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私の仕事人生(上)

 私の今の仕事は自由業です。何でもするわけではありませんが、会社を辞めてからはそれまでの主に編集の仕事をフリーでしています。と言っても、後期高齢者になると同時に、依頼者側が倒産したり亡くなったりして、今は定期的な仕事は一つだけになりました。しかし、そこには自分の連載執筆の企画もあるので、それをゆっくり余裕を持って書けるようになり、今では楽しみの一つになっています。
 書く仕事は学生時代に他人の卒論を書くアルバイトをしたのがきっかけでした。おかげで自分は一年遅れて卒業しました。他に新聞社や雑誌社のデータマンの仕事が演劇サークルの先輩から回ってきたりしてメディアや印刷業界の世界を少しは知ることができました。
 そんな中、私はある上司から会社を辞める時には職種を変えずに同じような仕事の世界を歩くように言われました。そのことは私にとって迷いのない仕事選びができるようにしてくれて、その後の人生を決定づけました。
 当時は高度経済成長期でもあり、社会もいい時代でした。どんな小さな会社でも3ヶ月間の試用期間を過ぎればちゃんと社会保険が完備され、普通に正社員になれました。そういうことが法律できちんと決められていました。国民が等しく豊かになれるような政治も行われ、大人になれば普通に幸せになれる時代でした。
 職場を転々としながらも出会った人達は皆いい人でした。それは技術のレベルを上げる大きな力になっていました。「仕事はするな片付けろ」は最も印象に残った言葉です。整理整頓、スピード、完璧などの言葉もありました。やればやるほど自信が生まれ、仕事はおもしろく感じられるようになっていきました。同時に収入も増えていきました。職場も街も家も、どこへ行っても素直に振る舞える自分が大好きでした。
 勿論、いいことばかりではありませんでした。仲間を失ったこともあります。事件事故に遭いそうになったこともあります。耐えられない病気に苦しんだこともあります。いろんな嫌なことが起こりました。
 中でも仕事仲間を失ったことは、都会を捨てる結果になり、今でも後悔していることの一つです。それはもちろん自分が悪かったことで、仕事を離れた場所での仲間とのことも仕事同様に誠実でなければならないことを心底思い知らされた悔いの残る失敗でした。
 しかし、そのことは私に過去は変えられるということを教えました。北の小都市に移り住み、そこは思いがけず私の未来の地でした。悲しい決心がこんなにも優しく包み込む豊かな自然と、またそこで全く違う言語で生きる素朴な人々の暮らしがありました。私の全てを浄化する力が漲っていました。
(つづく)

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