見出し画像

<最終話>#105 テーブル・マウンテンの頂上で吠える~アフリカ縦断達成~@南アフリカ共和国・ケープタウン

2002年1月下旬

移動する旅の終わり

ケープタウンに来てから転々と居候の日々。充実した毎日であっという間に2カ月が過ぎ去った。1月下旬のとある夜、エミリー、ニック、日本人で元トラック運転手からジャグラーに転身したぎんさんと4人で、寝袋と食料だけを持って、シーポイントの住処から、徒歩でテーブル・マウンテンに向かった。本当は禁止されているのだが、頂上で一夜を明かすのだ。

静かな夜、観光客が誰も居なくなった標高1000mの山頂で、崖っぷちに仁王立ち。オレンジ色の街の灯りが満点の星空のようにきらめくケープタウンの夜景を眼下に見下ろし、独り占めした。それはこの街を征服したような最高の気分だった。

不意に、日本からアジアを横断してアフリカを縦断した長旅が、アフリカ大陸の南端にたどり着いて終了したのだという達成感が、自然とこみ上げてきた。言葉にならない熱い想いを吐き出すように、思わず何度も腹の底から夜空に向かって吠えた。

一つの旅が終わった。エジプト・カイロを出発してから6ヶ月、日本を出発してから1年3ヶ月が経っていた。

アジア横断の道程
アフリカ縦断の道程


陸路旅の魅力

振り返れば、アジア横断も異文化の混合と変化を感じられる魅力的な道程だったが、アフリカ縦断も負けず劣らず、想像以上の世界を見せてくれた。エジプトからナイル川を遡上して、スーダンの砂漠を越えて緑豊かなエチオピア高原に入り、再び乾燥したケニアのサバンナへと降りて、ウガンダの生物溢れる密林ジャングルに辿り着く行程は、変化していく自然の多様さと、そこに適応して生きる人々の文化のタペストリーの豊かさ、アフリカの奥深さを教えてくれた。陸路旅の醍醐味は、旅全体の中で、最も過酷な移動を余儀なくされたこの道中にこそあり、深く記憶に刻まれた。

チベット高地、エチオピアのサバンナなど、困難な環境で生きる人間の生命力の力強さには圧倒された。比べれば自分は便利さを謳歌するあまり、本来持っている肉体の可能性を引き出すことなく、温室で育ったモヤシだった。

アフリカ縦断の旅後半は、ケニアのナイロビ、ジンバブエのハラレ、南アのヨハネスブルグなど都市部の治安の悪さに肝を潰し、危険な目にもあったが、多くの人々に助けられて無事にケープタウンまで辿り着けたことが感慨深い。

アジア横断とアフリカ縦断の旅を総括したいのだが、圧倒されるばかりで20年経った今も叶わない。一つだけ確かなのは、地球の大きさを体で覚えていることだ。

旅からの学び

狭い島国で育った自分にとって、道中には培った価値観を軽々と超える世界があり、期待する以上の体験と苦難に勝る感動があった。アジア人だとからかわれたり、差別的な言動をされたりしたこともあった。それは苦い体験ではあるが、日本で多数派として生きていたら、知り得ない差別される側の気持ちを理解する貴重な体験だったし、アジアの小さな島に住むアジア人の一人なのだという意識も芽生えた。

日本はまだまだ安全なので、ボケッとしていても犯罪に巻き込まれることは少ない。しかし、海外ではそんな甘くはなかった。自分は割と隙きがあるので狙われやすいが、しっかり気をつけていれば大抵の犯罪は防げると他の旅行者たちを見ていて感じた。
道中、何度も騙されそうになり、何度かは騙されて、ギリシャでは大金も失ったが、見ず知らずの旅人に親切にしてくれる現地の人々に助けられた。旅は島国の平和ボケを治療するには最適の薬だし、苦い経験は何があっても、命さえあれば何度でもやり直せるのだ、という学びだった。

マスメディアでは悪い国と正義の国があるような価値判断がまかり通っているが、どの国に行っても、そこに暮らす人々は僕らと同じように、異邦人に優しくできる普通の人々ばかりだった。その事実を身を持って知ったことが、難題山積みである地球の未来への希望に繋がった。

南アに辿り着くまでに21か国を訪れて、数えきれない現地の人々と出会い、彼らの暮らし方に触れて、多様な価値観を知った。旅を始めた当初は、日本との違いから優劣を判断する癖が抜けなかったが、次第に意味がないと気づかされた。むしろ違和感を覚える習慣がなぜ許容されているのかを観察すれば当然そこには理由があり、ただ文化や価値観の違いとして受け入れられるようになった。

一方で何もしなくてもバナナが実り、魚が採れる豊かな土地に住む人々の大らかさも、また魅力だった。アフリカの人々の自然体、柔和な笑顔、「何とかなるさ」という楽観には、緊張感溢れる日本の社会にとって大いに学ぶべきものがあると感じた。

計画に縛られる旅行と違い、締め切りの無い自由な旅は、現地で出会った人からの誘いや情報によって即興で予定を変えられるので、ガイドブックに載っている以上の楽しさを味わうことができた。その経験は、頭で計画するだけでなく、目の前の状況に柔軟に対応していくことの大切さを教えてくれた。

旅先の宿では世界中からきた旅人たちと人生について語り合ってきた。彼らは日本で生活していたら決して出会うことのない人たちだった。日本からの距離に比例して、出会う日本人も規格外の面白い人たちに出会うことができた。彼らと対話と続けるうちに、自分の心に構築されていた思い込みの薄皮が一枚、また一枚と剥がれていった。彼らが、「人生はもっと自由でいい」と気づかせてくれた。若い頃は自由に生きられないことを社会や時代のせいにしていたが、それは理由の一部であり、実際には自分が殻に閉じこもっていただけだったのだ。

一方で一人旅は、孤独な時間も多かったので、自分の存在を見つめ直す貴重な内省の時間でもあった。旅を通じて、強さだけでなく弱さを含めた自分というものをより深く知ることができた。

すっかり忘れていたが、旅を始めるときは寂しがり屋の自分が一人旅なんて出来るのか不安で仕方なかった。しかしそんな心配は杞憂だった。旅の道連れたちと楽しい時間を過ごし、一人旅でも現地の人たちが放っておいてくれなかった。出会いの中で集めたメルアドは膨大になり、もはや全ての人たちと繋がり続けるのは不可能だが、その何人かは大切な友人となり、今も繋がりを持っている。世界中に顔を覚えている人たちが、今も同じ時を生きている。それを知っていることが自分の財産である。

ガガーリンが宇宙から地球を眺めて、その尊さに気づいたように、地を這うような旅で地球への理解が深まり、この星に生きることの喜びが深まった。世界から争いも貧困も差別も未だ無くならず、悲惨に満ちている。それでも敢えてドン・コルレオーネの言葉を借りて「人生は美しい」と言おう。サッチモの歌う「素晴らしい世界」の意味を噛み締めよう。世界がこれからも美しく、素晴らしくあるように。自分もその一部であるように。(完)

------------------------------------------
旅はまだ終わらない。今後の人生を決める何かを見つけるという旅の目的もまだ果たしていない。ひたすら移動を続ける旅自体にも飽きており、滞在型の旅へと変化して新しいステージへと進んでいた。
何とかしてお金を貯めて、旅を続けたい。お金が無くても南米に向かう貨物船やヨットに乗り込めるという噂を仲間から聞いていた。

この後、5ヶ月のカフェ共同経営、世界一周を諦めてジンバブエに戻って8か月のムビラ修行を含む、合計1年半の滞在旅へと、大きく舵は切るのだが、それはまたの機会に語ろう。
---------------------------------------
長い間ご拝読いただき、心より感謝いたします。

亀時間代表:櫻井雅之

気に入っていただけたらサポートもしていただけると、更新の励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。