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この後に及んで呪い合うことにゲンナリはしているよ。

近年、小説やら漫画やら映画やらに触れるに、どうやって今までの世代の呪いを解くのか…というテーマがすごく多いように思う。

または、それは自分自身の過去を精算するというようなモチーフで出てきたりします。

絵画では、あるモチーフがあった際に1枚の画面にギュウギュウに情報を詰め混んだ、暗喩の塊みたいになっているものが多いけど、最近の作品は全てそういう傾向にあるのではないかと思っています。

こう、なんかどんな作品見ても、そんな風に見えてしまってちょっと困っています。クリエイティブの全てが呪いと戦っているように見える。

先日不意に見たデヴィッドフィンチャーのゾディアックも、サスペンスというよりは、世の中で解決しないなんとなく気持ち悪いものを、抱え続ける人々の話に見えてしまった。家族と過ごす時間のためにそう言う呪いを忘れる人がいたり、家族を捨ててまで立ち向かう人がいたり。みんな忘れてしまうけど、そういうものに誰のためでもなく抱え続けて立ち向かうっていうか。

閑話休題。

最近「高齢者は集団自決だ」みたいな言説で学者さんが炎上していると聞いたのですが、まぁ大抵SNSでそういうのを燃やしているのが自分に近しい40代前後以上の人たちなのではないかと思うとゲンナリする。10代20代の人は、こういう発言を心のどこかで喝采しているのではないか、だからこそ支持を集めているのではないかと思います。

「高齢者は集団自決だ」と本気では思わんけど、その裏側に若い世代の総意みたいなものがうっすら滲む。しかもなんていうか、そういう呪いをエンタメとして楽しむくらいには世の中を呪ってるってことじゃないかと思うんだよな。同時にエンタメとして楽しむくらいの強さもあるってことかもしれないけど。

僕らの世代が「正しいことをした」って思っていても、若い人たちからしたら「またしょうもないことで叩き出したよ。めんどくせ。」って感じなんじゃないかな。もうそれは、次の呪いじゃん。

だって年寄りの政治家とかを代表に酷いし。既得権益でどうしようもない。権利のない30代以下が「ジジイども死なねーかな。」って思うのはそりゃ当たり前じゃないかな。
自分自身もそう言う気持ちないわけではないから、自戒の念はありつつも。どっかで「あー世の中リセットしねーかなー」みたいな気持ちってあるもんで。
それに比べたら高齢者にも分かるように強いワードとして「集団自決」って言うのはスマートだし、そこには「栄誉」みたいな気持ちも乗っかってるから、当事者が傷つかないための配慮みたいのがないわけではないと思うんだよな。

なんにしても40過ぎて言葉尻を捉えて140文字で荒ぶり出したら終わりだし、もうなんらか歪んでんだよな。
いまだにそう言う本質的でない言説で、SNSと言う閉鎖空間で呪い合い、殺し合うのかよ…と言う気持ちです。
しかもそれの中心が自分達以上の世代ってことで、どうしようもなくやるせない無力感にとらわれる。

リアルに呪術廻戦みたいな世界でどうしたらいいんだろね。

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