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モリッシー(20231128豊洲PIT)行ってきた


モリッシーの写真も動画もまったく撮っていない。ライブレポートでもない。ただの個人的な記録。

来日の噂を聞いたのはいつだっただろう。まだ公式発表の前、旧友がツイッター(現X)で「来日するけど、すでにキャンセルになっている会場もあるみたいで」と教えてくれたのが2016年の情報だったので、何かの間違いだろうと思っていた。
チケット発売が夏だったのは覚えている(確認したら8月14日だった)。東京の自宅ではなく、休暇先で、パソコンが手元になかったので、朝からスマホを握りしめて、イープラスの一般抽選に申し込んだ。
あっさりと当選した。当選日のことは覚えていないが、アプリチケットなのにカード決済不可って何なん?と悪態をつきながらチャリでコンビニに支払いに行ったら、近くの校庭で開催中の盆踊りの人ごみに巻き込まれてひどい目にあった。8月25日だった。

チケット当選から当日までの3カ月

そこから3カ月。
わたしはフェスでトリビュートバンドを観るというレアな経験はしていないが、横浜ベイホールキャンセルで涙を飲んだひとりである。油断はできない。

オーチャードホールは両日行ったが、スタンディングの横浜公演が楽しみだったんだよ~。そして’23アジアツアーは東京以外すべてキャンセル。

当日までに予想曲のプレイリストを作ったり(サブスクやってないので自力でCDから音源を取り込んでリスト化する必要がある)、予約して買ったのに積読のままの『モリッシー自伝』『お騒がせモリッシーの人生講座』を読んだり、何十年も前に読んだきりの歌詞集やインタビューを再読したり……というつもりだったのに、気がついたらもう1週間前で、しかも公演予定だったアジア各国が続々キャンセルされて大騒ぎになっていた。

不安は自分自身にもあった。クラブからもライブハウスからも足が遠のくお年頃、数日前から軽い発熱と腹痛があって、仕事や雑事に追われて体力もメンタルもぎりぎり。自伝は冒頭のマンチェスターがいかに陰鬱な街かというあたりでストップ、プレイリストに着手したのは当日のことだった。
で、それを聴きながら、会場へと向かった。

手元のモリTのなかで現在の体型にフィットしたのはコレだった。1991と書いてある。

開演4時間前

豊洲駅についたのは物販が始まる16時ちょうどぐらい。目的地同じですよね?みたいな方をちらほらと横目に見つつ、てくてく歩く。遠い。
建物が見えてきて、「最後尾はこちら」というプラカードも目に入った。列が3重ぐらいにできている。しまった、なめてた。

正直、ロックTシャツが恐ろしく似合わない(着ていないから昔買ったTシャツのコンディションがとてもよい)ので、物販はマストではなかったのだが、前回来日のときに完売していて、友人が持っていた万引きトートがちょっとほしかった(ムーミンやフィンランド関連のトートとエコバッグを百枚ぐらい持っているからわたしの人生にこれ以上の布バッグはまったく必要ではない)。想定では、1時間ぐらい並んでさっと買い物して、開演までに近くのカフェで軽く何か食べて、という流れ。

隣の列に、かいなってぃーさんが並んでいらっしゃるのを発見。ひそかにテンション上がる(と同時に、いちばん乗りではないのか!と驚く)。世の中にはこんなにいろんな種類のスミスTモリTがあったのか~と退屈もせず、予習にいそしんでいると、胸がざわつくような振動というか重低音が邪魔をしてきた。イヤホンを外してみると、え、リハの音じゃん! 周囲の人が「ストップミーだ」とか言っており、Xを覗くと「モリッシーの声が聴こえる!」という呟きが。みんな耳いいな。本当にライブが見られるのだ、という実感がようやくわいてきた。

駅を出た時点では真っ青だった空はピンク色の夕焼けを経て、夜になりつつあった。ときおり風が吹いて足元で枯れ葉が渦を巻き、そこそこ寒く、マイモリTを披露もできずダウンのファスナーを首もとまで上げたけれど、リハーサルの音と振動が聴こえている間は幸せな時間だった。

人にカメラ(スマホ)を向けるが勇気がなく、行き先表示が虹色に光ってみたので撮ってみたが、意味のわからない写真が残った。

進まない物販の列

1時間以上並んだところで、スタッフが「今から物販をご利用の方は開場に間に合わないおそれがございます」的なことを言い始めた。その段階では、それは「今から並ぶ」人であって、すでに並んでいる我々は余裕だろう、でもカフェで休むのは無理だなと覚悟を決めて、眼鏡屋さんでもらったプロテインチョコバーをかじる(プロテインが動物由来ではないことを願いつつ)。

じりじりと時間が過ぎて、17時半ぐらいになったあたりで、近くに並んでいた人が電話相手に「まだ物販並んでる。もうちょっと待って開場直前になっても買えなかったら離脱する」と言い始めた。
列はいっこうに進まない。近そうで遠い。売り場に向かってまっすぐに並ぶのではなく、手前でいったん列が曲がっているため、販売物や値段が確認できるのは2~3番目ぐらいになってからなので、注文に時間がかかるんだなと気づいた。事前にネットに画像が出ていたものの、実物見ないとサイズ感とかわからないじゃないですか。リトグラフは大判のポスターみたいなもので、いちいち実物を見せてから丸めているように見えた(買っていないのであいまい)。そりゃ時間かかりますよね、順番が来る前に決めておけるよう、商品一覧とサイズ比較を掲示しておいてくれればいいのに。近くまでいったら物販写真を撮ろうと思っていたが、もはやPanic状態でそんな余裕はなかった。

開場数分前

やっと案内されたので、「1のTシャツのMとトートバッグ1枚ずつ」と早口でオーダー。Tシャツは2と迷っていて実物を確認しようと思っていたのだが、それどころではない。隣の人がサイズ確認を頼んだら「手に取っていただけないので」と、スタッフが広げて見せていた。質感や素材によって選ぶサイズ違ってくるんだけどなと思ったが、それどころではなかった。
「5000円と2500円で7500円になります」と、計算しながら電卓を見せられる。「はい」と食い気味に頷く。「確認いたします」と、もう一回電卓を叩く。もうええがな。それ、数字に弱いわたしでも暗算できる。支払いには各種クレジットカード、電子マネーが使えるのだが、バーコード決済は不可で、カードを出すと、「金額お間違えないでしょうか」と電卓と決済画面を照合。「不良品以外は返品できませんので……」の言葉にコクコクと頷き、商品をリュックに突っ込んで、コインロッカーにダッシュする。

やっとの思いで買ったもの。7500円分。

コインロッカーにはコインが必要

実はここ何年もライブはご無沙汰だったのだが、たまたま豊洲pitには今年の2月、オーロラ(AURORA)を観にきていた。そのとき若い友人がいろいろ教えてくれたので、物販→ロッカーに収納というシミュレーションが出来上がっていた。この日のために、羽田空港にフィンランド在住の友人を出迎えにいった際、超軽量のサコッシュを購入、手ぬぐいとリップとスマホを入れて、準備万端。
荷物を軽くしたいのと、貴重品紛失リスクを減らすため、財布本体は家に置いてスマホカバーに交通系カードと折り畳んだ1000円札、ポーチにクレカと1万円札を入れてきた。

ところが、ロッカーに行ってみると、カードも電子マネーも使えないクラシカルなタイプ。硬貨300円が必要なことをうっかり失念していた。が、1000円札ならどこかでくずせるはずだ(そのために1000円札も持ってきた)。

2時間近く寒空に並んだため、トイレに行っておく必要も生じていた。矢印どおりに進んでいくが、喫煙所しかない。人ごみをかき分けて整列スタッフに場所を聞くと、「トイレは会場内にしかありません」と言う。入場したら一刻も早くステージ前に行きたかったのに!
気を取り直して「ロッカー用に両替したいんですが」「両替はありません」「え?」「近くのコンビニとかに行ってください」……近くにコンビニなんかないじゃないか!
呆然とロッカーのほうを眺めると、自販機らしき明かりが見える(There is a light……)。そうだ、何か買って釣りをもらえばいいのだ、買ったものごとロッカーに入れればいいんだし。
人で埋まったロッカーとロッカーの間をすり抜けて自販機をめざす。え、1本300円とかすんの? 足元見やがって、でも、仕方ない。1000円札を入れると、エラーで戻ってくる。見渡すと3台とも「釣り銭切れ」のランプが光っていた。考えることはみな同じ。っていうか、なんで両替機を置かないんだよ!
ドリンクを小銭で買おうとしている人がいたので、わらをもつかむ気持ちで「すみません、両替できませんか?」と訊ねたが、ま、1000円分の硬貨を持っているわけないですよね。

18時、開場

整理券番号1番から入場が始まった
自分の整理券は500番台。3000人のキャパだと思うと悪くない。オーロラのときはきっちり番号順の入場だったので、まだ時間がある、と気づく。

人の流れに逆らって、いったん敷地の外に出た。フットボールカフェがある。なでケアのクラファンでワールドカップ観戦イベントやったところだよな、あのスペイン戦はさぞ盛り上がっただろうなと、一瞬、感慨深く眺めるが、今はそれどころではない。カフェでドリンクを頼むか逡巡したものの、自販機があったので、なんかランプ光ってるなと思いつつ、1000円札を突っ込む。10円の釣り銭切れ? いいよ、100円玉が手に入れば。ボタンを押すと、ガコンとボトルが落ちてきたので、すかさず釣り銭レバーを引く。やった、白い硬貨が輝いている! じゃらじゃらと小銭をひっつかんで、ロッカーに戻る。さぁ、300円を!……わたしが握りしめていたのはたった1枚の100円玉と大量の10円玉であった。

コーラは終演後にドリンクチケットで引き換えたもの。ドリンク2本、無駄に重かった。

釣り銭切れの自販機で無理やり買おうとするとこういうことになるのか。おそらく残り730円分、何か選んでね、ということだったのだろう。次の人、ラッキーだったね、ペイフォワードだわね。

入場はざっくりだった

そうこうするうちにだんだんと番号が近づいてくる。「チケットとドリンクの600円分をお手元にご用意ください」、もー、ドリンク代もチケットに入れておいてくれよ、めんどくさい、交通系でピッと。あ、ここで1000円札を出せばよかったのか?(1万円を出す勇気はなかった) でも中にはロッカーないんだよね(と、この時点では思っていた)。

今回は番号順に整列ではなく、ざっくりと入場 が進んでいく。気は急くが、入場したらまずはトイレだ。列ができているのは男子トイレだけで、女子トイレはガラガラ(余談だが、イベントによって男女比に差の出る施設はオールジェンダートイレを増やして、小用メインの男子用と女子専用を両脇に作ればいいんではなかろうか。男子小用で回転率を上げ、女性としかスペースを共有したくない女性は女子用を使えばいい。ただ、共用トイレで男性にお願いしたいのは座ってするか使用後に便座を下ろしておくこと、そして汚したら自分で始末するということだ。話が逸れた)。

トイレから出ると、シールとチラシを配る動物愛護グループの人がいた。そしてホール手前と脇にコインロッカーと両替機!!! なんなん、なんでさっきのスタッフ、会場内には両替機があると教えてくれへんかったん! もちろん両替できるのは1000円札のみ(もしかしたら2000円札も対応してたかも。とにかく万札は非対応だった)、1000円札はすでに釣り銭切れの自販機に浪費してしまった。完全に賭けに負け、機を逸したのだ。

ライトダウンをリュックに押し込み、荷物ごと挑む決意をする。無駄なペットボトルと重い小銭が負荷をかけてくるので(ちょっとした重さで肩が凝るお年頃)、ステージ前に突進するのは諦めて後方でのんびり観ることに。あれ、でも、いちばん前のエリア、意外に空いてる?と思ったら、みっしり人が詰まっていたので、2列目の柵にもたれかかって場所をキープしている人たちの後ろぐらいで待機。

目の前の人がちょうど丸見えの位置でSNSに連投していて、入場の際にアプリに不具合があったこと、それでももうすぐ生モリに会えること、『Sweet And Tender Hooligan』が聴きたい!etc.etc. うんうんと(心のなかで)頷いていると、横の男が喋り始めた。「大学生のときリアルタイムで~、『The Queen Is Dead』ってアルバムがね、当時はCDもなくて貸しレコード屋で~」、うんうん、おぬし、同世代だね。ところがそいつ、生返事っぽい連れに「映画は観た? あれは観ないとダメだよ。検索してあげよう」と、老害しぐさをカマし始めた。やー、もー、余計なお世話~。いいよ、眼鏡ずらしてまで検索しなくても(ちなみにSNS連投の人も投稿を終えると眼鏡をかけ直していた。遠くを見るための近視眼鏡かけるとお手元がボヤけるお年頃だよねー、わかります)。

このおしゃべりな人のそばで観るのイヤかも、と思ったとき、映像タイムが始まって、集団がぐわっと動いた。2列目フェンス後方で様子を見ていた一部の人たちが前のエリアに移動しようとしているらしい。人の波に乗って、そのまま自分も移動。

40分の上映タイム

最初に流れたのは、青空がやたらときれいな映画の戦闘シーンと高揚感を煽る音楽(『地獄の黙示録』?というのはなんとなくわかったが、曲は知らない)。会場は沸きまくっていたが、戦争映画が苦手なので、テンションが下がり始める。で、頭に浮かんだのが、わたしはもしかしたらモリッシーへの積年の思いにケリをつけにきたのではないか?ということ。若い頃は、Meat Is Murderと言われれば食生活を省みたが、残りの人生、美味しくて健康にいいものを食べて生きたい。

モリッシーセレクトの映像と音楽が続く。何十年ぶりかで聴く懐かしいパンク、まさかのジグジグスパトニック、後で曲名を調べようと思う曲、よくわからない曲、そしてシネイド・オコナーの『Nothing Compares 2 U』のミュージックビデオが映し出されたとき、涙腺が崩壊した。亡くなったときの、モリッシーの追悼の言葉が去来する(細かく覚えていたわけではないが)。会場からも拍手が起こり、期待感が高まる。
が、まだまだモリッシーもバンドも姿を見せない。焦れたような空気が広がり、「まだ?」「早く!」という声が聞こえる。ここからですよ、この前置きがびっくりするほど長いんですよ(そのときは、平常運転でしょ?と思ったけど、ドタキャンを案じた客も多かったらしい。最近、ほとんど歌わずに喋ってばかりのコンサートも話題になっていましたしね)。

正確な順番は覚えていないが、ドラァグクイーンの映像があって、そして、ジェイムズ・ボールドウィン! きた、来る!

ちょうどマイクが見える!

ついに! モリッシー登場!

その瞬間まで、人と人の隙間にスタンドマイクが見える位置にいた。しかし、くわえタバコのモリッシーの姿が見えた瞬間、モッシュっていうんでしょうか、押し合いへし合いが始まって、あっという間にモリッシーが視界から消えた
やばい。ライブ慣れしていない、(本来の定義の)初老をとっくに越えた自分、ここで倒れたらシャレにならない。低身長だし、筋肉ないし、骨だってもろく折れやすくなっているお年頃だから、本気で怖い。生命の危機を感じて、ギブ!ギブアップ!というテイで、中央から脇に脱出を図った。完全に抜けて後方にまわろうとしたが、抜けるのも容易ではない。とりあえず真ん中の渦みたいなところを避けて、スペースを確保することに成功した。
背負ってはご迷惑だろうと前に抱えたリュックがプロテクターの役割を果たし、後ろから押されても前の人との間に挟まれることなく呼吸ができる。長めのストールのようなものを巻いていたのだが(汗と涙を拭くため)、巻き込まれたら首が絞まるかもしれないとあえて結ばないようにする。スマホを取り出す余地もなかった

セットリストもレポートも親切な人がとっくに上げてくれているし、個人的な感想しか書けない(書かない)が、1曲1曲、リリースされた当時のことが甦ってくる。
『Suedehead』『Alma Matters』『Our Frank』ときて、The Smithsの『Stop Me』『How Soon Is Now?』。感情も体も揺さぶられて忙しい。ところどころ涙を拭った記憶はあるけど、それがどこだったのかは思い出せない。
これも皆さんが書いていらっしゃることだが、モリッシー(64歳)、本当に衰えてないんですよ。こんなに歌が”うまい”人だったっけ?と思うほど。だから、引きこまれてしまうし、存分に酔いしれることができる。

だがしかし、隣にいたお兄さんが熱い(そして声の通る)タイプで、「モリッシー愛してる、ゾッ!」と独特な語尾で叫ぶのである。いや、いいんだ、気持ちはわかる。でもさ、こっちも必死でMC聞き取ってるんだから「何言ってるかわかんねー」とか「英語わかんねー」とか口に出すのはやめてくださらないかしら? いや、いかん、そんなことに気を取られている場合ではない。わたしは流れに乗って、じりじりと前進、かつ、「愛してる、ゾ!」ニキから離れる挑戦を開始した。

『Girlfriend in a Coma』からの『Irish Blood, English Heart』、『Let Me Kiss You』、最高じゃないですか。忙しい。もう夢中。みんな大合唱。
トドメは『Please, Please, Please Let Me Get What I Want』、このとき、微妙にポジションチェンジに成功したわたしの横には、まさかのモリッシーライブでイチャつく、そこそこ若い男女カップルがいた。背の高い男子が小柄な女子をバックハグ、耳元に「プリーズ、プリーズ、プリーズ」と歌いかけているのだが、残念なことにやや音痴(悲劇)。ヤメロ、オレはお前の歌を聴きにきたんじゃない、モリッシーの声が聴きたいんだ! おおげさに耳を押さえて視線を送ってみると、驚いたのか、こっちに「プリーズ」を一節送ってきた。ぎゃー。

さらに、じりじりと前進をはかる。モリッシーの姿はほとんど見えない。たまにこちらサイドで前列のファンに手を差し伸べている様子が目に飛び込んでくる。夢中で手を伸ばすけれど、触れそうで触れない。毎回、そう。近そうで遠い。
ここで、『Everyday Is Like Sunday』、いちばん好きな曲のうちのひとつ(いちばんが何曲もある)。このとき、わたしの横にテコでも動かない真顔の録画野郎が立ちはだかった。前方と逆隣には高身長なメンズの壁。姿を追うのは諦めて、目を閉じた。この瞬間、生の声は今しか聴けない。モリッシーの歌声を耳に刻もう。心眼を開く境地で集中する。
冷静に考えると、「come, nuclear bomb」って不謹慎な歌詞だなと思うのだが、当時のわたしは本当にこの歌に救われてきたんだよな、それは否定のしようがない。

最後は『Jack the Ripper』、アンコールに『Sweet and Tender Hooligan』。さっきSNS投稿してたお兄さん、よかったね、願いが叶ったね! 残る体力をふりしぼって、思い切り飛び跳ねた。そういえば、ところどころ歌ったけど、あまり叫んでいなかった。
ファンも高齢化が進んでいるんだから次回は椅子のあるホールがいいなとも思うけれど、やはりスタンディングで観たい気もする。どうせ椅子蹴倒して前に行こうとしちゃうんだしね(いまでもときどき、センチュリーホールの椅子は大丈夫だったんだろうかと心配になる。できたばかりのきれいなホールがめちゃくちゃだった)。いつか死ぬまでに『There Is A Light That Never Goes Out』が聴きたい。死んだら、グラジオラスを供えてほしい。この日もグラジオラスを手にしたファンが何人もいて、胸熱でしたよ。
モリッシーとバンドがステージを去った後、スクリーンに流れていたのはジャン・コクトーの『詩人の血』かな。

事後。とろろ昆布みたいなセットと表現している方がいらしたけど、どっちかっていうと、おぼろ昆布。

72時間後

3日たって、誰かが上げてくれた映像を繰り返し観ている(そういうのが著作権的にどうなのかはわからないけど)。
前に、保護猫関連で、「子猫時代のかわいい写真がほしいと思うかもしれませんが、検索すれば似たような猫の写真がいっぱい見つかります。ぜひ成猫を迎え入れてください」という書き込みに、なるほどなーと頷いたことがあって、今回、自分で撮らなくても誰かが上げてくれると判断したのは正解だった。ただ、こうして俯瞰、とは言わないか、ひいた位置で正面から撮った映像で観るのと、その場で五感で受け止めるのとでは全然違う。
でも、映像で観てわかることもいっぱいあって(なにしろステージ全体はほとんど見えていなかったから。こんな演出だったんだなとか、マイクコード振りまわしていたのかとか、タバコ耳に挟んでる!とか、バンドかっこいいなとか)、それはそれでおもしろい。

さて。特にオチはないのだが、わたしはやっぱりモリッシーがすごく好きで、ずっと好きだった答え合わせをしているような感覚だった。そして、それは過去形ではなくて、現在であり、未来であるという確信。最近の彼の主義主張をすべて肯定するわけではない(正確には、善悪を論じられるほど追っていない)けれど、ライブでの発言や使っている映像などを見ると、誤解されている部分も多いんじゃないかなという気がする(今のモリッシーはムッキムキだし、お金持ちだろうし、強者にも見えるのですが、彼がチョイスしているのは弱いもの、少数者、クイアなものが多い。オスカー・ワイルドの写真は素敵だったし、ジョージ・マイケルも使われてましたよね? 今回もガートルード・スタインありました) このまま、an old person with thorn in my sideでいく覚悟ができました。

レコードとかもどこかにいっぱいあるけど、とりあえずライブ前にひっぱりだしたTシャツ(の一部)と今回買ったもの。

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