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モラトリアム最終学期

昨日から眠る前にドラマ高校教師を何話か見ている

ゆっくりと、しかし確実に近づいてゆく悲惨なラストをひしひしと感じて見終わるたびにずん、と重い気持ちになる

朝に近づく夜の狭間では家の前のおじさんが準備体操をしてあと何時間かしたら小学生の登校の時間だ

あれ、前まで見えてた子供たちの行列が見えない
たくさんの家で道路が覆われている、窮屈だ

斜め前の空き地もすべて、家家家

なーんて考えてたらあっという間に小学生が下校の時間だ

ここ最近の私はすっかり箱入り娘

日中はひとりでお留守番、車もなければバスも一時間に1本あるかないか
これじゃあ駅に行くまで30分はかかるね

東京に出たらみんな最寄駅があるんだもん、路線図なんて見てさ、かっこいいよね

来年の4月から社会に出るわけだけど、こんな状況なのでそれまで実家にいることにした

学校はパソコンの中、友達も親戚にもまだ会えていない
怖いの、最後の夏休みも体調が良くなくて海へ行けなかった

好きな人たちと会うのも、好きな場所へ行くのもあんなに好きだったのに

心が変わって体が変わって私はなにも変わらないのに
社会はずいぶん変わったみたいだけど

ここ数年で私は大きく成長したし小さく戦ってきた、自分自身と

モラトリアムな数年間は信じたくない事実だし今でも思い出すだけであのドラマを見た後の重い空気と同じくらいの気温が周囲を取り巻く

こんなはずじゃなかったの繰り返し

もうひとつ別の私の人生では今頃、やっと自分の居場所だと思える仲間とバイト先で働いて、そのお金で海外旅行なんて行っちゃってさ、留学先のワンちゃんに再会して写真撮んのよ、待ち受けにしちゃったりして

あーもう簡単に想像がつくね、やんなる

思い通りになんてならないよね
思い通りになると思ってきたけれど

モラトリアム最終学期

自分が決断してきた選択を正解と言うのか言い訳と言うのかどっち?どっちが心地良い?
どっちでもいいや

同じような毎日を変えたいと願う22歳は退屈に飽きて刺激を求めてそして疲れて眠るのだ

暇に疲れて寝ている場合ではない

今年は一度も見られないと思ってた
サプライズで夜空に咲いた花火

きれいだなー

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