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私達は世界の99%を知らないのに「進路選択を間違えた」と嘆いてしまう

15歳の時、私はどれくらい世界を知っていただろうか。

学校から家までの通学路、家の近くの公園、近所のショッピングモール、ニュースで見聞きする世の中のこと、友達の噂話、親の昔話、社会科で学ぶ歴史など。

せいぜいこれくらいの世界でしか生きていなかったのに、当時の私はまるで世界のほとんどを知っているかのような感覚だった。


進路選択というものは、経験したこと、見聞きした価値観や自分の信念のもとに行われる。

高校受験15歳。
大学受験18歳。

私たちは、おおよそ15歳と18歳で、
人生を左右してしまう道を決定する。残酷だと思う。

「生きてきた世界がまだ狭いのに、どうして正しい進路選択ができようか」


「進路選択を間違えた」
そうやって行く先が霞んで未来が不透明になったとき、私は思い切って日本を離れたことがある。

そこでいわゆる「海外に飛び出したら色々な価値観に触れることができる」を経験できたのだ。

私が今まで見てきた世界は『「ほんの小さな一部」よりもさらに小さな部分』であることを身に染みて感じたことは、進路選択にいつも嘆いてしまう私を間違いなく励ました。

ちなみに、どんな人に出会ったかというと、

小説家になるためにアラサーで会社をやめた人
英語を学ぶヨーロッパからの老人
何をやっているのかイマイチ分からない起業家

ほんの一部だがこんな感じだ。

また外国人の「親友」的な人にも出会うことができた。

つまり何が言いたいか。

自分が「進路選択を間違えた」と感じたことは、
もしかしたら世界の誰かにとっては「当たり前」なのかもしれない。

高校、大学、就職活動etc..
同じ道を歩む人に囲まれた世界では、
1つ道を踏み外したり、誰もがしない失敗をしてしまうと、
「自分だけなぜ」と嘆いてしまう。

ただ世界を見渡せば、
周りにはいない「斬新で破天荒で変わった人」し、
あなたと「同じ悩みを持った人」もいるし、
私達には思いつかないような「斬新なアイデアを持った人」もいる。

私達は、世界の99%、いやそれ以上に世界のことを知らないから、
進路選択を間違えたと感じてしまう」のかもしれない。



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