見出し画像

「死んでもいいよ」



先日、1冊の本を買った。


住野よる作
「麦本三歩 の 好きなもの」

(株)幻冬舎


以前から本屋で目にしてはカゴに入れるか迷っていた本だ。

一昨日、ふと、いつものところに立ち寄ると、
文庫コーナーにこの本が並んでいた。


私は基本的に、物語は穏やかなものが好きだ。


起承転結どころか、何の波風も必要ない。
ただ、穏やかな時の流れを感じられるような、
そんな物語をいつも求めている。


"麦本三歩"という登場人物の何気ない日常。


タイトルと表紙の絵を見れば自分好みなのは分かっていた。


文庫、1サツ、693円。買った。



(一部ネタバレを含みます。)



「死んでもいいよ」


p147の2行目。


大学時代の友人から、

死のうとしたことがある、と。
今回は失敗したので今度こそちゃんと死のう、と考えた時
三歩のことが浮かんだ。

と。

そう言われたことに対して、
しばらくの、長い沈黙の後に三歩が友人に対して、口にした言葉だ。


「死んでもいいよ」


決して、突き放す言葉ではない。
深くその友人に寄り添い、最大限の愛情をもってでた言葉が
その言葉だったはず。


平和でイギリスジョークのような柔らかなブラックが所々散りばめられ、
私のツボを抑えていたこの本の中で
割とシリアスなこの一文が、どうしてこの言葉が残ったかというと、

私もそう言うだろうな。
と数年前から思っていたからだ。


そして、そう伝えたことが実際にもあったからだ。


他者の悲しみや苦しみ、絶望は私は理解することが出来ない。
あくまでも、私の人生経験から想像し寄り添うことしか出来ない。


耐えて

耐えて、耐えて。


そうしてやっと産まれた「死にたい」という言葉は本物だ。


誰も止めることは出来ない。
誰にも止める資格はない。

そんな無責任なことは言えない。


だから私も
「死んでも、いいよ。」
「死ぬことを選ぶことを私は止めないよ。」
と伝える。

そして、

どの選択肢を選んでも

「あなたが好きだ」と、
「あなたが居なくなれば悲しむ」と、
「あなたと知り合えて私は嬉しい」と、

あなたを思う人が
必ずここに1人は居るから安心して欲しいと。

たとえどんな選択をしてもあなたが1人であることはない。

と伝えるの。





私も死にたかった過去がある。



補足だが、今の私は死にたいと思うことは無い。
あくまでも過去の私だ。

今の私といったら

むしろ死んでたまるか。
ただで死んでしまうなんて悔しいじゃないか。
「こいつまだ生きてやがる…」って思われるくらい生きてやろう。

と思うほどに太々しくなったが
そんな私にも死んでしまいたいと願った過去が、確かに、ある。


何をしていても私は満たされず

どんな時も私は満たされなかった。

寝ていても
歩いていても
笑っている時も
普通に話している時も
ご飯を食べていても
友達と会えても


私は泣いていた。

ずっと、泣いていた。


そんな時間を過ごしたことがあるから、
私は「死」というものが身近なそんざいだった。

風邪薬のようで
友達のようで
恋人のようで

何にも怖くない、
優しい穏やかな存在。

そう思っていた。



だから私は「死」を選んだ人を責めない。

そっか、

と思う。

やっとあなたになれたんだね、
と共に嬉しくなる。

よかった。
またね。

と伝える。
多分こころの波に流されながら…




私だけじゃないんだ。


"あの”言葉 への感想。


「死んじゃだめだよ」
「生きてれば良いことがある」


私からはその言葉は言えない。


そんな私はやっぱり変なんじゃないかと、
0.000001くらい心配してたから。


三歩の友人だけでなく
私も肯定された気がした。


私は年齢の割に様々な経験をしてきた。
比例して、いろんな感情をしっている。


上手く言葉に表せないような、
もわっとした感情

晴れやかな、ん"nnnnという感情

絶望のザラっとした風のような、感情


沢山しっている。


けれど私は今、その感情を知れたことに
知れるチャンスを得た選ばれし人物ということに

誇りに思って生きている。

誰だって知れる感情ではないから。



三歩の友人はしばらくの間祖父母の家でゆっくり過ごすことになった。


「一息つくこと」は
案外意識しないと出来ないことでもある。

明日のために頑張る必要はない。
今、この時に立ち上がれていること、それだけで十分だ。


marine







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?