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『アニース』の文通欄

実際に『アニース』の文通欄がどんなふうだったかというと、実際の掲載メッセージをお見せできればおもしろいとは思うのですが、個人情報にはあたらないとしてもご本人がご覧になったらどう思われるかわからないので、使い方を説明するページをご紹介します。※例によってスキャンや加工が適当なのはご容赦ください。住所は当時の編集部のものですが、現在は別の会社が入っていると思いますので、消しました。

1997年4月発行の『アニース』(テラ出版)1997春号からの引用です。

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掲載希望者は原稿用紙に記入して、郵送で送ります。掲載は無料ですが、読者サービスなので、原稿用紙はコピー不可で1人1通が原則。
届いた原稿は編集部で入力し、転送用に住所氏名もデータ化しておきます。

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掲載されたメッセージにコンタクトするには、その号ついている転送シールを切り取り、何番の◎さんに送りたいか書き込んで、転送希望の封筒に仮止めします。相手に送るための切手1枚と、編集部の手数料としてもう1枚、それらをひとまわり大きい封筒に入れて、編集部に送ります。

編集部の手順は以下のとおり。封筒に宛て名シールを貼って、掲載者に転送します。

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いやもうめっちゃめんどくさい&まわりくどい! 今だったらアプリでピッ!と出会えるのに、当時は、雑誌買う→手間とコストかけて手紙を転送→返事を待つ、で1カ月とか待たされる。しかも、待っても返事が来ないこともあるし、返事が来たとしても気の合う相手と巡りあえるとは限らない。自分からメッセージを掲載しても1通もエントリーがないこともあるし、どっさり来ても好みの相手はひとりもいないかもしれない。『アニース』の場合は季刊だったので、掲載も転送もチャンスはたった年4回……。

また、利用方法がわかりづらいという声も多く、ここまで図説した上、さらに見開きで「通信欄を100倍楽しむ方法」なる記事まで掲載。文体やイラストが時代を感じさせますが、ちょっと内容をピックアップしてみましょう(元の文章はわたしが書いたものです。一部、わかりやすくリライトしています)。
*通信欄は貴重な出会いの手段。アニース2号恋愛特集の「恋人探しの方法は?」というアンケートでは、堂々の第1位に!
*「写真入りの方、返確」(注:返事確実。文通欄は文字数に制限があるため、さまざまな略語が用いられた)と載せたからには、どんなに好みじゃない宇宙人のような女から手紙が来たとしても、「ごめんなさい」と返事を出すのが礼儀。
*特定のタイプからしか手紙がほしくない場合。「テレパシーが使える人」「餅つき名人限定」(注:これらの例は特殊な隠語ではなく一般的な例え話です)などなど、はっきりきっぱり条件を押し出せばよろしい。
*嘘はいけないけど、あえて「バケモノのようです」とか、卑屈なことを書く必要もない。

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このような細かいシステム、ノウハウは『LABRYS』や『フリーネ』を経て、構築されていったもの。『アニース』で掲載件数がもっとも多かったのは1997年冬号の524件で、1997年夏号も表紙に「470件」と記載されています。もっと部数の多かったゲイ雑誌『バディ』は全盛期だと1000件を超えていたのではないでしょうか。

編集部側の事情としては、掲載するメッセージや転送住所の入力作業も大変でしたし、転送作業もかなりの手間でした。また、〆切までに届いた掲載希望のメッセージはすべて掲載していたため、件数が毎回変わり、ページ数が確定できない、という問題点も。↑のように使い方説明にページを割いたのは予定よりページが余った、という事情もありました。別の号(1997年夏号)の説明は1ページでこんな感じ↓ 件数が増えるのはありがたかったのですが、ページが増えれば印刷コストがかさむ、というジレンマも。

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恋人や友だちを募集中ではない読者からも、文通欄は人気がありました。それは生の声が聞こえる、ということと、日本全国(海外も!)に読者がいる、という証だったから。振り返ってみると、大変な時代だったなぁと思う反面、風情があったなとも思います。わたし自身も『月光』などの雑誌の文通欄を使ったことがありますが、運命の相手を探して(笑)掲載されたメッセージをがっつり読み込み、すごく気合を入れて手紙を書きました。文通欄を通じて貴重な友人もできましたし(恋人はできなかった)、文通がきっかけで何十年も連れ添っているカップルも知っています。願わくば、20年以上前に『アニース』の文通欄を活用してくれた方々が今、幸せな日々を送っていますようにー!

※念のためですが、画像/文章の転用はおやめください。何かありましたらコメントかメッセージお願いします。

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