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わたしはバケモノだった

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わたしが自傷行為と依存をして逃げ回っていた毎日と、それからの解放をした24年間について。
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記事一覧

わたしの自傷くせについて

わたしは子どもの頃から自傷癖がありました。
わたしはわたし自身のことがずっと大嫌いでした。

・リストカット(腕や足も)
・抜毛
・非嘔吐型過食
・自分を殴る、踏みつける
・不特定多数との性的行為
・共依存(不倫)
小さいものでは、血が出るまで、指の皮をむいたり。

わたしの頭の中では
いつも怒鳴り声が響き渡っていました。

『なんで、人に言われたことができないんだ!
なんで、そうやって人に迷惑を

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わたしはバケモノだった エピローグ

2024年になって、
わたしは37歳になりました。

わたしはバケモノではなくなりました。

自分を含めた大切なものすべてを
ぶっ壊さずにいられるし、
そんなことそもそもしていなかったと
わかるようになりました。

今は実家で両親とゆっくり過ごしながら、
キールタンやカレーのWSをして、
毎日、物語を描く日々です。

自分が自覚している
自傷癖のスタートが13歳から
かれこれ24年経ちました。

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わたしはバケモノだった⑬

13-1 家族からの見捨てられ不安

わたしはそのあと、実家に帰りますが、
家を出て、自分が住むべき場所を探す旅に
ちょくちょく出ていました。

インドから帰ってきて、一か月ほどで
訪れた淡路島のヒーラー夫婦の家で、
インドの神様の歌、キールタンを歌ったことで
あなたは歌を歌う人だからと言われて、
旦那さんがやるセレモニーに歌担当として
一緒についていかせてももらえることになりました!

わたしは

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わたしはバケモノだった⑫

12・パンチャカルマとこじらせ

12-1 TTCの友達の家で寝込む

リシケシから、飛行機と列車で移動して、
コチにある友人の家に向かった。

TTCの時のカルマヨガが同じで
仲良くしてくれていたシュルティ。

情熱的で、明るく、いつもわたしが
話すのを待ってくれて、
遊びにも誘ってくれる子でした。

遊びにおいでと快く言ってもらえたので
アシュラムに帰る前に
5日ほど滞在させてもらうことに。

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わたしはバケモノだった⑪

11・北インドへ行く

わたしがリシケシに滞在する期間は
2週間ほどだった。

実は南インドにある元いたアシュラムで、アーユルヴェーダのデトックスプログラムである、パンチャカルマを3月に予約していたことと、TTCの友人の家に遊びに行く予定だったからだ。

 わたしがリシケシに対して持っていたイメージはヒンドゥー教とヨガの聖なる場所であること、シヴァナンダヨガの始まりの場所、母なるガンジス川あがるこ

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わたしはバケモノだった⑩

10・インドアシュラムにて

 2022年12月22日から2月10日まで
わたしはインドケララ州にある
sivananda yogaのアシュラムで
勉強をしていました。

 アシュラムはヒンドゥー教のお寺と
ヨガという哲学を学ぶための道場が
合わさったような場所でした。
(ヨガは宗教ではなく、すべての神を同一視しているので、身近なヒンドゥー教でやっている)

 Sivanandaの施設には
アー

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わたしはバケモノだった⑨

9・コーチング養成講座

コーチング養成講座は同時に、
講師の先生とのコーチングセッションが
付いていました。
チハルさんとのコーチングから合わせて
わたしは6か月コーチングを
受けることになりました。

わたしの代はわたしともう一人の
2人で講義を受けました。

コーチングと宇宙理論を
絡めての授業では、わたしたちは常に
自分の望みを叶えているのだと学びました。

自分たちの潜在意識の望みを、

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わたしはバケモノだった⑧

8・好きなことをする、初めて心の底から安心した日

わたしは、自分の家と東京のシェアキッチンでごはんやさんを始めることになりました。

わたしが出していたごはんは動物性のものを使わず、玄米菜食で無農薬、無添加、刺激物なしで作っていました。
これはわたしが自分が好きなごはんで、それをお店でも出していました。

家でもサーフィン仲間や友達にふるまっていると、わたしが出しているごはんは“マクロビオティッ

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わたしはバケモノだった⑦

自分との向き合いとひきずっていた甘え

 ジャンキーな彼とまだ会っている頃に、わたしはコロナにかかって14日間ほど自主隔離で家にこもっていました。はじめのうちは熱がでたり、不安になったりしていましたが、熱も引いたころにわたしは毎日、砂浜に寝ころんで休んでいました。

すこし、息が吸いづらかったものの砂浜で転がっていると心なしかそれが少し緩和されているような気がして毎日晴れている日に行きました。それ

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わたしはバケモノだった⑥

6・繰り返す過ちは父性を求めていた

彼と別れる時ちょうどコロナが流行り始め、仕事もリモートワークになって会社に月の半分だけ出社すればいいことになりました。

実家に帰るつもりもなかったわたしは会社を挟んで間反対にある、海沿いの町に引っ越しをしました。彼と別れる一年前からどうしてもサーフィンがはじめたかったので、海から自転車で 5 分ほどの家に決めました。

33 歳にして、生まれてはじめての一人

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わたしはバケモノだった⑤

わたしはバケモノだった⑤

5.自分を知り始める

彼と別れてからはわたしは仕事に熱中していました。ちょうどグループ会社への出向もあり、大幅に業務が変わり覚えることも多くなり、いそがしくてプライベートにかまっている暇が膜なってちょうどよかったです。その時もまだ定期的に心療内科には通い、薬を少量出してもらっていましたが、大体安定していました。

出向から一年ほどたって、わたしは新しい出向先で、彼氏ができました。彼はわたしの12

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わたしはバケモノだった④

わたしはバケモノだった④

4・共依存と自傷行為の再発

あたらしい部署での仕事内容を聞いたときに、わたしは大学時代に仲良くしていた後輩がシステムエンジニアになったことを思い出して連絡をしました。彼にいろいろとシステムの内容を聞いて何度か会ううちに彼と付き合うことになりました。
仕事も楽しい、先輩たちもいい人ばかり、精神も安定していたこともあり、もう大丈夫だと思ったわたしは彼とつきあっても問題ないだろうと思っていました。わた

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わたしはバケモノだった③

わたしはバケモノだった③

3・性的行為への依存

わたしは大学時代に2年間アルバイトしていた百貨店に正社員として入社をしました。入った当時はバイヤーになっていろんな海外の商品を買い集めるんだと思ってキラキラとしていました。販売の経験が2年間あったこともあり、販売にまつわることは大体わかっていたので先輩にもあまり聞く必要のないと思っていましたし、アルバイトしていた時の売り場は花形の売り場だったので、今回、配属された部署をなめ

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わたしはバケモノだった②

わたしはバケモノだった②

2・恋人を傷つけること

大学生になって、SNSで趣味としてセックスをする人たちのコミュニティをみつけてちょくちょく見るようになりました。こんな世界があるかと思って怖いもの見たさでもありましたし、性的なことに興味もありました。

わたしは子どもの頃から太っていて、顔も性格も可愛くなかったので、わたしのことを好きになってくれる人もおらず、両思いになって付き合うようなことはありませんでした。勝手に思い

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