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mao
2024年3月1日 16:43
他人と自分を比較されるのは、正直いって面倒くさい。自分が誰かと比較するのは、まあいいにしろ、勝手に誰かと比較されるのはいかがなものか。とはいえ世界というのは、比較し比較されながら回っている。考えてみれば、私たちを取り囲むものは、その優劣を競い合いながら生まれる。社会にとって優秀な人材を手に入れるためには、才能を吟味されるのは当然だ。このように、何かをよりよくするた
2024年2月29日 19:59
「私のすべて受け入れてくれるのは、あなただけよ。」そんな人は(まだ)いない。誰かに本当の姿を見せるというのは、非常に難しい。なぜなら私たちは「秘密だらけ」だから。親にだって、友達にだって見せない姿が、誰にでもあると思うんだ。例えば?って言われたら、よく分からない。だけど、私たちには何かしらの、「秘めたもの」っていうのが、誰しも必ずあると思う。人生の伴侶には、
2024年2月27日 18:28
自分次第で「理想の相関図」は作ることができる。子どものころ、好きなドラマのヒロインと自分を置き換えた相関図を紙に書いて作ったことがある。相関図を眺めては、自分がヒロインになった姿を想像したものだ。そんな私の相関図を発見した親は、「何考えてるか分からない」という言葉を放った。すこし恥ずかしさを覚えた。子どもの頃、といったが、実際は中学生のとき。そうやって妄想して遊ぶのはバカバカし
2024年2月27日 16:26
「他人は私のことなんて気にしてない」と勝手に認識していれば、自分の体型に対する悩みはなくなる、という話について経験を基に話していこうと思う。体型に自信が無かった私が、ゆいいつ、自分の体型は素晴らしいと思えたときがある。それはアメリカに短期留学していたときだ。この話は「アメリカには色んな体型の人がいる、だから自分の体型も個性だ」的なことを言いたいわけではない。「アメリカでは誰も自分のこと
2024年2月22日 00:16
15歳の時、私はどれくらい世界を知っていただろうか。学校から家までの通学路、家の近くの公園、近所のショッピングモール、ニュースで見聞きする世の中のこと、友達の噂話、親の昔話、社会科で学ぶ歴史など。せいぜいこれくらいの世界でしか生きていなかったのに、当時の私はまるで世界のほとんどを知っているかのような感覚だった。進路選択というものは、経験したこと、見聞きした価値観や自分の信念のもとに行わ