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24歳。福岡出身。世界の誰かひとりでも共感して貰えるようなエッセイを書きます。日本語教…

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24歳。福岡出身。世界の誰かひとりでも共感して貰えるようなエッセイを書きます。日本語教師資格取得を目指しています。Webサイト運営したりしてます。好きなミュージカル・語学学習を活かした仕事を生み出してみたいです。

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  • エッセイ

    主に「人生が私に教えてくれたこと」をテーマに書いています。

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    ミュージカルを語ったり、観覧した記録をここに記します。

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人と比べるのをやめたいが、それはそれで自分じゃなくなる気がするんだ【エッセイ】

私が人と比較をやめられないのは、 自分が自分ではなくなる気がするからだ。 今までの人生、 「他人と比べなかった瞬間」がないゆえに、 人と比べるということをやめた自分が想像できない。 今まで人と比較して生きてきたことすら、 アイデンティティになってしまったのだと思う。 もう他人と比較しない人生なんて考えられない。 他人基準でやってきた人生から自分基準にシフトチェンジするのは想像以上に大変だ。 比較をやめるには、 「自分基準で物事を決めなければならないという」 相当な覚悟

    • 今日は昨日より1.01倍がんばってみる。

      1.01の365乗 = 37.783 0.99の365乗 = 0.02551 と書かれたポスターが、 私の高校の体育館前に貼ってあった。 意味は分かるだろうか。 毎日1.01倍の力で努力したときと、 毎日0.99倍の力でしか努力しなかったときの差は、 1年後には約38倍になっている。 たった0.02の差が、 1年後には大きく開いてしまっているのだ。 言い換えれば、 毎日、たった1.01倍、 昨日より今日、今日より明日、 努力すれば、 1年後には成長できるというこ

      • 12日連続投稿、完了。そんなことより思ったこと。

        これで、 12日連続投稿ということになる。 私は三日坊主というか、 少しでも飽きたと思ったら、 続けるのを止めてしまう人だ。 ああ、今日もあと2時間。 連続投稿も今日で終わりかと思った矢先、 「今日投稿すれば12日連続!続けられることは才能!」 とnote様に背中を押されてしまい、 今この文章を書いているところである。 話は変わるが、 「継続」と「連続」は似ているようで、 まったく違うと私は思うのだ。 「連続」して何かをするというのは、 一度も休憩を挟まずに、

        • 人と比べられるのは面倒、だから誰もいない道を行く

          他人と自分を比較されるのは、 正直いって面倒くさい。 自分が誰かと比較するのは、まあいいにしろ、 勝手に誰かと比較されるのはいかがなものか。 とはいえ世界というのは、 比較し比較されながら回っている。 考えてみれば、 私たちを取り囲むものは、 その優劣を競い合いながら生まれる。 社会にとって優秀な人材を手に入れるためには、 才能を吟味されるのは当然だ。 このように、 何かをよりよくするために行う比較は、 理解ができる。 しかし、 ネガティブな比較というものも存在し

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        人と比べるのをやめたいが、それはそれで自分じゃなくなる気がするんだ【エッセイ】

        • 今日は昨日より1.01倍がんばってみる。

        • 12日連続投稿、完了。そんなことより思ったこと。

        • 人と比べられるのは面倒、だから誰もいない道を行く

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          本当の自分を隠しておくほうが、むしろ楽なのである。

          「私のすべて受け入れてくれるのは、 あなただけよ。」 そんな人は(まだ)いない。 誰かに本当の姿を見せるというのは、 非常に難しい。 なぜなら私たちは「秘密だらけ」だから。 親にだって、友達にだって見せない姿が、 誰にでもあると思うんだ。 例えば?って言われたら、よく分からない。 だけど、私たちには何かしらの、 「秘めたもの」っていうのが、 誰しも必ずあると思う。 人生の伴侶には、 そんな秘めた姿も、 さらけ出さないといけないのかな? 秘めたままでもいいのかな

          本当の自分を隠しておくほうが、むしろ楽なのである。

          「人生終了」と思った私が、それから6年も生きてみた。

          大学受験に失敗して「人生終了」と嘆いたけど、今のところ私の人生はまだ終わってない。 思い返せば2018年、私のセンター試験は最悪だった。 人生最初の挫折と失敗というものだろうか。 センター試験の後に行われた三者面談では、いかに私が基礎的なことを理解していないか語られた。本番前は「あなたならできる」と激励してくれたものだから、裏切られたよう感覚に陥った。 志望校を下げて2次試験に臨むも、そこでも失敗ししまい、高すぎるくらいのプライドは一瞬にして崩れ落ちてしまったのである

          「人生終了」と思った私が、それから6年も生きてみた。

          夢なんて、死ぬ前に叶えばいい。

          若くて綺麗な、何なら自分より年下の芸能人が活躍している姿をテレビで目の当たりにするせいで、私たちは若くして夢を叶えたり成功したりしなければならないと、強迫観念に襲われる。 だが改めて考えると、夢を叶えること自体には期限はないし、夢というものは人生をかけ、諦めなければいつかは叶うのではないだろうか。 小4の冬。クラスごとに「自分の夢」についての動画を製作するという学校の企画が巡ってきた。将来の夢を書いた紙を持って、クラス全員で円になり、音楽に合わせて中心のカメラが私たちを写

          夢なんて、死ぬ前に叶えばいい。

          理想の相関図をつくる

          自分次第で「理想の相関図」は作ることができる。 子どものころ、好きなドラマのヒロインと自分を置き換えた相関図を紙に書いて作ったことがある。相関図を眺めては、自分がヒロインになった姿を想像したものだ。 そんな私の相関図を発見した親は、 「何考えてるか分からない」 という言葉を放った。 すこし恥ずかしさを覚えた。子どもの頃、といったが、実際は中学生のとき。そうやって妄想して遊ぶのはバカバカしいと思われたのかもしれない。 ふとこの出来事を思い出したのは大人になってから。

          理想の相関図をつくる

          体型に自信が無かった私が、唯一、自分の体型は素晴らしいと思えたとき

          「他人は私のことなんて気にしてない」と勝手に認識していれば、自分の体型に対する悩みはなくなる、という話について経験を基に話していこうと思う。 体型に自信が無かった私が、ゆいいつ、自分の体型は素晴らしいと思えたときがある。 それはアメリカに短期留学していたときだ。 この話は「アメリカには色んな体型の人がいる、だから自分の体型も個性だ」的なことを言いたいわけではない。「アメリカでは誰も自分のことなんて気にしてない」という「認識」により、体型に対する不安が取り除かれ、それが自

          体型に自信が無かった私が、唯一、自分の体型は素晴らしいと思えたとき

          「妄想と空想」は、大人になった今だからこそ必要なのかもしれない。

          妄想や空想が、重たい空気が流れる社会にもまれる大人になった今だからこそ必要なのかもしれないとつくづく感じる。 私はミュージカルの曲がスキだ。たとえば、アラジンのホールニューワールド・塔の上のラプンツェルの輝く未来のような男女が2人で歌う曲、デュエット曲がスキだ。聴くときは、自分が本当にその世界に入っいるかのように、誰かと愛をメロディに乗せて叫び合っている姿を想像しながら聴くのだ。 カラオケに行けば、そのようなデュエット曲を「ひとり」で歌う。相手役をやってくれる誰かもいない

          「妄想と空想」は、大人になった今だからこそ必要なのかもしれない。

          「挑戦」を決めた瞬間から動き始めれば、人生はいい方向に動き出す

          何かに挑戦したいと思ったら、 次の瞬間から行動し始めた方がいいと、 ここ数年の体験から感じる。 実は韓国とアメリカに少し留学していたことがありまして。 2022年、 22歳の時、 パンデミックがまだ世界に残るころ、 行くなら早く留学したいと思っていた私は、 大学を休学して3月に韓国に飛び立った。 しかしながら授業はオンライン。 「うーん、これは韓国に来た意味がない」 画面を通してではなく、 もっと広い世界をこの目で見たいと感じた。 1年滞在する予定を3ヶ月に急遽変更し

          「挑戦」を決めた瞬間から動き始めれば、人生はいい方向に動き出す

          人の顔色をうかがうのは、何だか「人間らしい」とも感じるのだ。

          あれは留学してすぐ、 くらいの時だっただろうか。 出会ったばかりで、 まだ親しいわけではない友達と、 買い物に行こうと誘われ、 タクシーに乗っていた時の話。 窓の外を眺める私は、 降り注ぐ太陽の光が眩しくて、 目を細めていた。 車内は熱気が籠もり、 暑そうにしていた私に、 友達は、 「暑いなら窓を開けていいか運転手に聞いたら?」 と私に言った。 それに対して「大丈夫」 と私は断る。 致命的な内向的人間の私は、 運転手に迷惑をかけたくない。 また、 留学なんてしてお

          人の顔色をうかがうのは、何だか「人間らしい」とも感じるのだ。

          いつか、この悩みは消えると分かっていても、今が一番泣きたいときなんだ。

          今ある悩みも、 いつの日かは消えていくと分かっていても、 今がいちばん泣きたいときで、 今が、この悩みを消したいときで、 「いつの日か」が来るのを待てないのである。 この悩みのことを、 「大したことなかった」と言える日が、 いつか来るのは分かっているけれど、 今この瞬間は大したものなのだから、 この悩みは今解決できれば、 どれだけ楽なのだろうと考える。 だけど私達は、 どれだけ悩みを抱えていても、 とりあえず今日という日を、 生き伸びなければならない。 悩みがなくな

          いつか、この悩みは消えると分かっていても、今が一番泣きたいときなんだ。

          あのとき恋に悩んだことさえ、今となっては羨ましい。

          人を好きになるとき、 自分と相手が釣り合っているか、 考えてしまう癖があったが、 そうやって恋愛に悩む昔の自分の姿は、 今となっては羨ましいものである。 化粧さえしない、 めんどくさがりで、 愛嬌もない、 地味な私が、 あの人を好きになる資格はあるのだろうかと。 綺麗で可愛くて元気な女の子は周りにたくさんいるのに、 こんな私が好きになる資格はあるのだろうかと。 自意識過剰なくせに自信の無い私は、 好きな人ができるたびに、こう思った。 そんな当時の私は、 あの子を

          あのとき恋に悩んだことさえ、今となっては羨ましい。

          14歳、「思い描いた未来」を思い描いたようにしようと努力した。

          10年前に思い描いていた24歳の姿。 残念ながら、その想像していた姿と今は、 まるで違うということを、当時の自分に謝りたい。 14歳の自分は、何にでもなれると思っていた。 勉強すれば行きたい大学には受かるし、 抱いた夢は当たり前のように叶うし、 1人暮らしして自立した生活をしていると。 「実は何ひとつ達成できてないんだ」と、 ナイーブで繊細だったあの頃の自分に言えば、 涙を流しただろうか。 これは自分の完全な主観だが、 私の周りの人は全員、 その人達が描いた未来を達

          14歳、「思い描いた未来」を思い描いたようにしようと努力した。

          食べたら死ぬかもれないが、それでも好きなものは食べたい。

          今、このチョコレートを食べれば、 死んでしまうかもしれない。 店に並ぶ買う予定もないバレンタイン用のチョコレートを眺めているだけなのに、 このような恐怖が襲ってくる。 (最初に言っておくが、 これは「甘いものは体に悪い」的な文章ではない) 今日は、 私の中にある「恐怖心」について話そうと思う。 世の中には情報が溢れすぎていて、 時に戸惑いを覚えてしまうことがある。 何が体に悪くて、 何が健康に良くて、 これを食べればあれを予防できて、とか。 科学が発展して、分か

          食べたら死ぬかもれないが、それでも好きなものは食べたい。