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モリッシー(20231128豊洲PIT)行ってきた
モリッシーの写真も動画もまったく撮っていない。ライブレポートでもない。ただの個人的な記録。
来日の噂を聞いたのはいつだっただろう。まだ公式発表の前、旧友がツイッター(現X)で「来日するけど、すでにキャンセルになっている会場もあるみたいで」と教えてくれたのが2016年の情報だったので、何かの間違いだろうと思っていた。
チケット発売が夏だったのは覚えている(確認したら8月14日だった)。東京の自宅で
まりもとかおるのこと(5)最終回
新潟から関東に戻り、友人宅にまりもを送り届けた後、近くのショッピングモールに寄って、輝男(うちの猫)のお土産などを買い、軽く晩御飯を食べて、さらに1時間半弱走って帰宅。
友人が輝男に買ってくれたお刺身を切って、SNSチェックなどをして一息つき、早めに就寝。
翌日の昼過ぎ。
今回のことで知り合うことができた現地のお友達からLINEが。「萩原さん」という書き出しに胸騒ぎを覚えつつ開くと、昨夜、かおる
かおるとまりものこと(4)まりものお引っ越し
4月3日。
11時に東京を出て、残雪に驚きつつ、途中休憩を取りながら、宿についたのが17時頃。
病院に電話すると夜勤の食事時で忙しかったのか、「今は眠っているので、明日また日勤の時間に掛けてください」とのこと。
17時半にシッターさんとかおるのアパートで落ち合い、部屋に入る。
毛布の下に隠れているまりもに友人が近づき、ちゅ~るを差し出すとあっさり食べた。
友人の匂いを嗅いで、次に相方(ボーイッシ
かおるとまりものこと(3)新潟へ
13日頃から既読がつかなくなって、17日、思い切って病院に電話。
入院先は本人のSNSのタグから特定できたものの、電話に出た病院スタッフは「入院しているかどうかも答えられない」と言う。「入院していることはわかっている、猫の引き取りを頼まれたため連絡を取る必要があるが折り返しがなくて心配している、安否だけでも知りたい」と訴えたところ、病棟にまわしてもらうことができた(病棟/入院階数を知っておくとスム
かおるとまりものこと(2)猫
かおるは15年前に歌舞伎町で拾った猫、まりもを溺愛していて、SNSへの投稿もまりも様のことばかりだった。
わたしは動物にあまり興味がなかったのだけれど、毎年滞在している海の小屋に猫が遊びに来るようになって、当時見たばかりの映画にちなんでテルマと呼んでいたら、写真を見たかおるが「手が大きいから男の子じゃない? 後ろからニャン玉があるか見たらわかるよ」と教えてくれた。言われたとおり、後ろ姿をよく観
かおるとまりものこと(1)90年代
雑誌『アニース』1997年冬号に掲載した、戸崎美和さん撮影による第3回レズビアン・ゲイ・パレード(1996)参加者のポートレート。そのなかのひとりとして誌面に登場してくれたのが、当時まだ19歳だったかおる(そういえば、そのパレードの後のプライド集会で実行委員のひとりが参加者に向かって「レズのくせに」と発言し、問題になったのだけれど、それはまた別の話)。写真のなかの10代のかおるは、なんの曇りもない
もっとみるトーベ・ヤンソンのセクシュアリティについて(6)「それを誰が決めるのか?」
(5)の続きというか、書き切れなかったことを。今回はトーベの人生に沿った話というより、個人的な意見や考察が中心です。
その前に、いろいろと参考&引用させてもらったなかで、やっぱりすごいなと思った本のことを再度、プッシュしておきたいと思います。
2007年に初めてフィンランドに行ったとき、ムーミンショップで買った思い出のスウェーデン語版です。すごく重かった(笑)。店員さんに片言英語で「これはスウ
トーベ・ヤンソンのセクシュアリティについて(5)「スポーケという言葉の意味」
ここまでトーベの恋愛について、評伝や記事等を元に事実ベースでご紹介してきました。次に、トーベが自身のセクシュアリティをどのように表現/定義していたか、あるいは、していなかったか。
「トーベ・ヤンソンとBisexualness」には次のような記述があります。
「私は幽霊の側に行った」(幽霊"spook/ghostとは、セクシュアル・マイノリティ女性、特にレズビアンを指した当時の隠語)と記していま
トーベ・ヤンソンのセクシュアリティについて(4)「女性との恋」
トーベ・ヤンソンのセクシュアリティについて考えるために(1)
(2)「最愛の男性、親友の女性」
(3)「ボーイフレンドたち」
note使い慣れていなくて、マガジン化してみたけど順番に並べ変えすらできないのですが、こんな感じで続いておりまして、1946年の秋の終わり、ヴィヴィカ・バンドレルとの出会い、まで来ました。
(1)でもリンクを貼った、ムーミン公式サイトの記事「私は女性と激しい恋に落ちてし
トーベ・ヤンソンのセクシュアリティについて(3)「ボーイフレンドたち」
前置きは(2)もご参照いただきたいのですが、作品ではなく、作者の私生活について、つらつらと語る必要とは?と思いつつ、そこから見えてくるもの(前回の、時代による表現の変遷とか)もあるよな、というのと、そのために誰かのセクシュアリティを根掘り葉掘り詮索するのも失礼な話では?とか、いろいろ感じています。また、実在の人物、実際にあった出来事に関してネタバレというのも変ですが、先入観なしに作品を読みたい、映
もっとみるトーベ・ヤンソンのセクシュアリティについて(2)「最愛の男性、親友の女性」
前置き。トーベ・ヤンソンに関するさまざまな記事/ご意見を目にする機会が増えたことから、手元の資料を活用して考察を試みることにしました。ここに書いたことはすべてわたし個人の主観であり、特に結論はありません。結論が出せる事柄だとは思いませんし、むしろ、カテゴライズやラベリングは無意味だと考えています。この記事を鵜呑みになさることなく、ぜひリンクやご紹介した書籍をお読みになって、ご自身でお考えいただく一
もっとみるトーベ・ヤンソンのセクシュアリティについて考えるために(1)
「トーベ・ヤンソンとBisexualness」と題したブログを拝見して、いろいろ考えたことをツイートしました。それを整理しつつ、より多くの方にご自身で考えていただけるような情報をリストアップしてお伝えしたいと思います。
前提として、ブログ主の生 (Ubu)さんは「トーベのセクシュアリティに言及する際に決めていることがあります。」とツイートなさっていて、あくまでもご自身のご意見を述べられています。
『アニース』の文通欄
実際に『アニース』の文通欄がどんなふうだったかというと、実際の掲載メッセージをお見せできればおもしろいとは思うのですが、個人情報にはあたらないとしてもご本人がご覧になったらどう思われるかわからないので、使い方を説明するページをご紹介します。※例によってスキャンや加工が適当なのはご容赦ください。住所は当時の編集部のものですが、現在は別の会社が入っていると思いますので、消しました。
1997年4月発
(前提)文通欄/通信欄とは?
昔語りついでに解説/記録しておいたほうがいいかなと思ったのが、文通欄/通信欄の存在。インターネットもスマホもなかった時代(パソコンとパソコン通信と伝言ダイヤルとポケベルはあったかもしれない)。出会いといえば、直接、バーやイベントに行くか、通信欄が定番でした。
念のため、最初に説明しておくと、「文通」とは手紙でコミュニケーションすること。一般的には恋愛相手を探す手段というよりは、例えば、遠方に引っ
トランス男性は女性ではない件。
補足が必要かなと感じたので、早めに1点だけ。
わたしが90年代から2000年初めにかけて『フリーネ』『アニース』を作っていたとき、“女性を愛する女性“を読者として想定し、そのように銘打っていました。当時を振り返り、著者名や年表を書き写していて、FTMTS(当時のご本人の表現)である虎井まさ衛さんや「FTM日本」を注釈なしに含めておくのはよろしくないかな?と感じています。
虎井さんに初めてインタビ
『フリーネ』以前のレズビアン&バイセクシュアル女性のメディアについて
レズビアン&バイセクシュアルのための雑誌(←発行当時のキャッチコピー)『アニース』(テラ出版)2001年発行の「コミュニティの歴史」特集は、年表とインタビューで1971年から2001年までを振り返る、というもの。なぜ71年で区切ったのか覚えていないのですが、年表の最初の1行は次の出来事で始まっています。
1971年 日本初のレズビアン・サークル「若草の会」活動開始(~約15年間)
年表は「♀♀