本来のわたしに失望した

「等身大」
「ありのまま」
「本来のわたし」という言葉は
マインドフルネスとか
ヒーリング界隈では
よく見かける。

わたしももれなくその使用者であるわけだが、
最近とうとう、本当にその時が訪れた。


わたしはあまりの恐怖に足がすくんだ。
幸せ、安心感とは程遠かった。

本来のわたし
=とるにたらない存在
=何でもない人

という方程式が
わたしの頭の中に浮かんだ。

全然受け入れられなかった。
受け入れられなすぎて
行動したわたしを
もっと受け入れられなかった。

むしろ、いままで、
自分を大きく見せるために
自分にも他人にも平気です、
わたしはなんでもできると
ウソをついて見栄を張っていたわたし。

大きく見せまくっていたら、
現実がわからなくなって
それによって
自分は素晴らしいと思い込んで、
自尊心ばかり大きくなってしまった。

その自尊心(プライド)を保つために、
平気で人を蔑んだ。

自分より素晴らしい人や天才には近寄らず、
見ないようにした。
自分の価値が揺らぐと思っていた。

そばにいる人で自分より優れていたり、
自分らしく生きている人がいたら
その人の嫌がることを平気で言ったり、
したりした。

できないことをできないと言えず、
わからないことをわからないと言えず、
むしろ自己犠牲をしてほめられたがっていた。

そんな自分に気がついたら、
あまりの見苦しさと気持ち悪さに
頭がフリーズした。

わたしは他人と自分を線引きして、
比較して、馬鹿にして、
人をいじめて、
平気でけなしているような人間だった。

そのくせ、
他人に自分の気持ちはわからないと
被害者ぶった顔までしていた。

可哀想だと、苦しそうだと
みんながそばに来てくれると
思っての行動だったのだ。

いつも平気です、大丈夫ですと言いながら、
誰かがきてくれると期待した。

不安で苦しくなって
周りが助けてくれないのを見て
わたしは誰にも理解されないと
悲劇のヒロインを気どり、
気づかないやつがダメなんだと相手を蔑み、
勝手に孤独感を募らせた。

それが「本来のわたし」だった。

現在、実家で両親と三人で暮らしているわたしはたまたまその時いた母にこんなことに気が付いてすごいショックだったと伝えたら、
「いつもあこんな言い方してるよ、こんな顔して」と母がわたしの真似をした。
上からバカにしたような口調で、どや顔して話しているわたしの真似。
あまりの衝撃に涙も出ないで、言葉を失ってその場でうずくまった。

「わたしクソな人間過ぎる」

今まででしてきた心当たりあることどころではない。
走馬灯のように流れる今までも言動と行動にさーっと血の気が引いた。

母がフォローとアドバイスをしてくれているが
全然耳に届かなかった。

胸が苦しくて息が詰まって死にそうな心地がした。

少し落ち着いて動けるようになって
わたしは母に聞いた。
「こんなわたしでもわたしのこと好き?嫌にならない?」
「嫌いになるわけないでしょ!わたしたちもそうだしね。」
 と言われたら涙が出てきた。
こんな性格悪くて、人のこと見下してプライドばっかり高くてこんなわたし嫌だと言いながら母に抱きしめてもらいながら泣いた。
まるで幼いこどものようだった。

そんなわたしのことも分かったうえで、一緒にいて大好きだと言ってくれることに安心感を感じた。感謝はまだできなかった。
わたしは自分のことでいっぱいいっぱいだった。

そのあと、夜に自転車で少し走って、風呂に入るも、
夜中の2時くらいまで眠れなかった。

今までしてきたことが次から次へとあふれ出したら、
それどころじゃなかった。
出てくることに対して、あーしようこうしようと考えながら、
でも対処法ではなく、感情を感じたいと思ってぐるぐるしていた。

翌朝、起きてすぐに
最近距離を取っていた友達2人に連絡をした。

1人の友だちに連絡して、
あー、そのままのわたしでいるって怖いけど、
そのままのわたしでいいんだと感じた。本当にありがたい。

もう1人の友だちにも連絡すると、
彼女も自分の中でいろんなことが起きていて夜中まで起きていたことを知って、わたしはとても安心した。やっぱりつながっているんだと思ったらうれしくて涙が出た。

まだまだもやもやしているけれど、
とりあえず行動するしかない。

謝りたいなら謝る
ウソついていたのなら、やめる
大きくも小さくも見せない
素直になる
自分と相手を尊重する

毎日、今回のわたしをすこしづつ
受け入れて馴染ませていく。

このタイミングで出てきたのは
今のわたしなら受け入れられると
思って信じてくれたから。

本来のわたしはたくさんいるし、
ずっと本来の自分。

だから、
一つずつしっかり受け入れていく。


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