見出し画像

復活のDIXIE DREGS!ジョーダン・ルーデスの夢が叶う日

「DIXIE DREGS の2024年ツアーに参加するというニュースをようやく伝えることができる。
特別な歴史を持つ大好きなミュージシャンたちとステージを共有できることに興奮している。1994年、私は同じ月に DIXIE DREGS と DREAM THEATERの両方のキーボード・ポジションをオファーされた。
あのころ、私には生まれたばかりの娘がいたので、結局 DIXIE DREGS のツアーに参加することになった。(フルタイムでDTに加わると育児が疎かになると考えたから) DREAM THEATER にはまだ子を持つメンバーがいなかったからね」

DREAM THEATER の鍵盤神ジョーダン・ルーデスがDIXIE DREGS のツアーに再び参加する。これはスゴいことだよ。だけど、日本では DIXIE DREGS の知名度が低すぎて、ぜんぜんそのスゴさが伝わっていない。これは良くないことですよ。日本がイラクのヘディング番長にポコスカやられてボロ負けするより良くない。というわけで、その縁の深さとスゴさを伝えることにしますね。

実はジョーダン・ルーデスは、ケヴィン・ムーアが DREAM THEATER を脱退したとき、すでに後任のリストのトップに名前があった。実はムーアは同じキーボーディストとしてルーデスを尊敬していて、後任候補としてバンドにルーデスの名前を挙げていたんだよね。実際ルーデスは最初のオーディションの後、DREAM THEATER で1度だけ、1994年の9月9日にコンサートに出演している。でもあの時は結局、家庭の事情もあってルーデスは DREAM THEATER に正式加入する代わりに、同じくオファーのあった DIXIE DREGS のツアーに一時参加し、デレク・シェリニアンがムーアの後任に選ばれることになったんだ。

まあでも、ルーデスが DREGS を選んだのは家庭の事情だけではないだろう。もともとルーデスは DREGS の観客席にいて、大ファンだったのだから。特に DREGS のドラマー、ロッド・モーゲンシュタインを畏敬の念を抱きながら見ていたルーデスは、喜んで DREGS に参加したんだ。彼はバンドと一緒に旅をし、モーゲンシュタインと友達になり、ツアーが終了してもお互いの音楽に対する尊敬を深めていった。RUDESS - MORGENSTEIN PROJECT なんてのもあったね。そしてあとはもう、歴史が語る通り。ルーデスは今や DREAM THEATER どころか、音楽世界の欠かせないメンバーとなっている。

では、DREGS の何がルーデスをそこまで惹きつけたのだろうか?いや、ルーデスだけじゃなくて、同僚のペトルーシをはじめ影響を受けたバンドに DREGS の名前を出すミュージシャンは本当に多い。彼らが惹かれたのは何だったんだろう?

DEEP PURPLE でも長年その実力を遺憾無く発揮したギター神、スティーヴ・モーズはその答えを知っているようだ。

「音楽業界からは、"こんなやり方はダメだ" というサインばかり出されていた。でも僕たちが演奏すると、みんな笑顔になって、元気になって、またライブに来て、知り合いを伴ってくれたんだ」

5人の男が複雑な南部風味のロックを演奏する。いや、ロックではなくジャズ?フュージョン??でもフィドルが入っている?!そもそも、DREGS にはシンガーがいなかった。

「人気が出ないことは早くからわかっていたし、レコード店には僕らの居場所はなかった」

ジョージア州で結成された DREGS は、ジャコ・パストリアス、パット・メセニー、ブルース・ホーンズビーといった未来のスターを輩出したマイアミ大学の肥沃な音楽プログラムの中で、モーズがベーシストのアンディ・ウェストと出会って誕生。1977年、カプリコーン・レコードと契約し、"Free Fall" をリリース。以降、彼らはカルト的人気を誇るバンドとなり、モダン・ロック、プログの多くに永続的な影響を与えることになる。

「ライブに来てくれた人たちとの間には、全般的に素晴らしい雰囲気と好意があったと思う。僕たちを見に来てくれた人たちの大半と握手したような気がする。最初は10人規模の都市で演奏していて、人の家の床で寝たりもした。ピーナッツ・バターとパンをスーツケースに入れてね」

彼らの人気は文字通り "口コミ" で広がっていった。それは、今でいえば雑誌やレコード会社、プロダクションの主導ではなく、SNS が起爆剤となるようなものかもしれない。いや、温かみのある SNS だろうか。とにかく、"音楽産業が DREGS を理解することはなかったが、音楽愛好家たちは理解した" という言葉があるほどに DREGS の成功はファンに支えられていた。そうして遂にはグラミーにまでノミネートされたんだ。つまり DREGS は、通好みのバンドでも才能さえあれば世界に求められ、認められることを証明した、最初のバンドの一つだったんだよね。

「このツアーは、熱狂的な "ドレッグヘッズ" の忠実なるオーディエンスや、僕たちのライブを見たことはないけれど、DEEP PURPLE, WINGER で初めてこのバンドを知った新しいファンから、圧倒的なリクエストを受けた結果だ。彼らのために演奏するのが待ちきれないよ」

同時に DREGS は、今現在、メタルやプログシーンの骨子ともなっている "多様性" を実現した最初のバンドの一つでもある。モーズはクラシック・ロックの DEEP PURPLE や KANSAS、モーゲンシュタインはポップ・メタルの WINGER 、キーボーディストの故T・ラヴィッツがジャム・バンドの WIDESPRED PANIC、ウェストがフランク・ザッパのギタリスト、マイク・ケネリー、フィドル奏者のスローンがクラシック音楽に携わっていたことなどなど、影響とスキルの幅の広さは、個々のプレイヤーの経歴を見ても明らかだ。

「ああ、多様性があるのは間違いないよ (笑)。僕たちのほとんどは音楽学校に通っていたし、DREGS にいた人たちはみんなスタイルに対してとてもオープンだった。そうした多様性はそれぞれのスタイルの個性を引き出そうとする挑戦であり、違いを楽しむためのものだと考えていたんだよ。ミックスするのは自然なことだった」

加えて、DREGS には圧倒的な演奏力と独創性、そして印象的なメロディがあった。単に、フュージョンという言葉だけではくくれない独創性と普遍性が。本当に、彼らはいつも、底抜けに楽しそうにプレイする。

「WEATHER REPORT のロック・バージョン?僕にとって、このバンドを特別なものにしているのは、"実際に観に行って自分で判断するしかない" と言う以外に、それを適切に表現することができないと思うんだ。昔、僕たちはフュージョンという言葉で烙印を押された。フュージョンとは定義上、多くの異なるソースから引き出されることを意味する。
でも一般的にフュージョンというと、ジャズで使われるような、曲のテーマを素早く演奏することを思い浮かべる。そして、そのテーマを2、3回演奏した後、もう1回頭を演奏して終わりにしようと決めるまで、みんなただソロを演奏するんだ。
でもね、僕らの音楽にはもっと深く考え、計画されたアレンジがある。ソロもあるけど、常に聴衆への配慮がある。ただミュージシャンが自己満足のために演奏しているのではない。観客を楽しませるために音楽をやっているんだ。ミュージシャンであればもちろん夢中になれる音楽がたくさんあるだろうが、カジュアルな音楽愛好家にとっても興味を失わず夢中になれるものがたくさんあるべきだと思う。僕らはほとんどの場合、クレイジーな拍子で演奏しているわけではない。変なこともやるけど、メロディもたくさんあるし、のれる。誰もが楽しめる音楽なんだ」

紆余曲折を経て、結局 DREGS は、ルーデスの復帰も含めてまた観客のために戻ってきたのだろう。

「DREGSができて40年以上。人生の不思議と儚さを痛感している。前にも言ったけど、これはバケットリストのようなものなんだ。とても楽しいものになるよ。みんな、演奏したい曲を帽子に入れるんだ。カタログに載っていてもライヴで演奏したことのない曲も、サプライズで演奏する予定だ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?