わたしはバケモノだった⑦
自分との向き合いとひきずっていた甘え
ジャンキーな彼とまだ会っている頃に、わたしはコロナにかかって14日間ほど自主隔離で家にこもっていました。はじめのうちは熱がでたり、不安になったりしていましたが、熱も引いたころにわたしは毎日、砂浜に寝ころんで休んでいました。
すこし、息が吸いづらかったものの砂浜で転がっていると心なしかそれが少し緩和されているような気がして毎日晴れている日に行きました。それと、母から昔もらっていた“聖なる予言”という本のことを思い出して読み始めると、瞑想の仕方やエネルギーの見方について書いてあり、せっかく時間もあるし、やってみようと思って毎日暇があると、見るトレーニングと瞑想をし続けていました。
何日目かの瞑想でいままで体験したことのないような心地になりました。
世界のすべての始まりからすべてが見えて、自分がそこにいる状態でとても安心した心地がしたんです!気がふれたのか、勘違いかもしれないしと思って、そのあとやってみるもののできませんでした。
そのあと、わたしは感情筋トレセミナーという3か月のプログラムに参加することになりました。
これはサーフィンのオーナーの友達で、宇宙やスピリチュアルについてのブログを書いているサーフ系オンラインショップをしているエリティンさんがやっているセミナーでした。
はじめ、宇宙とか言っているおかしな人だと思っていたのですが、フォローしていたインスタグラムで「感情筋トレセミナー」というものを開催していることを知りました。
内容を読んだ瞬間、今まででたいろんな心理学や医学などのセミナーではすっきりとしなかったことが何だったのかが、このセミナーを受ければわかるんじゃないかと感じました!
セミナーの説明に、感情はコントロールするものではなく、感情を感じ切って、解放と自分への再統合をすると書いてあったのです。それにそれは簡単に誰かがやってくれることではなく、筋トレのように毎日こつこつ自分でやれて、自分でどうにかできるのです!
わたしはこれまで、自分は頭がおかしいんじゃないかと思って、人間についていろいろと独学で本やセミナー、先生に聞いてみたりと調べていました。
心理学、脳科学、食事療法、漢方、アンガーマネジメント、思考の整理術、カウンセリング。
しかし、勉強するといつも最後に思うことは同じでした。
「結局みんなすべてはわからない」
どれもこれも仮説でしかない。今の段階でこれが一番有力程度で、すべての人にあう、すべてに通用することなど一つもないのです。
世の中ではわかっていることよりも、わかっていないことの方が多いのだと思い知らされました。
それに、日本で中心になっている西洋的な考え方は“思考”と“対処療法”に偏っていました。カウンセリングでの不安の対象法として今の状況を考えて言葉にすることも、アンガーマネジメントでの認知行動療法も確かにその時は助かりました。
しかし、わたしにとっては根本的な解決になる方法ではありませんでした。思考で何かを必死で決めつけて、納得させているだけのように感じていました。
そこでずっととどまっていたわたしはこのセミナーを見てこれだ!と思って申し込んでセミナーを受けました。
宇宙とかスピとか大丈夫かな?と思って聞き始めると、今まで自分が調べたり、感じたりしたことがより分かりやすく言葉になった講義でとても楽しかったのです!
個人ワークも
毎日、1つ以上、自分の感情を感じ切ってから、手放すこと
その感情に根差している欲求は何なのか掘り下げること
毎日15分以上の瞑想を行うこと
アファメーションを行うこと
と、とてもシンプルでした。
生活も、
無農薬無化学肥料、無添加、白砂糖などの生成されたものをやめること
電子レンジを使うことをやめること
などその時点で自分がしていることばかりでした。
しかし、こんなにシンプルなのに、毎日どんどん変わっていくんです。
自分がこうしたいなこんなことしたいながどんどん出てきて、実際にアファメーションの通りになっていく。
わたしの場合は彼がやっているような家でごはん屋さんをやりたい、シェアキッチンがあればやりたいと思っていました。
すると、イベントで仲良くなった人が自分でカフェをやっていて週に何度か誰かに貸しているから、良かったらやらないかというお話をもらって実際にお店ができることになりました。
それに自然な食品を扱いたいと思っていたら、オーガニックショップに友達に連れていかれ、いろんなオーガニックショップを知り、お店の人とも仲良くなってどうしたらこういったお店ができるのかも教えてもらったり、そういった嗜好の友人もどんどんできたりしました。
その流れで、アクセスバーズとレイキという、エネルギーヒーリングに出会います。
少し前のわたしだったら、気味悪がって行かなかったのですが、目に見えないことをしている人に会ってみたいと思うようになってイベントに出店するというので受けにいきました。
すると、その施術者の人もなんと感情筋トレセミナーを受けたことがあり、今でもつづけているというのです!
そして、その施術が終わった後に、隣でレイキをしていた方にレイキをしてもらうと、その人がコーチングの先生もやっていました。コーチングに興味がありながらいまいちわからなかったので、軽く話をきいて名刺だけもらって帰りました。
アクセスバーズを受けているあいだじゅう、ずっと「かえっておいで」という声がして不思議な体験でした。そのあと、この不思議な施術を自分でもできるようになりたいと思って、その方からトレーニングを受けに行きました。
わたしは自分と感情と向き合うようになってこんなにも変わっていくのかと驚きました。セミナーの最後にすべては粒子でできているから、自分の人生は自分で作り上げられると言われたのはまだ腹落ちしていませんでしたが。
セミナー後、自分がしたいことをして、自分が嫌いなことをするのを少しずつやめるようにしていると、出社の最中に、昔、傷つけた亀さんにどうしても謝りたくなりました。
しかし、彼の連絡先をわたしは知らなかったので、大学の先輩に連絡をして教えてもらい、電話をしました。自分が傷つけた相手に自己満で電話するなんて正気の沙汰ではないと思いましたが、電話しないといけないと思ってしました。
わたしは彼に対して、いまだに未練がありましたし、彼はわたしのことが今でも好きで、絶対にわたしを裏切らないと別れたその時まで本気で思っていました。同時に、わたしは彼を傷つけて、彼の人生を悪いものにしてしまったから恨まれているだろうと思っておびえてもいました。
しかし、わたしは電話しないと結局わからないと思って電話をかけてみました。すると、彼は出て完全な敬語で話してきました。でも、特に怒った様子はありませんでした。
わたしは10年前くらいにしたことを謝りました。
あの時は本当にすまなかったとあなたを傷つけてしまってとても後悔していると。
彼は「別にええよ、仕方ないし、お互いに悪いし」と答えてきたのです。わたしは肩の力が抜けました。そして、お互いの近況と世間話をしたあとに、どうしても会って謝りたいのだと伝えると、今は関西に住んでいて、来月関東に行く用があるからその時にと言ってくれて会う約束をして電話を切りました。
電話を切ったわたしは笑いながら泣きました。
彼が生きていて、彼が自分でしたいことをしていたのです。よかったー。自分の中で自分が彼を殺したかのような心地だったのに、彼は何一つ変わっていませんでした。
その後、彼に合って一日中、横浜で遊びました。
彼は10年前と変わりませんでした。
優しくて、面白くて、いつも自分の思うとおりに生きていました。わたしは一緒に遊んでいるうちにやはり、この人がわたしの運命の人なのだと思って、もう一度付き合ってくれないかと頼むと、そこで初めて彼の顔が曇りました。「それはできない。友達だったらいいかな。」と言ってきたのをわたしはじゃあ、友達からまた一緒に遊んで、また付き合えるんだと思い込みました。
そのあと、実家に帰り、家族にその話をすると、母と妹は喜びましたが、父が「あいつは優しいからまたお前に合わせているだけだろうと言いました。その一言ではたと気が付いて、彼に本当は嫌だったんじゃないかと確認をすると、「さすがにまた会うのは苦しいから」と断られてわたしは最後に長文の謝罪メールを送って終わりました。
傷つけた相手に謝るだけでは飽き足らず、調子によって傷つけるなんてなんて愚かなことか?自分の愚かさに吐き気がしました。
学習能力のないドクズ!
お前は誰とも付き合えない!
だれとも一緒にいる資格もない!どうしようもない馬鹿なのだ。
そう思いながらも、ここでまた自分によって、うやむやにするとまた繰り返すと思った私は、自分に対する嫌悪と断られたことへの悲しみを感情筋トレで習った方法で、感じきりました。
拒絶されて驚いたこと、人を傷つけてしまうわたしは人に嫌われて、孤独になるとわたしは強く思っていました。彼に拒絶されるのは、まるで親に見捨てられるような怖さでした。あまりの怖さと悲しさに大泣きしました。
わたしはここでようやく、亀さんへの気持ちを終わらせました。わたしが彼を傷つけたけど、人生を変えるようなことではなかった。彼は相変わらず、彼らしく生きていた。それにはとても安心しました。わたしはだれも壊していなかったのだと。
実は、小枝ちゃんも小枝ちゃんを傷つけた5年後くらいに、共通の友達が自殺したのでお葬式で顔を会わせていました。また、怒られると思っておびえていたら、彼は普通に元気していた?と声をかけてきました。わたしはその時にも、なんだこの人はあの時も悲しみに暮れているわけでもなく、相変わらず彼のまま生きているんだと思ってほっとしました。
わたしが殺したんじゃないかくらい傷つけた人たちはみんな、ちゃんと傷ついてもそのままではなく、普通に生きていたんです。そこにとても安心しました。
わたしはわたしの人生が少しずつ、変わっていくのを感じていました。
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