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ジョン・ペトルーシ「人にはピンポイントで人生を変えたと言える瞬間がある。僕にとってそれはスティーヴ・モーズのギターを聴いた瞬間だった」

ジョン・ペトルーシとスティーヴ・モーズ。ロック・ギター世界において、最高の師弟関係を築いている2人の対談記事が Guitar Player 誌に掲載されていたので翻訳しました。ギタリストにとってはまさしく金言の数々だと思います。

「どうやったらあんなギターを弾けるんだ?」

DREAM THEATER のギタリストで中心人物であるジョン・ペトルーシは、初めてスティーヴ・モーズの音楽を聴いたときの反応を思い出してこう語ります。「今まで聴いたこともないような、ワイルドで信じられないような音楽だった。本当にピンポイントで人生を変えるような瞬間というのはあるもので、僕にとってはスティーヴ・モーズのギターを聴いた瞬間がそうだったんだ」

当時は80年代半ばで、ペトルーシはメタルに熱狂する高校生で、METALLICA、IRON MAIDEN、オジー・オズボーンに熱狂する新進気鋭のギタリストでした。

「自由な時間のほとんどを練習に費やし、自分ではかなり上達していると思っていた。自分のヒーローの曲は、かなり上手に弾けるようになっていたんだ」

そんなある日、友人の兄がペトルーシに DIXIE DREGSのミックステープを、賢者のアドバイスとともに渡したのです。「スティーブ・モースを聴くことだ」

ペトルーシは、そのテープをデッキにセットしたとき、何を期待したらいいのかわかりませんでした。しかし、瞬時に傍観は衝撃に変わります。モーズはまるで馬の背に乗ったブロンコのように、指板を縦横無尽に駆け回り、ワイルドなチキンピッキングのリックを紡ぎながら、アレン・スローンの目まぐるしいバイオリンのラインに合わせて、ゲートから飛び出してきたのです。

「どうやったらあんな演奏ができるのか理解できなかった。僕はブルーグラスにあまり詳しくなかったんだけど、スティーヴはそれをロックとミックスして、とてもエキサイティングな方法で演奏していた。彼のテクニックとフレージングには、すぐに魅了されたよ」

その瞬間から、モーズはペトルーシのお気に入りのギタリストとしてリストのトップに躍り出ました。「あのような演奏ができるようになりたいと思い、曲を書き写したこともあるんだ。そして、DIXIE DREGS とスティーヴ・モーズにどっぷりと浸かったんだ。彼が演奏するものは何でも聴かなければならなかった。彼は "特別" になったんだ」

ペトルーシによれば、モーズが彼のギタープレイに与えた影響は計り知れないといいます。

「彼は、僕のギターへのアプローチを様々な方法で広げ、形作る手助けをしてくれた。まず、作曲の面で。彼がロック、ブルーグラス、クラシックを取り入れるのが好きで、それが僕のレパートリーに味付けをしたんだ。それに技術面でも、スティーヴは僕を非常に高いレベルまで引き上げてくれたんだよ。彼の練習方法について読んだことがきっかけで、彼のギターに対する姿勢を自分の練習方法にも取り入れるようになったんだ。彼がやったことを自分もやってみよう、彼の足跡をたどってみようと思ったんだ」

幸いなことに、ペトルーシは、よく言われる「ヒーローに会うな、失望させられるだけだ」という格言がスティーヴ・モーズには当てはまらないことを伝えています。ペトルーシは、モーズが行っていたギター・クリニックで初めて自分のアイドルと出会い、当時ギター界のスターだった彼と同業者としての関係を築いていったのです。

「スティーヴと真の友情を育むことは、驚くべきことだった。何年もの間、一緒に演奏し、一緒に作曲をしたこともある。DREAM THEATER と DREGS で一緒にツアーをしたこともある。マネージャーも同じだし、アーニー・ボール・ミュージック・マンとの関係もあるから、一緒にイベントもたくさんやったよ。とにかくすごいんだ。スティーヴと一緒に遊んだり、サイン会をしたりするのが大好きなんだ。彼はいつも頭が良くて、洞察力に富んでいて、面白いんだ。僕は今でも彼に畏敬の念を抱いている子供のようなもので、これからもずっとそうだろうな」


モーズも同様にペトルーシに魅了されたようです。「彼の演奏をレコードで聴くと、とても驚かされるんだ。ギターでできることの限界に挑戦する人はめったにいないが、ジョンはそれをとてもパワフルにやってのける。それがとても刺激的なんだ。本当に存在する人間かどうか疑ってたよ」

DREAM THEATER のライヴ前にペトルーシに会いにバックステージに行った時のことを回顧します。「彼と一緒にいるのは初めてでね。ジョンはウォーミング・アップをしていて、ああ、彼も人間なんだなと思った。彼はこのテンポで始めて、スピードを上げて、時間をかけて、ステージに立ったときに爆発するんだ、と思ったんだ」

それを初めて聞いたペトルーシは、思わず笑みをこぼします。「実は、その間ずっと、私は心の中でビクビクしていたんだ。あのスティーヴ・モーズが僕のウォームアップを見ている!ってね」

特別な2人の対談がはじまります。

影響されたもの


ジョン・ペトルーシ:スティーヴ、思い出したことがあるんだ。以前、あるインタビューに答えて、君が僕に一番影響を与えたという話をしたら、忘れもしないことが起こったんだ。君が僕に電話をかけてきたんだ!

スティーヴ・モーズ:ああ、そうだった。それは覚えているよ!

ペトルーシ:最高にクールだったね。君は僕らの共通のマネージャー、フランク・ソロモンから僕の電話番号を聞いたんだと思う。僕の留守番電話にメッセージを残してくれたんだ。僕にとって、とても意味のあることだった。実は、その留守番電話にはテープと君のメッセージが入ったものが残っているんだ。僕はそれをとても大切にしているんだよ。君がそうしてくれたなんて、本当に信じられないよ。当時は僕のことを知りもしなかったのに......

モーズ:うん、まあ、君のバンドにはとても感銘を受けたからね。でも、ギタリストとしての君は、あの若さであれほど巧みに楽器を操ることができるなんて、私にはとても信じられないことだったんだよ。ただ一芸に秀でた人とは違うんだ。そして、君の魅力は、あれからどんどん良くなっていることなんだ

ペトルーシ: "Oh, my..."

モース:この人はこれ以上良くなることはないだろう、と思っていても、そうなってしまう。君の最近のソロ・アルバム(2020年の "Terminal Velocity")を聴いていたんだけど、君の演奏はまさにエフォートレスなんだ。素晴らしいライティングとアイディアがあり、音楽的にすべてがコントロールされて演奏されている。ビブラートもそうだ。もう、どうしようもないくらいにね(笑)。しかも、レコーディングのたびにそれをやっている。どうやったらできるのかわからないけど、できるんだよねえ


ペトルーシ:すごい...そんなに褒めてくれるなんて。もちろん、僕の練習に対する考え方は、君に関する記事を読んだことがきっかけだ。君が自分の鍛錬や練習方法について話しているインタビュー記事だね。メトロノームを使い、何時間も練習するようになったのは、そのおかげ。目標を設定し、それを達成するためにどれだけ時間がかかってもやり遂げるという、君の姿に感銘を受けたんだよ。当時、同じようなことをやっていたのは、ランディ・ローズくらいで、彼はクラシック・ギターを習い始めていたそうだね。好奇心旺盛な君にとって、影響を与えた人物は誰だったんだい?

モーズ:まあ、ちょっと長い話なんだけどね。私の場合は、ジョン・マクラフリンから始まったんだ。マハヴィシュヌ・オーケストラの野外ライブを見に行ったんだけど、そのライブは雨で中止になり、結局カフェテリアでセットアップすることになったんだ。私はバンド全員の目の前で見ることができた。

ペトルーシ:"ワオ!"

モース:"私は床に座っていて、彼らは小さなステージに上がっていた。バンドのパワーとエネルギーは信じられないほどだった。マクラフリンがすべての音をピッキングしているのがわかるくらい近くにいたんだけど、信じられないような音を出していたよ。彼はすべてを破壊してしまったんだ。これだけ高いレベルでギターを弾くということは、とても効果的なことなんだと思わざるをえなかった。決してポップ・ミュージックやお金持ちになるための道ではなかったけれど、とても興味を持ったんだよね。

音楽学校では、ピアノを勉強していたよ。みんなそうだった。ある生徒がリサイタルを控えていて、心配そうにこう言っているのを覚えているよ。「何度か失敗してしまったんです」って。すると先生は、「じゃあ、通してみようか。1日に4〜6時間練習してきたか?楽器を前にしなくても曲を弾けるように、記憶術の練習はしてきたか?アナライズはやったか?これはやったか?あれをやったか?」完全なチェックリストだよ。結局、リサイタルで演奏するには、そのレベルに達していなければならない。そのとき、「すごい!」と思ったのを覚えているよ。キーボード奏者ができることを自分ができるようになることを期待していたんだ。

ペトルーシ:君がマクラフリンを見て、彼が一音一音ピッキングしたとかいう話を聞くと、君が "The Bash"(DIXIE DREGS の1979年のアルバム "Night of the Living Dregs" に収録)を弾くのを聞いた時の気持ちを思い出すよ。その前にハマっていた人たちは、技術的にはすごくいいんだけど、あそこまではピッキングで弾けなかった。それ以来、全音符をピッキングできるようになりたいというのが、僕の考え方なんだ。そして、アル・ディ・メオラをはじめとする、全音符を弾きこなすプレイヤーに出会ったんだ。本物の演奏家だけができることなんだ、と。弱々しいハンマーオン・スイープなんてありえないと思ったんだ。それから今、ギターについて学んでみると、どのテクニックも素晴らしいし、それができるようになるのは楽しいことだとは理解してる。でも当時僕は、フルピッキングは、本物のプレーヤーにしかできないことなんだ、というリトマス試験紙のようなものと考えていたんだ。今はもう10代の頃のような俗物的な感じはないけどね。でも、スティーヴ・モーズがそうだから、全音符をピッキングしなきゃっていう時期もあったんだ

モーズ:すべての音をピッキングすることは、より多才になるための方法だったんだ。ハンマリングやプルオフは非常に自然で、ブルースやロックには効果的だけど、クラシック音楽でホーン奏者やキーボード奏者、バイオリニストと一緒に演奏する場合はどうだろう? つまり、音楽が必ずしもギターだけでうまくレイアウトされない場合だよ。

ペトルーシ:その通り!

モーズ:運指の面では、ジョン、君以上にそういうことに詳しい人はいないよ。DREAM THEATER のキーボーディスト、ジョーダン・ルーデスと一緒に演奏しているんだから

キーボード・プレイヤーを打ちのめす


ペトルーシ:さて、そこでスティーヴに質問なんだけど。ご存知のように、僕は何年もキーボード・プレイヤーと一緒に演奏してきた。だから、いつも彼らにとって信じられないほど心地よく感じるものを思いついて、「よし、これをギターで弾いてみろ」と言われることが多いよね。で、なんで16分音符ばっかりなんだ。それをギターに置き換えるのは、必ずしも簡単なことではないんだ。一番簡単に弾ける方法を考えるのが僕のやり方だけど。君はどうするの?

モーズ:そうだな、まず最初にやろうとするのは、キーボード・プレイヤーを打ち負かすことだね

ペトルーシ:もちろん! という感じだよ (笑)

モーズ : FLYING COLORS(モーズのプログレッシブ・サイド・プロジェクト)で仕事をしていたとき、ニール・モーズがあることを思いついたんだ。彼はそれを私に見せて、テンポはOKだった。ところが、ドラムのマイク・ポートノイが入ってくると、どんどんテンポが速くなって、叫びたくなるくらいになったんだ。ほとんど不可能だった。私はそれについて行くために、指使いを変え続けなければならなかった。そういうものなんだ。やるべきことをやるしかない

ペトルーシ:(ポートノイに) 聞いたよ

モーズ:16分音符の話があったけど、僕のテクニックがピークに達していたころは、速い単音を弾くときの80パーセントのスピードで、弦をまたいで16分音符を弾くことができた。ギタリストは直線的な思考をする傾向があるから、キーボード奏者に同音のラインを提示すると、彼らがそれを習得するのを見るのは逆に面白いよ。彼らは両手を使わなければならないからね。私たちが音を繰り返してトレモロをかけるのは簡単だけど、彼らにとってはとても難しいことなんだから

ギターの練習と飛行機の練習

ペトルーシ:君を初めて生で見たのは、スティーブ・モーズ・バンドだった。君が DREGS と一緒に My Father's Place(ニューヨーク州ロスリンにある元音楽施設)のようなクラブで演奏していたとき、僕は若すぎてバーに入れなかったからね。懐かしいな。スティーヴを初めて見たのは、"The Introduction"(スティーヴ・モーズ・バンドの1984年のデビュー・アルバム)を出したときで、ロングアイランドでトリオで演奏していたんだ。素晴らしかったよ。いくつか圧倒されたことがあってね。君たちはトリオだけど、とても大きくて、音楽的なサウンドだった。君のギターの音が大好きだったよ。もちろん、ボリューム・ペダルを何台も使っていたし、ディレイやコーラスも使っていたね。とても美しいサウンドだったよ。テープやレコードでしか聴いたことのないラインを、目の前で演奏してくれる。パーツを組み合わせているような感じだよね。一人のギタリストから、これだけの音が出ていることに驚いたよ。何度も何度も見に行ったけど、毎回うまくなっているような気がしていたよ

モーズ:優しいね。まあでも、私は良くなろうとしていたんだ

ペトルーシ:実は、その前に君に会っているんだ。僕はバークリー音楽大学の学生だったんだけど、学校のすぐそばにある楽器屋でクリニックをやっていて、そこに会いに行ったんだ。僕は、「ああ、大変だ。彼だ! 彼だ!」みたいな(笑)。クリニックでは、君がいろいろなことを教えてくれて、君が話している間に書き出したかどうかわからないけど、すぐに戻って全部覚えたよ。あのクリニックで教えてもらったことは、今でも実践しているんだ。僕は18歳だった。あの日、君はピックの持ち方、ポケットの作り方、ある弦をミュートしながら他の弦を鳴らす方法など、とても貴重なことを教えてくれた。ずっと使い続けているテクニックだよ

モーズ:トリオをやっていた時期の話だけど、トリオのフォーマットでは、ヴォイシングをもう少し頑張らないといけない。もちろん、(ベーシストの)デイヴ・ラルーの才能も使えたしね

ペトルーシ:トリオのシチュエーションで君を見るときはいつも、本当に頑張っているように見えたよ。ペダルがたくさんあって、ギターをいろんなピックアップで鳴らしている

モーズ:ディストーションとクリーンはボリュームで調整する。ギターのボリュームを10にして、そこから3か4の間にするんだ。可変式なんだ。毎回、微妙に違うんだけどね。それから、ショート・ディレイやロング・ディレイ、コーラスをかける。さらに、ピックアップも同時に変えて、歪んだアンプにつないだギターの音量を下げて、失われたハイエンドを補おうとするんだ。すべてを管理するのは少し難しいけど、すべてを接続する方法を考え出すしかない。ジョン、君は飛行機を操縦しながら同時にギターの練習もできる男と話していることを理解しているかい?

ペトルーシ:わかってる。でも誰がそんなことできるんだい?(笑)

モーズ:誰にでもできるさ

ペトルーシ: (笑)

モーズ:いや、マジで。良いパイロットになるには、判断力が大事なんだ。曲を書くのも同じ。芸術は判断力、つまりバランスと先を見ることが大事なんだ。飛行機も同じだよ。自分がどれだけ多くのことを把握しなければならないか、それがすべて。コントロールできるものはコントロールし、何かをコントロールし続けられないと思ったら、別ルートをとらなきゃならない (スティーヴはかつて飛行機のパイロットとしても働いていた)

 ペトルーシ:スティーヴ、君が車の運転とギターの練習を同時にこなせるという話を読んだことがあるんだ。究極の怠け者になったような気分になったよ

モーズ:長期のツアーでは、ギターの練習する時間がないこともあったんだ。そこで、フリース素材のパッド(肩掛けベルトのようなもの)をハンドルの上に置いて、ギターを弾きながら運転してたんだ。道が混んでたらやらないけど、高速道路で車がなかったら、そりゃあ、まあなんとかなる。ギターのネックからハンドルまで数センチしかないから、すぐにハンドルに手を戻せるしね

自分の声を見つける

2人は共に、音楽の定石や業界の期待に逆らうことで、自身の音楽的アイデンティティを確立し、成功を収めてきました。安全策をとらず、自分の信念を貫くのは簡単ではなかったはずですが?

ペトルーシ:時には難しいし、怖いこともある。僕にとっては、それはすべてスティーヴのせいなんだよ。(モーズ笑い)いや、ある意味本当だよ。僕はスティーヴを聴くまで、ただの若いミュージシャンでロックにのめり込んでギターを弾いていただけなんだから。そして、DREGS を聴いて、他の人たちがやっていることよりももっと大事なことがあるんじゃないかと思ったんだ。その中には YES や RUSH も含まれているよ。彼らも自分たちの道を歩んできたんだ。そして、もっと挑戦的で、構造的にも非伝統的な音楽をやりたいと思うようになったんだ。でも、それが僕のやりたかったことなんだ。確かに苦しい時もあったけれど、自分たちが好きな音楽スタイルでキャリアを積んでこられたのは幸運なことだよ。スティーヴや DREGS を含むプログの大きな家系図の一部であることを、僕たちは本当に誇りに思っている。怖いし、難しいけど、本当にやりがいがある。自分自身の言葉で物事を行い、自分自身の道を切り開いているんだ。

僕は DREGS、RUSH、YES、IRON MAIDEN、METALLICA に夢中だったから、僕が演奏すると、インストゥルメンタル・プログのメタル版みたいな音になった。でも、スティーブ、君のような音楽は初めて聴いたよ。DREGS のようなサウンドを聴いたことがなかったんだ。とても独創的だった。どうやって思いついたんだ?すごく気になるんだけど......


モーズ:いい質問だね、その中にはたくさんのことが含まれている。私はブルーグラス・バンドやロック・バンドで演奏したことがあるんだ。多くのカバーバンドで演奏し、クラシックギターを勉強した。クラシック・ギターのための曲も書いたし、ディキシー・グリットという奇妙なバンドもやっていた。この名前は単なるジョークで、私たちの中に南部出身者はいなかったから。面白い冗談だったんだ。踊りに呼ばれると、いい意味じゃなくて、みんな怒っちゃうんだよ(笑)。

そのバンドは結局解散して、(ベーシストの)アンディ・ウェストと私の2人だけになったんだ。もう一人ドラマーがいて、別のことを始めたんだ。どうしたらいいんだろうという感じだった。アイデアを出し合って、3人編成のバンドを組んだんだ。大学生のための無料コンサートに出演したんだけど、それが十分に好評で、私たちを奮い立たせてくれたんだ。みんな、いろいろなことを我慢してやっているんだなあと思ったよ。

ラジオ局は1つのタイプの音楽しか流さないし、ヒット曲しか流さない。当時のレコード店もそうだった。だから、目の前にある音楽そのものに集中したんだ。初期の頃は、フリーライブをたくさんやっていたね。私が作曲し、指をあまり見る必要がなかったから、私の目は常に観客に向いていたよ。

だから、観客を観察できた。何が観客を立ち去らせるのか、何が観客を立ち止まらせ、聴かせるのか。立ち止まって聴いてくれるのは、どんなときか…それは、メロディと変化、セクションの出入りとメロディへの回帰なのだと気づいたんだ。ソロをやるときも、あまり長くはできない。曲の上限を4分にして、聴いている人が微笑んだり、頭を動かしたり、足をたたいたりすることを想像しながら曲を書き続けたよ。

当時、マイアミは国際色豊かな街でね。あの場所での経験で、自分のやりたいことに未来があると感じられるようになったんだ。ステレオタイプなものが人気なのはわかるから、商業的にビッグになることはないだろうとは思っていた。でも、私たちが演奏するさまざまな音楽が人々に好まれ、私たちが楽しくやっているのがわかると、それが続けるための後押しになったんだ

バンドを率いる

二人の共通点は、バンドリーダーであることです。リーダーであることは自然に身についたものなのでしょうか?

ペトルーシ:僕の場合はそうだね。ギタリストの中には素晴らしいヴィルトゥオーゾもいるけど、基本的に彼らは他の人のバンドに参加し、その役割に満足しているんだ。だから、バンドを率いるというポジションに惹かれるのは、ある種の個性があるからだと思うんだ。

誇大妄想的に聞こえるかもしれないけど、僕は自分の手を動かすのが好きなんだよね。仕事をするのが好きなんだ。音楽的、視覚的にどう表現するか、ビジネスをどう運営するかなど、物事に対する考え方が非常に明確なんだ。ここしばらくはバンドのプロデュースをしていますが、それが僕のコンフォートゾーンであるかのように感じている。自分が満足するだけでなく、バンドが満足できるような形で物事を進められるのがいいんだよ。こういうとき、独裁者である必要はないんだ。良いリーダーであれば、全員の才能を尊重し、活用し、全員のベストを引き出したいと思うものだからね。

モーズ:ジョンは天性のリーダーだから、優れたバンド・リーダーになれたと言えるよ。君はビジョンを持っていて、我慢する術を心得ている。私にはない忍耐力を持っている。そんな君がちょっとうらやましい…君は何かをやりたいと思ったら、それに全力を注ぐんだ。

ペトルーシ:ああ、でも忍耐力は君からたくさんもらったんだよ!

モース:ありがとう!でも君はずっとそれを持ち続けていたと思うよ。DREGS で私は自分のニッチに陥り、それが音楽的な独裁者へと発展していったんだよね。アンディ・ウェストと一緒に「どうする?これはどうだ?ああ、これを弾くのはどうだ?」とやっていても、しばらくすると、決定は私に戻ってきた。私はクラスでいつも手を挙げている子みたいなものだったんだ。「知ってるよ!」ってね。

音楽的な話になると、バンドの他のメンバーはただ座っているような感じだった。あれを変えよう。とか、もうひとつは変えないかとか。それが私のやり方なんだ。私は可能性を追求するのが好きなんだよ。他のことについては、喜んでみんなに譲ったよ。でも、音楽の全体像を把握することに関しては、私の肩にかかっているようなものでね。それを気にしたことはないよ

ビハインド・ザ・ギターズ


2人は共に、アーニーボール・ミュージックマンとのつながりもあり、同社のシグネチャーギターをデザインしています。

ペトルーシ:スティーヴ、それは君が最初にやったんだよ

モース:ああ、何があったかというと、スターリング・ボールからギターをやらないかと誘われたんだ。僕は他の会社で嫌な思いをしたことがあるんだ。私がアイデアを出すと、「そんなことはできない」と言われ、本当に嫌な思いをしたんたよね。でも、スターリングは「ルールは1つだけだ。君が満足するまで止めない」と。私は、「それなら我慢できる」と言ったんだ。それで、実行に移したんだよね。

プロトタイプをいくつか作って、すぐにいつも弾いていたんだ。テレ・ストラトは置いてきたよ。(ドレッグスでのモーズのメイン・ギターは、テレキャスターのボディにストラトキャスターのネック、そして複雑な電子回路を組み合わせたフランケンシュタインだった)。アーニーボール・ミュージックマンと一緒にデザインしたギターは、私が必要とするすべてを備えたギターであることがわかった。今でもシリアルナンバー1を持っているよ。ただ、ジョンが登場したとき、デザイン面でできることが一気に増えたんだ

ペトルーシ:僕にとって、アーニーボール・ミュージックマンとの関係は、セレンディピティな方法で生まれたんだ。それまで別のブランドを使っていたんだけど、マネージャーのフランク・ソロモンが電話をかけてきて、スターリング・ボールと何をやっているのかを教えてくれたんだ。僕は別のギター (アイバニーズ) を弾いていたんだけど、アーニーボールのボリュームペダルを使っていて、それがとても気に入っていたんだよね。

当時、僕のためにテクニックを教えてくれていた友人が、「お前、本物のギターを弾かなきゃダメだ。ミュージック・マンを弾くんだ」と言ったんだ。フランクは僕とスターリングとの電話をセットアップしてくれて、意気投合したんだ。もちろん、僕の大好きなギタリストがエンドーサーであることも決め手となった。スティーヴ・モーズがうまくいくのなら、僕もうまくいくだろうと思ったんだ。スターリングは僕にも同じことを言ってたね。「私たちは、正しいものになるまでやめるつもりはない。私たちはアーティストのためのツールを作っているのだから」と。今年、アーニーボール・ミュージックマンと共に20年を迎えたところだよ。とても素晴らしい経験だったね。ギターを作るだけでなく、あそこには家族がいる。素晴らしいギターを演奏し、家族の一員であることを誇りに思うよ。彼らと一緒に仕事をすることで、僕はデザインにのめり込んでいった。そして、多くのアイデアを得ることができたんだ。なぜ、ここがダメなのか?ギターはまだまだ改良できるし、思い通りのものができるんだということに気づかされたんだ。

モーズ:ジョンの頭の中はそういうものなんだ。どうしてこれはもっと良くならないんだ?どうしたらもっと良くなるんだろう?ってね。多くの人にとっての、"これで十分 "というのは、すべての終わりだよ。でもジョンにとって、それは出発点なんだ。ジョンが最初から最後まで素晴らしいギターをデザインする方法は、信じられないレベルのコミットメントと規律が必要なんだ

ペトルーシ:君も同じだよ。君は常に問題解決者であるという点で、僕はとてもインスピレーションを受けているんだから

モーズ:僕はただ、他のやり方を知らないだけなんだ。それで気が狂いそうになる人もいるけど、いつも相手を自分の側に引き込もうとするんだよ。



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