなってきて、少し暑いくらいになってきた。
コンビニに寄るかどうか聞いてきていたので、特に買うものはないが、一緒に寄ることにした。
途中に見えたサンクスに寄る。私はなにも買わず、そのまま出る。
その人は眼鏡を外していた。上は白のシャツで、下が黒のズボン。太陽の光に照らされているその姿を見て思った。
〈やべぇ、かっこいい〉
写真を撮らせてもらっていいかお願いした。
相手は、一瞬悩み、
「恥ずかしいから一緒に撮ろう」
と答えた。
願ってもないこと。嬉しかった。だけど、そこで思った。前にも、同級生の女の人に写真を撮らせてもらっていいか聞くと、恥ずかしいから一緒に撮ろうという答えが返ってきた。その人とは違う別の同級生も同じことを言っていた。なんなのだろう。でも、あまり深く考えてもしょうがない。
撮ってくれる人を探す。コンビニに出入りする人を、あの人にしようか、あの人にしようかなどと話しながら見ていた。自分たちは他の人からしたら怪しい人に映っていたと思う。
結局、せかせか動いているコンビニの店員に彼女がお願いしてくれて、その店員に撮ってもらった。
そして、車に乗り込むと、カロリーメイトとジュースをくれた。
ありがたい。私のために買ってきてくれたなんて。しかも、ちゃんと栄養のこと考えてか、カロリーメイトと、ジュース(ちゃんと確認してなかったけど、ジュースは多分野菜ジュース)。
その人とは、乗せてもらってから1時間ぐらいもすればほとんどタメ口になっていた。初めて会う人なのに。乗せてもらっていた約3時間のうちの半分ほどは会話できたと思う。それ以外は、私が横になって眠ろうとしていたから。後のほうになったら、もう寝るのを諦めてこの人と時間の許す限り話そうと思っていた。
もうすぐ仕事場に着いていなければいけない9時半になろうとしている。彼女は、秋田市のJR秋田駅の北にある土崎駅の近くのマックスバリューに行く。私は、国道沿いに降ろしてもらったらありがたいと告げる。そして、寝られる場所があれば教えて欲しいことも言う。気を遣って、寝られる場所を探して車を走らせてくれた。色々車を走らせてもらったので、時間が気になって逆にこっちが気を遣ってしまう。
「遅れたら、道が混んでたとか言えばいいから」
と言ってはくれた。そしていろいろ検討して、土崎駅近くの公園に降ろしてもらった。
寝られるベンチがあるが、どうもここでは寝る気にはならなかった。誰かいるし。なので、さっき見た土崎駅にでも歩いて行ってみると私は言う。
そして、約3時間のドライブもここで終り。お別れ。ちょっと寂しい。
「また君とは会えそうな気がする」
と、その女の人は言う。
私もそんな気がした。
「また」
私が言った。
「また」
「バイバイ」
そう私が最後に口にし、彼女は車に乗り込み、私は車の進行方向とは逆の土崎駅に向かって歩き出す。
旅の帰りにでも会えるかもしれない。会えそうな気がした。いや、会えるわけがない。会える確率なんて皆無に等しい。でも会いたい。
土崎駅。
駅自体はとても小さい。ちらほら人が見える。電車を待つための椅子がある。ここでも充分休める。特に周りの目が気になるような場所でもなさそうだった。
カロリーメイトも食べ終わり、ジュースも飲みほす。
Sに電話をした。出なかったのでメールを送った。
Sとは、ネットで仲良くなった人。この人とは一度揉め事を起こしたことがあったが、仲直りして、電話番号を交換して話をしたりしたことがある。女の人ということは知っている。会ったことはないが、山形市に住んでいるというのは知っている。旅をするにあたって、少しまわり道をするが、それでも会ってみたいと思ったので、その旨を伝えようと思ったのだ。
ピークは過ぎているものの、まだ出勤の時間なのか、駅に向かう人は多い。椅子も、すぐに埋まってしまう。そんな中、私は浅い眠りについた。
11時ごろ目が覚める。1時間弱ぐらいは眠れただろう。それでもやっぱりまだ眠い。さっきの車の中では眠れなかったので、朝、道の駅で眠ったのと合わせて、2時間足らずしか眠っていないことになる。
駅を出て歩き出した。
さっきの女性に、本になっている東北の地図をもらっていたのでそれを頼りに進む。来るときには地図もなにも持ってこなかった。別に地図なんか見なくてもいいかなと思っていたけど、やっぱりあったほうが便利だ。これをもらうときも「あげるよ」という好意も初めはちょっと遠慮したが、彼女はすでに新しい地図を持っているので、せっかくだしもらうことにしたのだ。
本当は、秋田から先のことは、まったくといっていいほど考えていなかった。とにかく秋田に行こう。秋田まではどうにか行けるだろう。とにかくまず秋田だ。そんな考えの中、たった1日で秋田まで来てしまった。ここから先は「なんとかなるやろう」という考えだった。なので、なにも持っていない地図をもらうということも、その「なんとかなる」という行為そのものである。そう、なんとかなった。
そしてこのあと、この地図は重宝してくれたのだ。
なんとかなる。それを証明するための旅でもある。そして、人生というものもなんとかなるかもしれない。そう思いたかった。
秋田を抜けるには、まず国道に出なければならない。国道7号線へと歩く。
国道は案の定、ヒッチハイクできる感じではなかった。交通量が多い。そのまま南下する。地図で見る限りでは、3時間も歩けば市街地から出られそうだった。それまでにヒッチハイクできそうなところがあったらするが。
それにしても、暑い。いくら東北とはいえ、昼間は暑い。景色を眺めながらひたすらに歩く。途中でヒッチハイクしようとも思ったがやっぱりやめた。
一人暮しをして2回目の場所がこの秋田県秋田市。住んでいたのは秋田駅から歩いて20分ほどのところ。去年の12月まではここに住んでいたのである。
家賃も気候も住み心地もそれほど悪くはない。しかし、思えばこの秋田にはあまりいい思い出がなかった。諸々の事情により青森に移ったが、いい思い出といったら、ネットをしていて仲良くなった女の人が、大阪からこの秋田まで会いにきてくれたことだろうか。
途中、スーパーに寄って、店の中に休めそうなベンチがないか探したがなかった。
さらに歩いて、ヤマダ電機が見えたのでそこに入る。ここは空調がよく効いていて涼しい。しかもベンチまであって、座って休むことができる。
二階の商品が陳列してあるところを見てまわる。もちろん買うものなどない。携帯電話を販売しているところで、携帯の受信範囲を示す地図がおいてあり、それをもらう。
近くのものを見ていて、辺りを見たとき、立ち眩みの症状が起きた。ちょっと、体調がやばいのかもしれない。
一階のベンチで休んでいると、母からメールが届く。そして、そのメールと一緒に、Sからも、日記のアドレスを教えてというメールが届いている。時間を見ると、8時台に受信時間が表示されていた。
〈電波悪かったんやろう〉
さっき、車で走っている最中に受信されるはずだったけど、「秋田の中でも五本の指に入るくらいの田舎」と言っていたほどの田舎道を通ってきていたわけだし、受信できなかったのも無理ないと思った。
ということは、さっき私が送ったメールと入れ違いになってしまったことになる。日記のアドレスを教えるため再度送信。さて、あとはSからの返事を待つだけだ。
返事がないか、会うのが無理となると、わざわざ内陸の山形市を通る必要はなくなるので、海沿いのルートである酒田、鶴岡方面に行くことになる。山形市に行くなら、酒田方面に行ってからでも行けるが、秋田県を内陸に進まなければならない。今から歩けば、もうすぐその分岐点にさしかかるはずである。
ヤマダ電機で少し休んで、出発する。
分岐点と思われる場所に来た。どうしようか。
ケータイを確認すると、Sから着信があったので、こちらから電話をかける。Sが出て、話をする。映画見るからどうのこうので、明日ならいいと言う。ようするに、会えるということだ。
山形行き決定!
ヒッチハイクポイントを探しながら歩く。歩いていて気づいたけど、さっき分岐点だと思っていた場所はまだ分岐点じゃなかった。新潟に向かう国道7号線と、山形市へ行く13号線が分かれている、その分岐点も通り過ぎる。
時間はまだ15時前。陽はまだ高く、私は暑さに駆られていた。
サティが見える。大型スーパー。秋田に住んでいたときに、行ったことがある。贅沢だとは思うがなにか飲みたい。そして、前にチャットをしていて、試してみたいことを思い出してしまった。アクエリアスのようなスポーツドリンクと、お酒を一緒に飲むと吸収が早いのでよく酔える、ということを聞いた。お酒は自分で好んでは飲まないけど、どうせスポーツドリンクの類のものを買うだろうし、試してみたいと思った。
旅での食費代は1日、2〜300円と決めていた。できれば200円に抑えておきたい。今日はチョコレートを買ったので、夜、なにか買えば二百円を超えてしまう。でも、しょうがない。贅沢しよう。暑さにはかなわない。
サティはまだか、サティはまだかと思いながら、歩く。その姿が見えても、まわらないと辿りつけない。
やっとこさたどり着き、冷房の効いた店内へ。
涼しい!
カートを押して、めぼしいものを探す。カートを押していったのは、かごを手に持つより楽だというのもあるけど、試食したいとも思ったから。こっちのほうが試食するスタイルとしてはいいから。背に腹はかえられない。
試食コーナーで、少しつまんで、あとは安かった清涼飲料水「DAKARA」と、これまた安かったアルコール度数6パーセントのチューハイを買い、それらが入った袋を持って、店内設置のベンチへ向かう。割ったほうがいいかもしれんけど、飲めば同じだろう。お腹の中で混ざる。
座り込み、チューハイと、それと同じぐらいの量のDAKARAを飲む。
ん~~? ん?
特に、いつもと変わらない。
お酒を飲むと体に赤い斑点ができたり、すきっ腹のときにモスコミュールを飲んだだけで酔ったりと、お酒にはもともと弱い。今回、いつものようにちょっと気持ち悪くなるだけで、特に変化が見られない。こんなものだろうと思いながら、少し寝た。
目が覚める。それほど寝てはいない。トイレへ行こうと、起きて立ち上がる。
次の瞬間、ものすごく頭がくらくらしだした。異常なまでに、頭がガンガンする。
やばい、これはやばい。せめてトイレまで行きたいが、そこまですらもちそうにない。視界の店内風景は色がなくなって真っ白になっていき、物の輪郭だけ黒く見える。
近くにある柱につかまる。つかまるというより、寄りかかる。そうじゃないと倒れそうなのである。
トイレまで行けそうもないと判断した。
〈やばい! このまま旅は終わってしまうんか!?〉
もといたベンチまで数メートル。しかし、そこですら行くことができず、すぐ近くにあった別のベンチに倒れこむようにして、横になる。
〈救急車で運ばれるのは嫌やで……〉
そんなことを思いながら、そのまま眠った。
どれくらいか眠り、起き上がると、お腹が気持ち悪い。しかし、さっきみたいな激しい頭痛はしない。普通に気持ち悪いだけ。
時間を見ると、もう18時。サティで予定外の時間を食ってしまった。そろそろ外に出て、場所を見つけヒッチハイクしないと日が暮れてしまう。トイレに行ったあと、また近くのベンチに座り込み、19時近くまで腹の気持ち悪さがなくなるのを待つ。
旅中にこんなことをするものではないな。
スケッチブックを取り出し、次の目的地「山形」と書いて、サティを出る。
ほぼすきっ腹に近い状態であんなことをしたせいもあり、なにかお腹につめないと腹痛が鎮まりそうにない。それでなくてもお腹が減っている。出費は惜しいけど、今の私にとっては薬のようなものである。すぐ近くにあったコンビニでおにぎりを買って食べる。
時間がもうない。陽がもうすぐ沈んでしまう。橋を越えたあたりでヒッチハイク開始。立ったままだと、腹痛できつかったので、ここでもしゃがんでヒッチハイク。前の女の人が、しゃがんでいた私を見て「仔犬みたいでかわいかった」と言っていたからというのも理由としてないわけではなかったが……。
もうほとんど陽は残っていない。道行く車のライトも明るい。
ふと、私のもとへ一人のおっちゃんが声をかけてきた。しかし、乗せていってくれる気配ではなかった。ただ、見にきただけか。少し会話を交わしたあと、どこかへ行ったきり戻ってこなかった。
30分ぐらい、途中立てないこともなかったがタイミングが計れず、しゃがんだまま山形をかかげていた。すると後ろから車の鍵と思われるチャラチャラする音が聞こえた。
もしかして、私に?
そして、声がしたが無視した。とうてい、私に声かけてくれているとは思わなかった。
2回目の声がした。やっぱり私に声をかけてくれてるのかなと思い、振り返ると、男の人がこちらへ向かってきていた。やはり私に声をかけてくれていたみたいだった。
一度は通り越し、車を停めてわざわざ戻ってきてくれたのだ。
横手というところまでしか行かないが、ありがたく乗せてもらった。横手までは、秋田から山形までの三分の一ぐらいの地点。
不動産屋の人で、今から横手へ、契約書か何かにハンコをもらいにいくと言っていた。
この人もけっこうしゃべってくれる人である。
「山形」とだけしか書いていなかったら、山形県に行くのか山形市に行くのかわからないと言われた。しかし、私としては、とにかく山形方面に行ければいい。今行きたいのは山形市やけど、山形県の別の場所でもいいという気持である。今日の朝の「秋田」も、そう。秋田市に行きたいけれど、秋田県の別のところに行くならそれもそれでいいと思う。
秋田美人という言葉があるが、それは横手が発祥だということを聞く。なので、美人が多いらしい。
この男の人、もともと秋田の人だという。そして横浜に住み、今また秋田に住んでいる。九州に住みたいと言っていた。
年は31歳の人。そして、この車の中がいくら暗いからとはいえ、この言葉を言われて、ショックを受けた。
「同じぐらいの歳でしょ?」
いやいやいやいやいや……。
そのあと歳を聞いてこなかったので、勘違いされても困ると、ちょっとあせって「20歳です」とこっちから言ってしまう。向こうは特に表情は変わらなかったし、たまに敬語で話す口調も変わらなかった。
18歳のとき、そのときも暗かったが7歳上に見られたことがある。そして今は10歳ぐらい上に見られた。暗くなくてもたいがい上に見られるけど、暗いとこうも上に見られるものなのだろうか。
その男の人がいうには、次は「湯沢」に行けばいいらしい。高速を降りて、湯沢行きを出していたら、そこへ帰る人が必ずいる、と。
どうしよう……。高速の入口でヒッチハイクするのなんて私にできるかどうか。でも、やろう。せっかく薦めてくれているし。
秋田でなら、不動産業をしているので空いている部屋に泊めてあげるということができると言っていた。
電話番号を教えてもらう。こういうのはあまり好きではなかった。そのとき会った人はそのときだけで終わりにしておきたかったのだ。なので、前の女の人も名前すら知らない。でも、今回は教えてくれるというので、拒む意味はない。電話番号が書かれた紙をもらう。
そして、お別れし、男の人が言うままに高速の入口で「湯沢」と書いたスケッチブックをかかげる。
時間は21時前。風がある。半袖でも寒いと思わないのは、さっき酒を飲んだからだろうか。
少しして、夫婦と思われる人が停まってくれた。
「湯沢まで行きますか?」
いいから乗りなさいという感じなので、お礼を言って後部座席に乗せてもらう。また、こんばんはの挨拶を忘れた。
少しの間しか乗せてもらっていないということもあってあまり会話はしなかった。
運転席のおっちゃんは、高速を飛ばしまくっていた。
21時15分、高速を降り、目の前が国道だというところで降ろしてもらう。
国道13号線に出て、そのまま南下する。
ここ湯沢は夜の店が多かった。どんな店があるのかまではよくわからないが、飲み屋をはじめ、スナックやパブ、ラウンジといったものがたくさんあるのだろう。
湯沢駅の近くまで来たので寄ってみた。小さな駅。トイレを探したが、ありそうにないので、そのままそこを後にした。
歩けば歩くほど、建物が寂しくなってくる。市街地を抜ける。
適当な場所を見つける。自動販売機の明りの前でヒッチハイク開始。立ったまま、ボードの高さは胸の辺りで、片手で道路側に向ける。
時間も時間なだけに、車の通りはそれほど多くはない。
それほど悪い場所ではないと思ったが、一向に車が停まってくれなかった。この旅、始まっての「待ち」かもしれない。そう、多分今まで運がよかっただけなのだろう。
半袖ではさすがに寒くなってきた。長袖を着ている間に、停まってくれる車を逃したら嫌だと思って、長袖を着るのは車に乗せてもらってからにしようと思っていたが、1時間ほどしても一向に車が停まらないので、荷物をガードレールにかけ、服を着ることにした。
服を着終わるぐらいに、後ろの、国道へ出る交差点の道から車が来て、運転席の窓から男の人が顔を出し、声をかけてきた。
「ヒッチハイクしてるんですか?」
「はい」
一応、スケッチブックは開いたまま外に出していたが、それでヒッチハイクしているとわかったのだろうか。向こう側からだと文字が見えないのに。
「ここじゃ、つかまらないと思う」
と言って、乗せてくれると言う。
近くまでだけど、乗せていってもらう。
後部座席の右側に座る。左隣には男の人。運転席に今会話を交わした男の人。助手席には女の人。多分、遊び仲間かなにかなのだろう。今から帰るところだという。
あそこにいてたら、6時間しても乗せてもらえなかったと言われた。いやいや、あなたたちが乗せてくれたじゃないですか。
あそこの道は、どこか別のところに行く車が多いとか言っていた。3台目に乗せてくれた不動産屋の男の人は、もう山形方面に行く車しかないと言っていたのになぁ。
外国人がヒッチハイクをしていたという話を聞いたり、その人の父が以前ヒッチハイカーを家に上がらせたときのことを話してくれたり、みんなの年齢が25歳ということを聞いたり、九州まで行くと言うと「すげー」と言われたり、名前を聞かれたり。
3人でどこで降ろせばいいか話をしてくれ、道の駅まで乗せていってくれた。道の駅までは車ではそれほど時間はかからなかったが、歩けばかなりの距離がある。
ここならトラックとかに声かければいいと言う。が、声をかけるのが苦手だとは言えなかった。
今日中に山形に行くのはあきらめ、この道の駅で寝ることにした。車を降り、ここでお別れ。別れ際、私はその人たちにこう宣言した。
「九州まで行きますんで」
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