わたしはバケモノだった⑪
11・北インドへ行く
わたしがリシケシに滞在する期間は
2週間ほどだった。
実は南インドにある元いたアシュラムで、アーユルヴェーダのデトックスプログラムである、パンチャカルマを3月に予約していたことと、TTCの友人の家に遊びに行く予定だったからだ。
わたしがリシケシに対して持っていたイメージはヒンドゥー教とヨガの聖なる場所であること、シヴァナンダヨガの始まりの場所、母なるガンジス川あがることだった着いてみると観光地だった。
トレッキングに、
聖なる川のガンジス川ではラフティング。
お店はオーガニックと書かれた海外向けの食品店に、コーヒーショップや洋風なカフェがいっぱい!
確かにあちこちで夕方はガンガーアラティ(儀式)もやっているし、アシュラムも多い、アーサナのクラスもあるのだけど、なんかイメージが違う。
わたしが読んでいた本は古く、また、グルデヴが生きている頃のものだったのもあり、ちがくて当たり前。むしろ、インドらしかったんですが、がっかりしました。
これでは、神様のような人には出会えないかも。
そう思いつつ、南では見なかった牛も町中を歩いているし、the インド!っている雑貨も売っていて大興奮!
わたしは、とりあえず、友達にすすめられた場所を1日で一気に回り、一番の目的地であった、シヴァナンダアシュラムを訪れた。本で見てどうしても行きたかった場所に着いた瞬間に興奮と優しい雰囲気に涙があふれた。
そして、わたし、
何やっているんだろうと思いました。
スワミシヴァナンダについて知りたくて、この場に来たのにただ観光して、シヴァナンダヨガではないアーサナのクラスに出て。
はぁ。何のためにここまで来たんだよと。
ストーリーを上げるためにインスタをチェックしていると、友達のお店で一度であったヨギーの方がリシケシに来ている!?
彼女に電話すると、
翌日に会えることになりました。
リシケシにはいくつかのスワミ シヴァナンダの施設がありました。
ガンジス川のすぐ横にある、グルデヴクティールという場所があり、そこでは毎日夕方にガンガアラティーが行われているとのことで、彼女に連れて行ってもらいました。
この場所はグルデヴが晩年にいたらしく、ベッドや椅子、洋服などが置かれていてとても感激しました!
アラティが終わると、彼女の友人で関西から来たノリコさんを紹介してもらいました。
ノリコさんは関西でヨガ教室やマッサージをされていて、コロナになるまでは毎年インドを訪れてる方でした。二人ともわたしと同じくSivananda yoga TTC卒業生でした。
このあと、わたしはノリコさんにたくさんのことを教えてもらうことになりました。
シヴァナンダアシュラムでのサットサンガの時間、お祈りの仕方、それからお祭りへの参加の仕方、どこに座るのか、どの本が必要になるのか、キールタンで有名なKrishna Dasさんのライブまで!本当に感謝でいっぱいでした。
実はわたしがたまたま来た時期に、Maha shivaratriというシヴァ神のお祭りがありました。
シヴァ神は修行の神でもあり、神をたたえるために断食をし、夜は寝ないで儀式や瞑想をする日です。
シヴァナンダアシュラムでも儀式をやることをノリコさんに教えてもらって、一緒に行かせてもらえることになりました!!
夕方から翌日の朝5時までお寺では儀式、その外のホールではシヴァ神のキールタンが行われました。
わたしの心をとても満たされました。
グルデヴに触れたくて来たリシケシでシヴァ神のお祭りをシヴァナンダアシュラムで参加できるなんて!!
わたしはTTCの時にシヴァ神のマントラをもらい、ヨガのスピリチュアルネームもシヴァ神の妻であるパールヴァティの名前をもらっていました。こんなつながりが起きるなんてなんて幸せなことだったか。
数時間寝た後、午後からはKrishna Dasのコンサートに行き、夕方はTTCの友達がリシケシに来ていて、スクーターの後ろにのせてもらって離れたガンガーアラティにも連れて行ってもらえました。インドにスクーターの後ろに乗る日が来るなんてとても、楽しい日でした。
その翌日から、毎朝、ガンジス川沿いで、アーサナをして、昼は瞑想、夕方はクティールでの、ガンガーアラティにでて、そのあとシヴァナンダアシュラムで行われる夜のサットサンガにノリコさんと参加するようになりました。
祈りと修行こそがリシケシでやりたかったのだとわたしはきがついて幸せでした。
数日過ごすうちに、朝のサットサンガにも出たくなり、アシュラムのすぐ下にあるホテルに場所を移しました。
朝のサットサンガに出て、午前中の祈りのプログラムに参加し、昼に行われるスワミジとの問答を聞きに行き、昼にガンジス川で全身か足と手だけの沐浴、瞑想、夕方はガンガーアラティにサットサンガに参加する。
どんどん心が洗練されて、癒されて行きました。なんて心地いいんだろう。もう、日本に帰りたくないな。
ここで修行をしていたいなと思いました。
そんな時に、南インドのアシュラムで運命の人だと思った彼がリシケシに遅ればせながらやってきました!!
「一緒にごはんを食べよう。一緒に、トレッキングに行こう」と誘われて、
やはり運命や!と思って、
一度食事をしたものの、
彼の観光客モードと浮ついている感に対して、今の自分の修行モードのギャップが
あまりにすごかった。
翌日の誘いに対して、
「わたしはシヴァナンダアシュラムで自分に集中をしたいので、遊びには行けない」
と返事をして、わたしの運命は終わりました。
そのあと、ノリコさんと会って話していると
maryは
背筋がまっすぐじゃない。
体に力が入ってるよ。
背筋がまっすぐじゃないと
エネルギーが通らないよ。
と言われて、はじめは落ち込みました。
ノリコさんは物事をはっきりと言ってくれる人でした。
コーチング育成講座のコーチのマリコさんに連絡をしてアドバイスをもらって一度落ち着いてから、感情を感じて、トラウマセッションをすることにしました。
コーチングやアシュラムでのトレーニングでかなり緩んだとおもったけど、まだまだ考えすぎているし、なんか怖がっているようでした。
1人でこもって自分の体のこわばりについて深掘りしていくと、なんとも心の温まる信心深い少年の話が出て来た。
まるでブッダか出家した時のような話。
周りは彼のこの精神性の高さと
素晴らしさを理解できずに
俗世にとどめようとするが、
わたしは使命のためにここをさる!
それが、なんでみんな理解できないのだ!と
少年は悲しみながらも出家する。
素晴らしいと思ったことを
みんなのために伝えるけど、
誰にも理解されない。
がんばったけど、
ただ白い目で見られ始めて
結局、出家する少年。
彼の気持ちがよくわかって思わず涙が溢れる。
スピリチュアリティ、インド、ヨガ、心理なんて家族からは頭がおかしいんじゃないかと言われているわたしと同じでした。
しかし、
その少年の話には続きがありました。
少年はカットがかかった瞬間に悪い顔になる。
『わたし以外全員、バカしかいない。
わたしだけが唯一選ばれたもの。
同じにされたくもない、
バカとは話したくない。』
とんでもない自己中心的な発言に驚きました。
怖い、不安、恐怖で、
身体が今まで以上にこわばる。
こんなわたしを人に知られたら、
みんなに失望されて
みんなを傷つけて
縁を切られて
一人ぼっちになって死んでしまう!!
こんなのわたしじゃない!
こんなの認めない!
いやだー!
という叫び声が自分の中に響き渡って
感情を感じることを拒絶しそうになる。
しかし、ここで逃げたら
ここまできたわたしの修行の意味がない!
わたしはまず恐怖を身体いっぱい感じた後に、
わたしはそんなわたしごと受け入れることにしました。
そんなわたしで何が問題なの?
そんなわたしもいいじゃないか。
わたしはそんなとこも含めて大好きだよと。
そうしたらもうエゴもわたしも
涙も鼻水もズルズルにでてきて
ぐちゃぐちゃになるまで泣きました。
安心、嬉しい。幸せ。
まるで、おねしょをした
子どものようだなと思いました。
悪いことしたことがバレたら、
両親に嫌われて捨てられるから
必死でなかったことにしようとするの。
でも、別にそんなあなたのことも
両親は好きなのに、勝手に自分で思い込む。
それに似ている。
自分はダメだと思うから
その分どうにかするために必死でがんばる。
するとやった分、
わたしすごいでしょ?
優れてあるでしょ?
という、おごりとエゴがでてくること。
でも、そんなわたしを受け入れられなくて、
がんばっている方以外を
完全に無視していたことに気がつきました。
今回の内観で、
今まで無視し続けたエゴを
やっと認めることができた。
終わった後に、
コーチのマリコさんに連絡したら、
『わたしの中にもいるよ』と言われて
ほっとしました。
そうだよね、みんなあっていいよね。
それをしちゃいけないと思ってたから
余計に悲しくて苦しかったんだな。
すると、翌日、
わたしに大浄化がおきました!
食べ物に当たったのか、
ガンジス川で泳ぎすぎたのか、
ホテルの水が汚かったのか。
下痢、吐き気、たまごのようなゲップが
止まらないという謎の病に
かかってしまいました。
どうにかなるかもしれないと思って
やり過ごそうとするも、よくなる気配なし。
これはまずいと思い、
ネットで調べるとインドあるあるらしい。
薬局で抗生物質をもらって飲めば治るとことだったので急いで調べて、薬を買いに行って飲んで寝ました。
今までこわばっていたものが緩んだことで、強制的に体からいらないものが
排除されたのだと思います。
実はリシケシに来てから、
たびたびよくわからない不安で
過食嘔吐を繰り返していました。
過食は自分の感情を感じたくなさ過ぎて
必死でごまかすためのわたしの癖でした。
今までは非嘔吐でしたが、
インドに来てから
すっきりするまで吐くようになりました。
それに加えて、それまで、
山の上の暖かいアシュラムにいたところから
突然寒い大観光地に来たのだから疲れるし、
不安定にもなって当たり前でもありました。
移動距離長い
空気は汚い
夜中まで続く騒音
人が多い
一人なので気を張る
これが、一気に身体から
排せつされた心地でした。
まだ、残っている違和感もありましたが。
その日はトイレとベッドを
行ったり来たりしながら、
ただただ浄化に身を任せました。
翌日、体調が少し、復活して
トイレから離れられるようになりました。
わたしは抗生物質を飲んでいる
今しか食べれない!と思って、
屋台で売っているRanfalという
リシケシ特産のフルーツを食べ、
レモンジンジャーティー、
豆のカレー、カジュカトリ、
クルフィ、ラスマライ、アルーパラタに
スパイシースナックを何袋も平らげて、
また、吐き戻していました。
まだ、なかなか食べ物でごまかす癖が
やめられないことを不安に思いつつ、
とりあえずその日も少し散歩をして、
瞑想をして眠りました。
その翌日のこと。
どうしてもシヴァナンダアシュラムの
サマディホールで瞑想をしたくて
いつも行かない昼の時間に行ってみると、
スワミジが参拝者と問答をしていました。
その中でわたしが印象に残った言葉が
ありました。
『surrender is necessary』
手放すことが必要
わたしの課題でもあると感じていたから
胸に刺さったのだと思います。
そして手放したくて手放したくて仕方ない。
早く、楽になりたい!
安心した世界で暮らしたい!
なのに、全然できないー!と
もやもやしてホテルに帰りました。
手放せれば
人生が変わると強く信じていました。
ホテルで、コーチング同期のキエちゃんとテレビ電話をすることになり、
今回のことを話していたら、
今回の答えが突然やってきました!!
なぜ、わたしが手放せないのか。
それはわたしが
そもそも持っていることを認められないから!
受け入れて、
自分の中に認識してからしか手放せないんだ。
だって、そもそも受け入れてないってことは持っていないってことじゃん!
持っていないものどうやっててばなすんじゃい!っていうことに気が付きました。
そのことに気が付いて、
やっと心が軽くなったところで、
わたしは今度は南インドにある
コチの友人の家に移動しました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?