Masa@kamejikan

鎌倉の材木座でゲストハウス亀時間を運営しています。https://kamejikan.com/

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    最近の記事

    <最終話>#105 テーブル・マウンテンの頂上で吠える~アフリカ縦断達成~@南アフリカ共和国・ケープタウン

    2002年1月下旬 移動する旅の終わり ケープタウンに来てから転々と居候の日々。充実した毎日であっという間に2カ月が過ぎ去った。1月下旬のとある夜、エミリー、ニック、日本人で元トラック運転手からジャグラーに転身したぎんさんと4人で、寝袋と食料だけを持って、シーポイントの住処から、徒歩でテーブル・マウンテンに向かった。本当は禁止されているのだが、頂上で一夜を明かすのだ。 静かな夜、観光客が誰も居なくなった標高1000mの山頂で、崖っぷちに仁王立ち。オレンジ色の街の灯りが満

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      • #104 ヒッピーコミューンに転がり込む  @南アフリカ共和国・ケープタウン

        2001年12月 南アでの滞在が長くなるにつれて、白人と黒人の明らかな経済格差が目につくようになった。アパルトヘイトは7年前の1994年に撤廃されたが、構造的差別は続いていることを実感した。 ヨハネスブルグ郊外の緑豊かな住宅街、ケープタウンで仲良くなった白人たちの暮らしを垣間見たが、彼らは立地の良い安全な地域で優雅な生活を享受する一方、黒人やカラードは郊外の低所得者居住地域に住み、その一部はスラム化していた。 宿では、掃除など下働きをしているのは全て黒人だったし、黒人に

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        • #103 オシャレなフラットに居候@南アフリカ共和国・ケープタウン

          2001年12月13日 旅の恥は掻き捨てというではないか。お誘いの言葉に甘えて、テーブルマウンテンの麓、大西洋を見下ろす丘の中腹にある閑静な住宅街、フレデフックにあるリーズルの家に転がり込んだ。2階建てフラットの2階、厳重な二重扉を開けると、白い壁、高い天井、フローリング床、2LDKの素敵な部屋が現れた。 リビングには茶色のソファ、壁には抽象画、中央のテーブルにはガラス瓶に活けられたオレンジ色の花、ロウソクとトスカーナ地方の洋書。「散らかっていてごめんね」と謙遜するのだが

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          • #102 美しい自然に囲まれた港街に一目惚れ@南アフリカ共和国・ケープタウン

            2001年12月12日 レソトからケープタウンまで1000km以上も離れていたが、一気に大移動することに決めた。オランダ人マライアの車でマレアレアから首都マセルまで送ってもらえて助かった。国境のトイレでは大事な用を足そうと思ったら、どの便器もたっぷりのウンコで満たされていて驚愕した。我慢できないので仕方なく一番便位の低い便器を選び、そーっと穏便に事を済ませた。 南ア中央部、フリーステート州都ブルームフォンテーンへの道中は、緩やかな曲線を描く緑の丘が、地平線まで連なる丘陵地

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            #101「旅を続けなさい」呪術師サンゴマの骨占い

            2001年12月10日 雑誌の星占いは信じないが、伝統的な占いには、歴史に裏打ちされた特別な力が備わっているような気がする。ポニートレッキングに参加した僕ら一行は午後、ロッジの敷地内にある伝統的な小屋「バソトハット」の中で、呪術師サンゴマに占いをしてもらうことになった。 通訳が英語で一人ずつ順番に入室するように説明。一番手はアメリカ人のナンシー。待っている僕らは中の様子が気になってソワソワしてしまう。ナンシーが出てくると、次はオランダ人マライアの番。最初、占いは信じないと

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            #100 草原を駆け抜けるポニートレッキング@レソト王国・マレアレア

            2001年12月9日 レソト王国は南アフリカ共和国に囲まれた人口200万人の小国である。16世紀以降、ドラケンスバーグ山脈の一角に住み着いたソト人は、イギリスの保護領時代を経て1966年、南アフリカ共和国から独立した。高地で特に産業もなく、アフリカ最貧国の一つである。 犯罪都市ヨハネスブルグから一刻も早く立ち去りたい一心で、長距離移動の疲れも癒えぬまま、一泊してすぐに次の目的地レソトに向かうことにした。朝食後、街の中心部、ダウンタウンにあるミニバス乗り場まで宿の車で送って

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            #99 獣の街で白昼堂々窃盗に遭う@南アフリカ・ヨハネスブルク

            2001年12月7日 朝6時に目が覚めると、バスは目的地プレトリアを通り過ぎて、世界一危ないとも言われる犯罪都市ヨハネスブルクに来ていた!熟睡して寝過ごしてしまったのだ。そこはアフリカで一番行きたく無かった街だった・・・。 2か月滞在したジンバブエを出て、久々の一人旅が始まった。旅の感覚をすっかり忘れていたし、犯罪に巻き込まれる危険と隣り合わせの南アフリカ共和国への移動に緊張が隠せなかった。しかしバスに乗り込んでしまえば、その不安は次第に自分の意思で好きな土地へ行ける解放

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            #98 先祖の霊が降りる儀式に参加する@ジンバブエ・チトゥンギザ

            2001年11月15日 美しい音色の楽器に出会う  オルゴールのような聞いたことのない心地良い音が、どこかの部屋から漏れて外まで響いてきた。ハラレの宿パームロック・ヴィラに滞在し始めた頃のことである。その音の発生源がジンバブエの民族楽器ムビラだった。 日本人長期旅行者が数人、伝統奏法を現地の先生から習っていた。美しい音色に魅せられて、すぐに自分も一台買おうと決めた。A4ノートよりも小さく、旅のお供に最適なサイズなのも気に入った理由の一つだった。 お土産的な安っぽいムビ

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            #97 洞窟で4泊5日の原始人生活@ジンバブエ・チマニマニ国立公園

            2001年11月4日 山籠もり4日目。僕ら5人とアレキサンダーは山小屋に残る二人に別れを告げて、テリーズケイヴと呼ばれる洞窟へ引っ越しすることになった。沢を南へ下った。10年前に泊まったことがあるアレキサンダーを先頭に進んだが、途中で道がいくつも枝分かれしており、正しい順路を見つけるのが難しい。3時間の予定が4時間経ち、へとへとになって、やっと目的地の洞窟に到着。 テリーズ洞窟 直径15mはある巨大な岩の真下、10人は楽々と寝られるスペース。先客が置いてくれたのだろう、

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            #96 山頂でUFOを呼ぶ儀式を執り行う@ジンバブエ・チマニマニ国立公園

            2001年10月30日 大人の遠足 ハラレ~チマニマニ村へ 夜行列車に乗り込んだ僕らは、お菓子を食べながら、「おやつは500円までだよ」とか「バナナはおやつじゃない」などとふざけあった。久々の団体行動で修学旅行のようなワクワク感である。 ハラレの宿に長期滞在していた日本人7人で、ジンバブエ東部、モザンビーク国境沿いのマニカ高地に位置するチマニマニ国立公園へ、トレッキングに行くことになった。チマニマニから帰ってきてたのにとんぼ返りするというしゅうすけ君とM君から、どれだけ

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            #95 泥棒逮捕!そして裁判へ@ジンバブエ・ハラレ

            2001年10月25日 働きざかりなのに働かず、美味しいものを食べることだけに熱中する日本人旅行者たち。彼らにとって、ハラレは日本と変わらぬ、いやそれ以上の飽食の黄金期を迎えていた。毎日ご馳走だからたまには粗食しなきゃと考えている自分に気づき、初めて金持ちの気分が少しだけ分かった気がした。ろくに運動もせず宿でゴロゴロ、太って当然の生活を始めて2週間が経とうとしていた頃、事件は起きた。 深夜1時頃、宿の一階の相部屋。ゴソゴソという物音で目覚めたM君は、泥棒が窓の外から手を伸

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            #94 シェラトンビュッフェ300円!ハイパーインフレのグルメ天国@ジンバブエ・ハラレ

            2001年10月15日 ビクトリアフォールズからバスで8時間かけてジンバブエ第二の都市、ブラワヨへ。更に夜行列車に乗り換えて、翌朝ジンバブエの首都ハラレに到着した。ハラレ市街の中心部には高層ビルが立ち並び、ケニアやエジプトには及ばないが、訪れてきたアフリカの国々の中でも比較的発展している印象を受けた。 この国はかつてイギリス人のケープ植民地首相、セシル・ローズにより植民地化されて、ローデシアと呼ばれていた。イギリスはアフリカの植民地支配において、マラリアの心配がなく気候の

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            #93 悪魔のプール・瀑布の滝壺落下まで1m@ザンビア・リビングストン

            2001年10月11日 寝坊したので朝食抜きでチェックアウトして、急いでバスターミナルへ行ったが慌て損だった。リビングストン行きのバスが満員となり、ルサカを出発したのは9時過ぎ。車内は冷房が効きすぎて、体が冷えてお腹が痛くなった。バスの休憩までじっと我慢して野糞でスッキリ。長旅の試練をへて、便意への耐性が強まったと実感した。 夕方16時過ぎにジンバブエ国境近くの町、リビングストンに到着。安宿「JOLLY BOYS」に投宿した。夕食後、バルコニーでお茶を飲んでいると、ルサカ

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            #92 黒人の魂と仏心が混じる大地 @ザンビア・ルサカ郊外

            2001年10月8日 晴れて清々しい空気の朝。宿の庭で、玉子焼きを載せたトーストとコーヒーで朝食。ザンビアは元々北ローデシアと呼ばれた植民地で、イギリスによって銅鉱山が開発されたが、1964年の東京オリンピック開催中に独立した。ルサカは首都としての歴史も浅く、見所が無いので、早々に移動することにした。 西村さんと宿をチェックアウトしてバスターミナルへ。ハイエースの乗り合いバスを乗り継ぎ、カピリ・ムポシへ向かう幹線道路を北上。未舗装の悪路へ右折してから、30分ほどバスに揺ら

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            #91 51時間耐久サファリトレイン@タンザニア・ダル・エス・サラーム~ザンビア・カピリムポシ

            2001年10月5日 ダル・エス・サラームで、エジプトのカイロで仲良くしていた西村さんとナイロビ以来2度目の再会。彼と日本人カップルの4人でタンザン鉄道に乗り、隣国のザンビアまで移動することになった。 朝食を済ませて鉄道駅へ到着すると、駅舎は中国でよく見た四角い無機質なデザイン。それもそのはず、この全長約1860kmの国際鉄道は中国の支援で敷設されたのだ。2等車の6人用コンパートメントはインドの寝台列車と同様に、座席の背もたれを跳ね上げると3段ベッドに変身する仕組み。2等

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            #90 ココナッツ尽くしの家庭料理に舌鼓@タンザニア・ザンジバル島・ジャンビアーニ

            2001年9月30日 ザンジバルを去る南アの3人ともお別れして、また一人になった。彼らはTシャツをプレゼントしてくれただけでなく、リーズルが「もしケープタウンに来るなら、是非私の家に泊まってね」と嬉しいお誘いをしてくれた。 宿をチェックアウトして、小型トラックの後部を改造した乗り合いバス「ダラダラ」で東海岸の町、ジャンビアーニに向かった。現地の人達と荷物がギュウギュウに詰め込まれているが観光客は自分だけ。バスの天井から吊り下げられたスピーカーから、サッチモの「What a

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