わたしはバケモノだった⑬

13-1 家族からの見捨てられ不安



わたしはそのあと、実家に帰りますが、
家を出て、自分が住むべき場所を探す旅に
ちょくちょく出ていました。

インドから帰ってきて、一か月ほどで
訪れた淡路島のヒーラー夫婦の家で、
インドの神様の歌、キールタンを歌ったことで
あなたは歌を歌う人だからと言われて、
旦那さんがやるセレモニーに歌担当として
一緒についていかせてももらえることになりました!

わたしはヒーラーやスピリチュアルな存在なのだ!
と思ってしばらく、歌うヨガキールタンのワークショップを
開催しましたが、自分の中で腑に落ち切らずにいました。

そのあとも、
関西、九州、東北、沖縄とあちこちで、
自分の家探しと、しごと探しをしましたが、
どこもいいなとは思うものの、縁がありませんでした。

神社や土地でも、迎えてもらえるけど、
ここじゃないよ、今じゃないよと言われて
家に帰される。

お金もだんだんと無くなってきたこともあり、
帰国後2か月で、実家に戻るものの、
すぐに出ていくと思って荷をほどかずにいました。

そのまま、暮らしている中で、
わたしは自分が持っている不安に気が付きました。

今のままでは家族に見放される!
という不安でした。

インドにいるときに、わたしは家族が好きだし、愛されていたということも分かった!と思ったのに、
迷惑が掛からないように早く自立しないといけないと思っていたのです。

それじゃないと愛されない。
もっと、家族の期待の応えないと。
会社を辞めた分その倍は稼いで、
元会社の人と、家族を見返さないといけない。

やっぱりわたしは
間違っていなかったんだって証明しないと
愛されない、見放されると思い込んでいたのです。

それに気が付いたのは、
わたしが持っているお金ではもう、
市民税が払えなくなったときでした。

わたしは自分の不安を紙に書き、瞑想をして
感情を感じてみることで、
家族から見捨てられる不安が
まだ終わっていないことに気が付きました。

税金が払えないような人間は
家族に縁を切られる。

お金を稼ぐ能力もなく、お金もなく、
何の才能もないわたしは
ダメな人間だと思って
毎日、不安になりました。

結局、わたしは条件付きでしか、
家族に愛されないんだと
思っていたのでした。

その不安に気が付いて
わたしは自分のこの不安と思い込みに
向き合うことになりました。

わたしの母はお金の管理が苦手で
お金を使い込んでは父に怒られて、
ある時にはそのまま、
父が出て行ってしまったこともありました。

わたしはそこから
「ちゃんとしないと見捨てられる」
という思い込みがつくられていきました。

わたしはその思い込みを受け入れて
『どんなわたしでも無条件に愛されている』
と思い込みに書き換えました。

そのあと、わたしは
父にお願いをして市民税を
立て替えてもらうことになりました。

父は怒鳴ることもなく、
当たり前のように立て替えてくれたのです!

返済も、
期待せずに待っているわと
軽くいってくれて。

わたしはその行動でやはり、
わたしは「無条件に愛されている」のだと
安心して、
ずっとダンボールに入れたまま
積み上げていた実家の荷物を
荷解き始めました。

実家は仮住まいではなく、
実際の実家を捨てるのではなく、
この家を実家だと認めて、
心地の良い空間に自分が
していくんだと決意しました。

13-2 実家とは

わたしは4年後に総合的な治療院や
ヨガのアシュラムのような場所を
作りたいという目標を持っています。

テーマは”みんなの実家”

自分のケアを自分でするための施設を
作りたいと思っていました。

実家のように、みんなが安心して、
くつろげる場所を作りたかったのです。

しかし、
わたしの本当の実家へのイメージは
それとは大幅に違いました。

私にとっての実家は
汚い、暗い、こわい、不安、
隠さないといけないもの、閉鎖的”

実際、わたしの家は子どもの頃から
今までずっと汚なかったです。

床やテーブルにはいつも
モノやゴミが散乱していました。
それをよけながら歩き、
ソファの上のものが
置いてある上に座るのも
シンクに食器が
何日も積み上がるのも当たり前。

母が余裕がある時に
ときどきの片付けるものの、
ものを右から左に移す程度でした。


子どもの頃は両親は忙しくて、
家にはおらず、夜に会えるかどうか。

夕方になると、
両親もいなくて散らかっている家が
怖くて仕方ありませんでした。
安らげる場所ではなく、
不安定で怖い場所でした。

わたしはその不安をどうにかするために
置いてある食べ物を
片っ端から食べていました。

カップラーメン、カップスープ、白米、
お菓子。

苦しくなるくらい食べると
自然と眠くなってきてそれに任せて寝ました。

寝たら、今のこの時間が
早く終わると思っていました。

そんな子ども時代のから
わたしは友達を家には呼びませんでした。
呼べませんでした。

子どもながらに、
この家に人を上げることを
恥ずかしいことだと
思っていました。

大人になっても、
わたしの実家は汚いままでした。

汚い家はわたしを不安にさせました。

だからわたしは
いつも実家から出て、
自分の理想の家を作ろう、
理想の家族を作ろうとしていたのです!

必死で不安から逃げようとしていました。

しかし、冷静に今の家をみると、
昔とは違いました。

それは
両親が家にいること

当時の私たち姉妹が熱望した両親が
今は毎日家にいて会えるんです!

昼に帰ってきても、夜に帰ってきても
2人に会えて一緒に今日あったこと話して、
笑って、ご飯食べられるんです!

これは大きな違いでした。
しかし、
わたしは両親が好きなのに、
自分が嫌われていると思って
2人のことを遠ざけていたので、
なかなかそれに気が付けず、
今になってようやく気が付きました。
2人が好きだということを認められてようやくです。

それに気が付いたわたしは
実家をきれいに片付けようと思って片付け始めました。

あの時のぞんでいた理想の
両親がいる、きれいな家を
いまこそ作ろうと思ったからでした。

まず初めに自分の部屋を
住み心地のいい状態にしました。

わたしが好きなものだけを置いて、
好きなお香を炊いて、
瞑想とアーサナがすぐに
できるような部屋にしました。

これはすぐに行えました。

次に、リビングとダイニングを
片付け始めましたが、
わたし一人でやると、
結局両親の協力も得られずに、
すぐに汚れては
イライラして終わるだけでした。

2人はわたしが好きにしていいというだけで
手伝ってはくれませんでした。

このままではダメだと思っている時に
コンマリさんの片付けを思い出して
実践することにしました。

まず、この家をどういう家にしたいのかを
どうやって過ごしたいのかを
ゆっくりと考えました。

【どんな家?】
自然光で明るい
暖かい雰囲気
穏やか
友人がくる
人を招く
いいエネルギーが満ちている
ものの住所が決まっている
好きなもので溢れている

【どう過ごす?】
朝はゆっくりと身体のメンテナンスと瞑想
昼は陽がさす家でゆったりと話をする
夜は自分の部屋で今日1日を振り返る

【自分の部屋は?】
わたしが好きなものだけおく。
天然素材で、オリエンタル、
人の手が作ったもの、ヴィンテージのもの。


実はわたしの実家は
父が定期的に改装を頼んでいて
家具も食器もこだわりがあり、
家そのものは素敵でした。

しかし、
片付けず、掃除をしないでいるので
改装された素敵な場所には荷物が積まれ
食器もいいものはしまい込んで埃がかぶり
どうでもいい食器を使っている状況でした。

わたしはが父にわたしがどうやって暮らしたいのかを
伝えていると、
「わたしはこの素敵な家をみんなに自慢したい!」
と言いました。

これは、全然考えていなくて、
ぽろっと口から出てきました。

わたしは家が汚い、暗くていやだと思っている反面、
実はこの家が素敵で、好きだったんです。

それを多くの人に見てほしいし、
共有したいと思っていたんです。

それを父に伝えた途端、
家事嫌いの父がようやく乗り気になったんです!

そのあと、母も含めて話しているときに伝えていると
また不意を突いた言葉が出ました。

「わたしは残りの人生、好きなものだけを使って生きていきたいし、
ふたりにもあと、20年ほどの人生なのだからそうしてほしいと伝えました。
気に入ったものを着て、気に入った食器で、
気に入った家具で、気に入った環境で、気に入った家で
好きな人と暮らしたい。
わたしは友達をよんで、そして何より、旦那さんと子どもを連れて帰ってこれるような家にしたい!」と。

わたしは誰でも招ける家にと言いながら、
一番招きたかったのは
将来の旦那さんと家族だったんです!

この家と家族では付き合っている人に恥ずかしくて会わせられないって思っていました。
今は、家族が好きだと気が付いたので、あとはこの家に対してだけでした。

わたしは家と話すことにしました。

わたしの家へのイメージは
冷たい、怖い、闇、暗い、引きこもり、陰湿で、
地縛霊のようなイメージの性格でした。
しかし、それは間違っていました。
家はいつもわたしたち家族を受け入れてくれて、
守ってくれて、いつも一緒にいてくれる優しい存在でした。
その家を大切に扱わずにいたことを謝りました。

これからは
家族みんなで家を丁寧に大切に扱って、
明るくて楽しい、暖かな存在のままで
いてもらおうと決めました。

それから、
いつからいつまでやるのかを決めて、
両親とわたしでまずは
ときめかないものを捨てていくと、

それはもうとても楽しくて
家族みんなでレジャーや旅行に
行くことよりもはるかに楽しかった!

家事嫌いの父が
率先して次やる日にちを決めているなんて、
信じられないことまで起きました!

いつもわたしは
自分一人でどうにかしないといけない、
わたしがダメだから変わらないと!
わたしがみんなをどうにかしてあげないと!
役に立たないと!

と考えていましたが
そんなことしなくてよかったんです。

はじめから素直に
自分の気持ちを伝えて
協力して貰えばよかっただけでした。


わたしは勝手に自分で
プレッシャーをかけて
勝手に不安になって、依存して、
自分のことを傷つけて、
信用できる人を遠ざけていたのでした。

ずっと頭ではわかっていたことが
このそうじでやっと腑に落ちました。

やっぱり、
わたしはいつだって愛されている
わたしはいつもやりたいことをしていい
わたしは大切な人と一緒にいていい

今まで生きてきて
実家がこんなに楽しくて、
安心する場所になっていくなんて!

こんな素敵なことが起きて
わたしは喜びに浸りました。




おしまい

わたしは、今もまだ、
自分の望むことをするために、
日々行動をしています。

楽しいこともあれば、悲しいこともあります。

しかし、感情を感じ切って、自分と向き合うことで、
依存や自傷をしていた日々を含めたわたしや家族、仲間を
受け入れられるようになりました。

これはとてもシンプルなことでしたが
わたしはここに行きつくまでに、20年かかりました。

いまわたしは、わたしが好きですし、
家族のことも、この世界全体のことも
好きでいられるようになりました。

自傷や依存をしなくなってよくなったことはとても安心です。
そして、していた自分がいたから
今があることに感謝ができるようになりました。

今までの自分の話を書くとか、頭おかしくなったのかな?と
思いましたがここまで自分を振り返ることができてよかったと
思います。

ありがとうございました。




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