Sama anu

🌿ライフコーチ🌿 生きづらい人生を送ってきた 【患者・クライアント歴】 心療内科通い…

Sama anu

🌿ライフコーチ🌿 生きづらい人生を送ってきた 【患者・クライアント歴】 心療内科通い、通算10年 心理カウンセリング通い 2年 ライフコーチング 6ヶ月/2人 【資格】 産業カウンセラー Yoga teacher ライフコーチ

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  • わたしはバケモノだった

    わたしが自傷行為と依存をして逃げ回っていた毎日と、それからの解放をした24年間について。

  • 日常まいんどふるねす

最近の記事

セルフトラウマセッション

最近やることが多くてバタバタとしていて生活リズムも久々に崩れていたので今日はもう安息日と決めて本気で自分のための時間を取ることにした昨日のこと。 久しぶりにしっかりと 自分と話すと決めて 座ること2時間。 『お金を稼ぐ』と言うことに 関しての違和感。 お金=愛と感謝とか、 お金があったらこんなことできる お金はいいものとか 頭ではわかってるけど、 全然感情ついていってないわとなった。 本当は お金稼ぐ =バカにしてきた人を見返す =自分の価値を認めさせる 1人で

    • 本来のわたしに失望した

      「等身大」 「ありのまま」 「本来のわたし」という言葉は マインドフルネスとか ヒーリング界隈では よく見かける。 わたしももれなくその使用者であるわけだが、 最近とうとう、本当にその時が訪れた。 わたしはあまりの恐怖に足がすくんだ。 幸せ、安心感とは程遠かった。 本来のわたし =とるにたらない存在 =何でもない人 という方程式が わたしの頭の中に浮かんだ。 全然受け入れられなかった。 受け入れられなすぎて 行動したわたしを もっと受け入れられなかった。 むしろ、

      • こころも便秘になる

        🌿🌿🌿 【心の腸活シリーズ】 心のふんづまりを治したら 感情も栄養もバチコーンって体に入ってきた わたしらしく生きれるよねって 今日出会った人たちと話していて 氣がついたのでシリーズはじめます ①【心のふんづまりはデトックスから💛】 コーチング、カウンセリング、 ヨガ、アーユルヴェーダ なんかやっているというと きっと穏やかでゆったりした 丁寧な生活をしているのだろうと 思われる方が多いことでしょう。 まるで 僧侶か仙人、はたまた神様か うんうん、わかりますよその

        • 【セルフケア】呼吸する

          みんな、しっかりもりもりKuuki吸いまくってるー? み)イエーーーイ!! みんな、今日も、スーハーしてるぅー? み)イエーイイ! じゃあ、次はこの曲!!「わたしはあなたのCO2になりたい」!! さて、本題にレッツゴー!! 白状しますとわたし、あまり呼吸できない系人間でした。 今がじゃあ、すんごいのか? 日本一か何かで、呼吸協会の認定もらってんの?とか聞かれると そんなことない平凡凡人代表なわけですが。 かつてのわたしよりも、 スイスイのスーハースースーハーハーで

        セルフトラウマセッション

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        • わたしはバケモノだった
          14本
        • 日常まいんどふるねす
          5本

        記事

          女は悪だと思い込んでいた

          最近BLの漫画を読み漁り続けていた。 それが突然昨日の夜、 寝る寸前にパチパチと頭の中でハマった。 わたしはわたしを男だと思っているから 恋愛したいと思っているわたしは ヘテロ恋愛漫画ではなく、 参考としてBL漫画を選んでいた。 わたしは絶対に簡単に愛されないと 思っているから 日本ではなかなか難しいBL作品を読む。 『男らしい方がいなくては』 『少年らしくしていないと』 と、いう暗示が自分の中の すんご深くに重く存在していた。 わたしは長女だけど、長男だった。

          女は悪だと思い込んでいた

          わたしはバケモノだった エピローグ

          2024年になって、 わたしは37歳になりました。 わたしはバケモノではなくなりました。 自分を含めた大切なものすべてを ぶっ壊さずにいられるし、 そんなことそもそもしていなかったと わかるようになりました。 今は実家で両親とゆっくり過ごしながら、 キールタンやカレーのWSをして、 毎日、物語を描く日々です。 自分が自覚している 自傷癖のスタートが13歳から かれこれ24年経ちました。 いまだに 指のささくれをむしりすぎたり、 多少食べ過ぎてしまったりはあります。

          わたしはバケモノだった エピローグ

          わたしはバケモノだった⑬

          13-1 家族からの見捨てられ不安 わたしはそのあと、実家に帰りますが、 家を出て、自分が住むべき場所を探す旅に ちょくちょく出ていました。 インドから帰ってきて、一か月ほどで 訪れた淡路島のヒーラー夫婦の家で、 インドの神様の歌、キールタンを歌ったことで あなたは歌を歌う人だからと言われて、 旦那さんがやるセレモニーに歌担当として 一緒についていかせてももらえることになりました! わたしはヒーラーやスピリチュアルな存在なのだ! と思ってしばらく、歌うヨガキールタンのワ

          わたしはバケモノだった⑬

          わたしはバケモノだった⑫

          12・パンチャカルマとこじらせ 12-1 TTCの友達の家で寝込む リシケシから、飛行機と列車で移動して、 コチにある友人の家に向かった。 TTCの時のカルマヨガが同じで 仲良くしてくれていたシュルティ。 情熱的で、明るく、いつもわたしが 話すのを待ってくれて、 遊びにも誘ってくれる子でした。 遊びにおいでと快く言ってもらえたので アシュラムに帰る前に 5日ほど滞在させてもらうことに。 友達は旦那さんと やんちゃ盛りの娘の3人暮らしをしていて わたしが泊りに来るの

          わたしはバケモノだった⑫

          わたしはバケモノだった⑪

          11・北インドへ行く わたしがリシケシに滞在する期間は 2週間ほどだった。 実は南インドにある元いたアシュラムで、アーユルヴェーダのデトックスプログラムである、パンチャカルマを3月に予約していたことと、TTCの友人の家に遊びに行く予定だったからだ。  わたしがリシケシに対して持っていたイメージはヒンドゥー教とヨガの聖なる場所であること、シヴァナンダヨガの始まりの場所、母なるガンジス川あがることだった着いてみると観光地だった。 トレッキングに、 聖なる川のガンジス川では

          わたしはバケモノだった⑪

          わたしはバケモノだった⑩

          10・インドアシュラムにて  2022年12月22日から2月10日まで わたしはインドケララ州にある sivananda yogaのアシュラムで 勉強をしていました。  アシュラムはヒンドゥー教のお寺と ヨガという哲学を学ぶための道場が 合わさったような場所でした。 (ヨガは宗教ではなく、すべての神を同一視しているので、身近なヒンドゥー教でやっている)  Sivanandaの施設には アーユルヴェーダのクリニックもあり、 無料で診察を受けられるようになっています。

          わたしはバケモノだった⑩

          わたしはバケモノだった⑨

          9・コーチング養成講座 コーチング養成講座は同時に、 講師の先生とのコーチングセッションが 付いていました。 チハルさんとのコーチングから合わせて わたしは6か月コーチングを 受けることになりました。 わたしの代はわたしともう一人の 2人で講義を受けました。 コーチングと宇宙理論を 絡めての授業では、わたしたちは常に 自分の望みを叶えているのだと学びました。 自分たちの潜在意識の望みを、 いつも世界が叶えてくれる。 だから、自分の周りの人も それに合わせて発言したり

          わたしはバケモノだった⑨

          わたしはバケモノだった⑧

          8・好きなことをする、初めて心の底から安心した日 わたしは、自分の家と東京のシェアキッチンでごはんやさんを始めることになりました。 わたしが出していたごはんは動物性のものを使わず、玄米菜食で無農薬、無添加、刺激物なしで作っていました。 これはわたしが自分が好きなごはんで、それをお店でも出していました。 家でもサーフィン仲間や友達にふるまっていると、わたしが出しているごはんは“マクロビオティック”ということ、またわたしが朝しているルーティンがインドの“ヨガ“や“アーユルヴ

          わたしはバケモノだった⑧

          わたしはバケモノだった⑦

          自分との向き合いとひきずっていた甘え  ジャンキーな彼とまだ会っている頃に、わたしはコロナにかかって14日間ほど自主隔離で家にこもっていました。はじめのうちは熱がでたり、不安になったりしていましたが、熱も引いたころにわたしは毎日、砂浜に寝ころんで休んでいました。 すこし、息が吸いづらかったものの砂浜で転がっていると心なしかそれが少し緩和されているような気がして毎日晴れている日に行きました。それと、母から昔もらっていた“聖なる予言”という本のことを思い出して読み始めると、瞑

          わたしはバケモノだった⑦

          わたしはバケモノだった⑥

          6・繰り返す過ちは父性を求めていた 彼と別れる時ちょうどコロナが流行り始め、仕事もリモートワークになって会社に月の半分だけ出社すればいいことになりました。 実家に帰るつもりもなかったわたしは会社を挟んで間反対にある、海沿いの町に引っ越しをしました。彼と別れる一年前からどうしてもサーフィンがはじめたかったので、海から自転車で 5 分ほどの家に決めました。 33 歳にして、生まれてはじめての一人暮らしのためにわたしは自分の家具を購入し、自分が 好きな食器やリネンを揃えまし

          わたしはバケモノだった⑥

          わたしはバケモノだった⑤

          5.自分を知り始める 彼と別れてからはわたしは仕事に熱中していました。ちょうどグループ会社への出向もあり、大幅に業務が変わり覚えることも多くなり、いそがしくてプライベートにかまっている暇が膜なってちょうどよかったです。その時もまだ定期的に心療内科には通い、薬を少量出してもらっていましたが、大体安定していました。 出向から一年ほどたって、わたしは新しい出向先で、彼氏ができました。彼はわたしの12個上で今までであったことのないまじめな世間一般でいう“普通”のタイプの人でした。

          わたしはバケモノだった⑤

          わたしはバケモノだった④

          4・共依存と自傷行為の再発 あたらしい部署での仕事内容を聞いたときに、わたしは大学時代に仲良くしていた後輩がシステムエンジニアになったことを思い出して連絡をしました。彼にいろいろとシステムの内容を聞いて何度か会ううちに彼と付き合うことになりました。 仕事も楽しい、先輩たちもいい人ばかり、精神も安定していたこともあり、もう大丈夫だと思ったわたしは彼とつきあっても問題ないだろうと思っていました。わたしは大学時代から彼を尊敬していたし、話しやすく、憧れていたので嬉しかったのです。

          わたしはバケモノだった④