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フィクションの国、ロンドンでの気づき

ロンドンに来てすぐのこと。私は、街を歩くたびに新たな発見をする日々を過ごしていた。赤い二階建てのバスが走る景色や、歴史的な建物が並ぶストリートに感動しながら、少しずつこの街のリズムに馴染んでいった。そんな中、ふとした好奇心で入ったのが、ロンドンの書店だった。

店の扉を開けると、目の前に広がるのは本の海。書棚のひとつひとつが、言葉の力で私をどこか別の世界へと誘っているようだった。だが、最も印象に残ったのは、その書店のレイアウトだった。どの書店も共通していることがあった。それは、入口に必ずと言っていいほど、フィクションの書籍が並んでいるということだった。

日本でも書店に入ることはある。入口にはベストセラーや話題の新刊が置かれることが多い。しかし、ロンドンの書店は違った。新刊やベストセラーが並ぶという点では似ているが、フィクションが強調されていることに驚いた。特に目を引いたのは、ハリーポッターのシリーズや、それに関連する書籍たちだった。それだけではない。SF、ファンタジー、ミステリーといったジャンルが、入口で私を迎え入れるのだ。

ふと、こんな疑問が頭をよぎった。「なぜここではフィクションがこんなにも大切にされているのだろう?」ロンドンという都市が持つ魔法のような雰囲気や、物語性の強さが影響しているのか。それとも、ハリーポッターを生み出した国だから、フィクションの文化が根付いているのか。少し調べてみると、イギリスには長いフィクションの歴史があることに気づかされた。

ロンドンは、歴史的な文豪たちが住んでいた街でもある。シェイクスピアやチャールズ・ディケンズといった作家たちが、この街で作品を生み出し、その舞台として描いてきた。ロンドン自体が、物語の一部であり、時には登場人物のような存在だったのだ。街並みを歩いていると、過去の名作の場面が頭の中に浮かんでくる。石畳の道、霧のかかったテムズ川、古い建物が並ぶ街角。これらの風景は、まるで古典的なフィクションの中に迷い込んだかのような感覚を呼び起こす。

また、ロンドンの図書館に行くと、その静寂の中に漂うフィクションへの愛情が感じられた。入口に並ぶのは、現実逃避を誘うような色とりどりの小説たち。図書館とは、知識を得る場所というだけでなく、異世界への入り口でもあるのだと感じた。ここでは、フィクションの本が誰かの人生を変え、想像力を育む力があると信じられているようだ。

私自身も、ロンドンでの生活を通じてフィクションに対する考え方が変わりつつある。日本にいた頃、フィクションは現実逃避の一手段としか考えていなかったかもしれない。しかし、ここロンドンでは、フィクションが人々の生活の一部であり、心の糧となっている。書店や図書館を訪れるたびに、フィクションが提供するのは単なる物語以上のものであることに気づかされた。それは、現実の世界をより深く理解するためのツールであり、日常を超えた場所へと私たちを導く力を持っている。

思い返せば、フィクションは幼い頃から私に影響を与えてきた。特に、ハリーポッターシリーズは私にとって大きな存在だった。ロンドンの街を歩いていると、ハリーポッターが魔法界と現実世界の間で生きていたように、私もまた現実とフィクションの境界線を行き来している感覚に陥ることがある。この国では、フィクションと現実の境界が曖昧で、どちらも同等に存在しているように思える。

フィクションの書籍が入口に置かれる理由。それは、この国がフィクションという文化をいかに大切にしているかを表しているのかもしれない。ハリーポッターという象徴的な物語を生んだ国だからこそ、フィクションはただのエンターテインメントではなく、文化そのものの一部として根付いているのだろう。

ロンドンに来て気づいたこと。それは、フィクションがこの街の心臓であり、人々の想像力を刺激し続けているということだ。私もまた、このフィクションに富んだ国で、新たな物語を探し続ける旅を続けていきたいと思う。

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