牧 透

読書と散歩と酒と演歌と数独の好きなオヤジです。

牧 透

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最近の記事

【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第6回)

 揃い踏みの常連客が店を満たしていた。 「それで、アイちゃんの様子はどうなのさ」 「変わらないわ、あの時のまま」 「あれ以上ボケが進んでないってことかい」 「まぁ…」 「まぁじゃ分からないよ」  客たちが道江に詰め寄った。道江は観念して、 「もうお店には来られないと思う。あっちもだいぶ進んだし、泣いてばかりいた」  と、それだけをやっと言った。  一つため息をついてから、道江は目の前に並んだ小松菜の小鉢に順に削り節を散らした。それを政弘が盆に載せて、小上がりの方の客へ運んだ。

    • 【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第5回)

       アイちゃんは一人暮らしを整理して養護老人ホームに入っていた。施設はそれまで住んでいた町から川を遡った遥か山里にあった。そこまでバスで二十分ほどかかった。県都の喧騒を離れた静かなその場所は老人にとって淋しさが募るばかりではないかと、道江は建物に入ってから何となく入所している老人たちを見て思った。  アイちゃんは、施設でも〝アイちゃん〟と呼ばれていた。入所した時、出迎えた施設の一人が第一声にそう呼んだからだった。アイちゃんはやっぱりここでも〝アイちゃん〟だった。   面会ができ

      • 【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第4回)

         店が忙しくても暇でも、政弘と道江は夜十時を過ぎれば店を閉めて二階に上がって夫婦団欒を過ごす。時々、政弘は客と飲みに出たりもした。それでも忙しかった晩は気分が乗るのか、政弘は道江を抱くのを好んだ。  朝、政弘は市場へ出るか、昼近くまで寝ているかしている。道江は日課にしている散歩に出る。  朝の川風は気持ちがいい。道江は土手の道を歩いていた。ふと遥か彼方に霞のかかる山波を仰いで深呼吸をした。すると、その吐く息に昨夜の残り香が感じられた。それはわれ知らずに政弘の太い腕をつかんだ時

        • 【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第3回)

           居酒屋月ノ川は午後四時に暖簾を出す。雪道の轍が消えて足もとが軽くなり始めた頃になると、暇を持て余した老人客が早くからやって来る。彼らは昼寝をしてから散歩に出て来ると、ちょうどそんな時間に繁華街にたどり着くのだ。  助さん格さんがやって来て、そのすぐ後に白髭の黄門様がやって来る。三人は現役時代の仕事仲間で、いつからともなく早い時間にやって来るようになって、帰るのも早く小一時間で揃って帰ってゆく。  早い時間から開いてるのを知った客がちらほら増えて、店には会社に戻らないで直行し

        【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第6回)

          【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第ニ回)

           昼間の大雪がすっかり小路を埋め尽くしていた。店がそれぞれに雪を掻いてわずかばかりの入り口を作って客を待っていた。居酒屋月ノ川の軒先にも赤い提灯の灯りが雪を照らしていた。  そんな暖簾を掛けたばかりのまだ客足のない夕刻、若い女性が一人で店に入って来た。 「すごい雪でしたね」  明るい初々しい声であった。  雪は開店まぎわに止んでいて、その安堵した喜びがしぜんと挨拶代わりになっていた。 「いらっしゃい」  仕上げたお通し用の小鉢を一揃え調理台に並べていた女将の道江が、女

          【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第ニ回)

          【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第一回)

           店の引き戸の向こうで車のドアの閉まる音がした。同時に曇りガラスに真っ赤な人影が映った。入ってきたのは大きな角巻を羽織った老女、アイちゃんであった。 「よろしくお願いします」  介添えしたタクシーの運転手が制帽のツバをつまみながらカウンターの方へ愛想たっぷりな会釈を送った。 「いつもご苦労様」  居酒屋月ノ川の女将今田道江の張りのある応えが返った。すると、七人ほどが座れるカウンターにいる四人の客たちが立ち上がって「いらっしゃぁい」と大声で唱和した。  アイちゃんは勝手知ったる

          【連載小説】アイちゃんがいた居酒屋(第一回)

          世界は僕を知らない

          以下、つぶやき 戦争が終わらない。芸術もスポーツも国境を越えられないでいる。 世界に平和はやって来ないでいる。何よりもこの地球が危ないというのに。 いくら歴史を学んでも歴史は同じことを繰り返してばかりいる。だから思う。歴史に学ぶより本来あるべき姿が何であるのかを考えることから始めることが大事だろうと。 歴史は過去のプロセスでしかない。今あるのは、犠牲を越えられない戦いでしかない。そんな歴史はもうコリギリだ。 本をパラパラとめくっただけで全部覚えてしまう秀才やスプーン

          世界は僕を知らない

          告白通りの宣言角へ

          好きな通り道がある。そして、その通りの名を小さな事件から自分勝手に「告白通り」と名づけ、その通りの一つの街角にも「宣言角」と名づけた。日に一度は通り抜けて行く。 小都市の街なか、その通りは僕が生きていくのにけつこう便利な通り道になってきた。車が混み合うということもないし、どこへ行くにも思いがけなく近道だったりもする。だから今の僕にとって、その通りは一度でも通らなければ何もできなくなるくらい好きな通り道になった。 でも、何を告白して、何を宣言したかははっきりとは言えない。言

          告白通りの宣言角へ

          私の仕事人生(下)

           大学浪人がジャズ喫茶のマスターに勧められて三流週刊誌のデーターマンをした。キャバレー、トルコ、ストリップ、バー、居酒屋などをまわってアンケート程度の取材をしてくるのだった。どこへ行って遊んでも仕事になった。不思議と怖い目に合わず、大したアルバイト料でなかったが面白いように稼いだ。そして恋をして、そんな世界から足を洗った。  今思えば、昔から型どることが得意だった。通信簿の図工はずっと5だった。何のことはない。喘息で寝込んでばかりいたから、寝床で絵ばかり描いていたのだ。そんな

          私の仕事人生(下)

          私の仕事人生(中)

           慣れない土地へ来て初めて車の免許を取り、どこへもくまなく駆けまわりました。方言の珍しさは私の考え方を変え、心をどんどん豊かにしていきました。幸いその土地のタウン誌を発行する小さな会社に勤めることができました。  しかし地元の生まれでない自分に社長はタウン誌以外の編集の仕事をしないかと言ってきました。社長は地元では顔の知られた人脈の広い人でした。様々な所から新しい仕事を取ってきました。役所や団体、企業など次から次へと機関紙やPR誌などの仕事を私に与えました。女性の助手を一人付

          私の仕事人生(中)

          私の仕事人生(上)

           私の今の仕事は自由業です。何でもするわけではありませんが、会社を辞めてからはそれまでの主に編集の仕事をフリーでしています。と言っても、後期高齢者になると同時に、依頼者側が倒産したり亡くなったりして、今は定期的な仕事は一つだけになりました。しかし、そこには自分の連載執筆の企画もあるので、それをゆっくり余裕を持って書けるようになり、今では楽しみの一つになっています。  書く仕事は学生時代に他人の卒論を書くアルバイトをしたのがきっかけでした。おかげで自分は一年遅れて卒業しました。

          私の仕事人生(上)

          「抱擁」日野啓三

           蔦に囲われた大きな屋敷にまつわる怪しい人々の交情を濃密な文体で綴った純文学である。村上春樹の長編を読んでいて少々食傷気味になっていたところ、本の整理をしていて出て来た読み差しの古い本であった。初版は1982年2月、内向の文学に新しい視点で取り組み高い評価を得た活字文化がまだ健在な時代の芥川賞作家の作品である。  物語は、樹木が鬱蒼と繁る世間と隔離した邸宅が並ぶ都心の高級住宅街が舞台。その内の大きな敷地の一軒の屋敷を高台から見下ろしていた主人公が不動産屋の男に仕掛けられたよう

          「抱擁」日野啓三

          JAZZきちのつぶやき

           東京、横浜、京都のジャズ喫茶のマッチ箱。ためたわけでなくたまたま手許に残ったもの。どれもマッチ棒はなく中の箱も抜かれたままのものが多い。せめて額にして飾ろうと100均で額縁と透明シートを買い作って壁に掛けた。  それにしても正方形の額縁にどうしてこうも何通りかの小さな四角形が綺麗に収まったのだろう。黄金分割っていうのがあるけれど、まさか分かって並べたわけでないので不思議だ。  半世紀を経た遺物、我が青春の証か形見か、時折眺めては遠く若かりし頃の夢遊病者のように放浪した自分を

          JAZZきちのつぶやき

          編集ブランコ6-仕事の恩人

           恩師は学校の先生ばかりではない。仕事の恩師もいる。こちらは一生の糧を得るためだから恩人と言える。  僕は大学受験に失敗して家を飛び出し、18歳で版下屋という仕事に就いた。印刷機にかける刷版の元の台紙を作る仕事だ。割付どおりに台紙に図版を描いて活字の写植を貼り付ける。フィニッシュ・アートとも言った。その仕事の上司が僕の恩人である。その人と出会っていなければ、今日の僕はなかったと思う。  名前はスガワラさんとしか覚えていない。しかし、風貌はしっかり記憶にある。歳は55歳位だっ

          編集ブランコ6-仕事の恩人

          編集ブランコ5-ブック・モチベーション

           「声に出して読みたくなる日本語」という本に対抗して、「黙読のススメ」なんて考えてみたことがあった。声に出さないのだから、けっこう適当な読み方をしてしまうのを戒めたい気持ちからだった。また、昔よく声を出して勉強をし東大法学部に合格した兄に対するコンプレックスの様なものが働いていたのかもしれない。どうあれ、読書は孤独な作業で、僕のような弱虫には一番の慰めなのである。  とりあえず「黙読のススメ」なる本のプロットを考えることとした。しかし、妻は「お金になることからやりなさい」とし

          編集ブランコ5-ブック・モチベーション

          編集ブランコ4-”書き屋” という病気

           かの出版社の社長室。呼ばれて入ると、いきなり「君は今日から社長室長だ。給料は変わらない、いいか」と、社長が山積みの本のデスクの向こうからゴルフ焼けした赤黒い首だけをのぞかせて、いつもの命令口調で言った。  僕は、ほんの二、三日前に大きな誤植を指摘されてひどく怒られたばかりだった。もちろん、そのゲラは目の前で破られ、僕は再び印刷所に清刷を頼まなければならなかった。だからまた誤植があったのかと思い、緊張して社長室を訪ねたのだった。  「社長室長って、何をすればいいんですか」、堅

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