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#98 先祖の霊が降りる儀式に参加する@ジンバブエ・チトゥンギザ

2001年11月15日

美しい音色の楽器に出会う 

オルゴールのような聞いたことのない心地良い音が、どこかの部屋から漏れて外まで響いてきた。ハラレの宿パームロック・ヴィラに滞在し始めた頃のことである。その音の発生源がジンバブエの民族楽器ムビラだった。

日本人長期旅行者が数人、伝統奏法を現地の先生から習っていた。美しい音色に魅せられて、すぐに自分も一台買おうと決めた。A4ノートよりも小さく、旅のお供に最適なサイズなのも気に入った理由の一つだった。

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お土産的な安っぽいムビラは、首都ハラレの街中でも買えたが、高品質のムビラは売っていない。宿で仲良くなったしゅうすけくんにどこで買ったのか尋ねると、職人さんに直接注文したのだという。そこで彼にお願いして、ハラレの郊外にある街、チトゥンギザに住む職人さんの家まで連れて行ってもらうことになった。

ハラレのバスターミナルからチトゥンギザ行きの大型ポンコツバスに乗り込むと、乗客は僕ら以外みんな黒人だった。悪意はないのだけれど、好奇心を隠さない彼らの目線がシャワーのように注がれて、圧倒的なマイノリティの居心地の悪さを感じた。

ハラレは発展した首都と言っても規模は小さく、車で10分も走れば車窓には緑の草原が現れて、広大な青い空に白い雲が浮かぶアフリカらしい光景をボーッと眺めることになる。

40分位バスは南へと走り、名前もないバス停で下車した。乗客が黒人しかいないのは理由があった。チトゥンギザはタウンシップと呼ばれるアパルトヘイト時代の黒人専用居住区の一つなのだ。ジンバブエでも南アフリカ同様の人種差別が行われていたことはあまり知られていない。

金網で囲まれた庭付きの質素なブロック造りの平屋が密集する低所得者用の住宅街。その一角にムビラ職人ガリカイさんと家族が住んでいた。一人では決してたどり着けない場所である。

小さな庭のグアバの木陰で、職人たちが機械の力に頼ることなく全て手仕事でムビラを製作していた。金槌が叩かれる鈍い音が不規則に響き、場に流れるのんびりとした空気感が心地良かった。

その美しい音を生み出す楽器は、小さな手斧で削られた一枚の木板と、細い鉄棒のスクラップを金槌で叩いて作られる。職人さんの近くに座って見学させてもらうと、その製作過程は廃材を黄金に変えてしまう錬金術のようだった。

職人のガリカイさんに挨拶して、ムビラを一台注文。2週間後に再びチトゥンギザへ赴き、ムビラを手に入れると現地の若者や他の日本人からジンバブエの伝統曲を習い始めた。

先祖の降霊儀式に参加する チトゥンギザ

ムビラはジンバブエ人の多数を占めるショナ人の伝統儀式で演奏されるための楽器であるという。ガリカイさんの家で儀式が今週末にあると聞き、本場の生音を体験すべく、しゅうすけくんたちと一緒に参加させてもらうことにした。

当日、ガリカイ家にお邪魔すると、庭にすでに沢山の人たちが集まっていた。楽しめるかどうか不安だったのだが、場は非常に和やかな雰囲気で、外国人である僕らを歓迎してくれていることがすぐに分かって安心した。彼らの母語、ショナ語が分からないので、儀式については分からないことだらけだったが、厳かな儀式というよりもムビラ音楽に乗って踊る明るいダンスパーティのように見えた。

ムビラ自体はとても音が小さいが、儀式では中身をくりぬいた大きなひょうたんに入れて演奏することで共鳴させて、音を増幅させる。ムビラの音色が聞こえる空間には、共鳴や倍音により特殊な音の磁場が形成されていた。高速で合奏されるムビラの音は複雑に絡み合い、数えきれないメロディが波のように押し寄せてくる。リズムも複雑であることは分かるのだが、全てを理解できない。

ムビラの伴奏は同じくひょうたんでできたシェーカー、ホーショー。とてつもなく大きな音でビートを刻み、脳天を直撃する。ムビラの美しい音が時として聞こえないほどの爆音であることが、日本人の感覚では理解しがたいが、メロディよりもリズム重視のようだった。3、4人のムビラ奏者、2、3人のシェーカー奏者、そして太鼓が一台。これがこの日の楽隊の構成だった。

儀式に参加するまではムビラ音楽は癒やし的な優しい音楽だと思っていたが、可愛い音色の印象とは裏腹に、実際には実にアフリカ的な力強いダンスミュージックだった。しかもムビラとシェーカーが組合わさると、音だけで変性意識状態へと誘う天然のトランス・ミュージックに変貌した。

踊りは足でビートを刻む基本形があるけどフリースタイル。みんな思い思いに踊っているのでこちらも気楽である。曲は盛り上がれば延々と30分以上も演奏される。奏者、ダンサー、シンガー、みんなのエネルギーが一つになり、盛り上がったときの一体感は、ここが異国の地であることを忘れるくらい。この日の午後、ガリカイ家の庭で、僕らは地元の参加者とともに酒を飲み、踊って楽しんだ。

一日も終わりに近づいた頃、パーティは一転して神秘的なムードに変わった。サテン生地の緑の衣装にスカーフのような白い布を被ったガリカイさんの奥さんの目の前にビアジョッキが用意された。その中に甘いポートワインと生卵が3つ割り入れられた。奥さんは何と、そのジョッキを一気飲みした。ジョッキには再び同じものが注がれてまた飲み干した。次第に、卵の殻が山のように積み上げられた。

奥さんは霊媒師で、その特別な飲み物とムビラ音楽の助けを借りて、先祖の霊を自分の体の中に降ろしたのだった。奥さんは普段は穏やかな口調で話すのに、今はまるで別人だった。いつもは吸わないタバコを途切れることなく吸い続け、激しく踊り、大きな声で野生動物のように叫んだ。近づき難いほどの怖さすら感じた。彼女が合図するとムビラ音楽は止み、静寂が訪れた。
そして、彼女の口から先祖の霊のアドバイスやメッセージが語られて、参加者全員が地面に腰を下ろしてしばし耳を傾けた。先祖の霊との対話が終わると再びムビラが演奏され始め、また楽しい時間が始まったのだった。

滞りなく儀式が終了し、ガリカイさんたちに参加させてもらったお礼を伝えて帰途についた。宿に戻っても心地良い疲労感とともに儀式の高揚感が残っていた。

現代文明が世界を覆い尽くす前に、旅の途上どこかの国で、現地の伝統に触れる神秘的な経験をしたいと願っていた。しかし、そのような儀礼は簡単に出会えるものではないとのだと、長旅の中で理解しつつあった。それはすでに現代文明の浸透のせいで失われたのかもしれないし、残っていても秘儀は部外者には簡単には触れられないのかもしれない。しかし、ここジンバブエで思いがけず、旅の目的が一つ叶って、はるばる遠くまで来た甲斐があったなあ、と心が深く満たされた。

儀式に参加させてもらったことでムビラ音楽に対する理解も深まり、その奥深さを思い知った。もっと伝統曲を習ってみたい気持ちもあったのだが、1ヶ月半でハラレ滞在に終止符を打ち、単身ケープタウンに向かった。世界一周の旅の途中だから長居はできないという気持ちのほうが強かったのだ。10ヶ月後、またジンバブエに戻ってくることになるとは、この時は知る由もなかった。

(旅はつづく・・・アフリカ縦断終了まであと27日)
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