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#99 獣の街で白昼堂々窃盗に遭う@南アフリカ・ヨハネスブルク

2001年12月7日

朝6時に目が覚めると、バスは目的地プレトリアを通り過ぎて、世界一危ないとも言われる犯罪都市ヨハネスブルクに来ていた!熟睡して寝過ごしてしまったのだ。そこはアフリカで一番行きたく無かった街だった・・・。

2か月滞在したジンバブエを出て、久々の一人旅が始まった。旅の感覚をすっかり忘れていたし、犯罪に巻き込まれる危険と隣り合わせの南アフリカ共和国への移動に緊張が隠せなかった。しかしバスに乗り込んでしまえば、その不安は次第に自分の意思で好きな土地へ行ける解放感と自由の感覚に置き換わり、ワクワクが膨らんできた。隣に座ったジンバブエ人は陽気で親切だったから、道中も孤独を味合うことなく過ごせたのだったが。

張り巡らされたフリーウェイ、近代的なビルが立ち並ぶ大都市が車窓から見えてきて、ケニア・ナイロビで出会った学生の体験談を思い出した。ヨハネスブルク市街でも特に危険なタクシーランク(ミニバスのターミナル)を歩いていたら、白昼堂々、いきなり背後から何者かに羽交い締めにされて、別の男にズボンのチャックをバリンと開けられて、腹巻き型マネーベルトを取られてしまったという恐ろしい話である。イランで出会った旅の猛者もヨハネスブルグは最悪で、空港から外に出ようとしたら、何か取ってやろうと狙う獣のような連中が出口で待ち構えていてビビったと述懐していた。危険地帯へ突入していく緊張感が体中に溢れてきた。

ヨハネスブルグは19世紀に金鉱が発見されて以降、急速に発展したアフリカ大陸随一の都会で、世界一危ないとも言われる犯罪都市である。国内だけでなく、周辺国の出稼ぎ労働者や不法就労者が仕事とチャンスを求めて集まってきて、巨大なスラムを形成している。職にあぶれた者は生きていくために犯罪に手を染めたり、手軽な快楽を求めて質の悪いドラッグに溺れたりすることになる。銃所持も免許制ではあるが合法なので、アメリカ同様に銃犯罪が多く、殺人発生率も世界有数。当時、1日平均60人が殺人で命を失っていた。

ダウンタウン中心部のバスターミナル、パークステーションに到着。このターミナルは近代的なデザインで、中にいる限りは警備も厳重で安全だった。まずはATMで現地通貨ランドを下ろして、ハムサンドとコーヒーで朝食。隣に座っていた子連れの黒人のおばちゃんアンジェラが陽気に話しかけてきた。70年代にアパルトヘイトに反対する暴動が始まった地として知られる黒人居住区、ソウェトに住む友人を訪ねに来たという。僕の旅について、日本から陸路でやってきたと話すと「良いわね、私もいつか旅をしてみたいわ。近くに来ることがあったら寄ってね」と電話番号を書いたメモを渡してくれた。南アの黒人は貧しいから、みんな何か取ろうとしているのではないかと警戒していたが全くの偏見だった。

プレトリアにはザンジバル島で出会った南ア人3人組の一人、ジェネットが住んでいたのでメールを送っておいた。返事が来ているかもしれないからインターネットカフェに行こうとしたが、パークステーション内には無かった。案内所の白人おばさんは、何を聞いても返事は「知らない」ばかりで役立たず。仕方なく重たいバックパックと貴重品をロッカーに預けて、危険な外界に出ることにした。

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初めての街で見るもの全てが新鮮であるが、キョロキョロしていると、悪い連中をおびき寄せてしまう。なるべく前を向いて歩くことを意識した。10階建くらいの古い建物が碁盤の目のように立ち並ぶダウンタウンは、元々白人のオフィス街だったが、今では黒人の割合90%以上。治安の悪さに白人は全く歩いておらず、黒人以外の残りはアラブやインドの商人達。アジア人はとにかく目立ってしまう。歩道は野菜、果物、服などを売る露店、髪結いの青空美容院などが所狭しと立ち並び、雑然として活気があった。ホームレスが死んだように道端で寝ていたが、噂ほどの危険は感じなかった。

インターネットカフェは30分歩いても見つからず、諦めて戻ろうと横断歩道の信号待ちをしていた時のことだった。近づいてきた30代の黒人男性が僕の足を踏んだ。謝ろうと握手を求めてきたので、手を握り返したまでは良かったが、その後身体を近づけて腰に手をまわし、マネーベルトが無いのが分かると、大胆にもズボンの右ポケットに手を突っ込み、小銭を取ったのであった!

あらかじめ危険を予期して貴重品はロッカーに預けていたので、少しばかり強気だった。カッと頭に血が上って、男の手を両手でひねり、金を取り返し右足蹴りを尻にお見舞い。気がつくと「この野郎!金取りやがって、ファック・ユー!!」と捨て台詞を大声で口走っていた。こちらは決して喧嘩が強い訳ではない。相手がファイテングポーズを取ったので、反撃されたらヤバいと焦ったが、そのまま逃げて行ったので助かった。

周りには沢山の通行人がいたのに、みんな見てみないふり。面倒には関わらないようにしているのが尚更恐ろしかった。銃が手に入りやすいこの街では、犯罪に遭っても反撃してはいけないというのが常識である。相手が銃やナイフを持っていたら、一生後悔するどころか後悔すら出来なかったかもしれない。昼間から犯罪が横行するヨハネスブルグのダウンタウンは噂通り、人間の形をした獣たちの住む世界だった・・・。

突然の出来事に興奮冷めやらぬまま、パークステーションに戻ると便意を催した。犯罪防止のためかトイレの大便所は鍵がかからない仕組みである。扉を開けると、洋式便所に腰掛けてジーンズを下ろして作業中の黒人青年と目が合ってしまった。慌てて「ソーリー」と謝り、扉を締めた。空いている個室を見つけて、鍵の代わりにバックパックを扉の前に置いた。なぜか便座が無いので、仕方なく便器に乗ってしゃがむ。こんな姿、誰にも見られたくない。頼むから誰も扉を開けるなよと願いながら用を足した。

スッキリして、宿に向かうことにした。ヨハネスブルグの安宿、通称バックパッカーズは治安の悪さに対応して、電話すれば無料で迎えに来てくれるのである。公衆電話は沢山あるのに故障したものばかり。使える電話に行列が出来ていた。3回も並び直して電話をかけたが繋がらない。テレホンカードを購入して、4,5回かけるとやっと繋がった。

30分後、いい加減な感じの白人青年二人の迎えで、オンボロのゴルフに乗って出発。街の中心部を離れて郊外の閑静な白人居住区の住宅街へ入った。白人は自家用車を持っているのが当たり前なので、この辺りでも歩いているのは黒人だけ。重い電動ゲートを開けて、広い敷地の坂を登ると、元マフィアの別荘だったパステルピンクの立派な建物が見えてきた。外には南ア人が好きなブライ(バーベキュー)ができるコンロ、中に入れば、料理が楽しくできそうな広いキッチン、ビリヤードテーブルのあるラウンジ、裏手の人工の川の上流にプールまで付いていた。

ベランダからはヨハネスブルグ郊外の風景が一望できた。ロンドン郊外か、ビバリーヒルズにいるのかと錯覚してしまうような、緑に囲まれたプール付き一軒家が立ち並ぶ優雅な眺め。この光景に見覚えがあった。学校でアパルトヘイトについて学んだとき、教科書に載っていた写真の白人世界が目の前にあった。先程までのダウンタウンの黒人社会とはまるで別世界。その強烈なコントラストにヨハネスブルグという街の特殊性を理解したのだった。

宿で地方から遊びに来た白人グループにBBQに誘われて、その後ドライブにでかけた。夕方立ち寄ったブルマ湖のショッピングモールは、強盗、レイプなど犯罪が横行して無残にゴーストタウン化していた。夜はクラブにも連れて行ってもらったが、白人だけの世界で居心地が良くなかった。

彼らは親切だったが、「南アは差別主義者ばかりだったと日本の友達に伝えてくれ!」と強烈な皮肉のこもった別れの挨拶には、返答に困ってしまった。

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(旅はつづく・・・アフリカ縦断終了まであと5日)
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