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告白通りの宣言角へ

好きな通り道がある。そして、その通りの名を小さな事件から自分勝手に「告白通り」と名づけ、その通りの一つの街角にも「宣言角」と名づけた。日に一度は通り抜けて行く。

小都市の街なか、その通りは僕が生きていくのにけつこう便利な通り道になってきた。車が混み合うということもないし、どこへ行くにも思いがけなく近道だったりもする。だから今の僕にとって、その通りは一度でも通らなければ何もできなくなるくらい好きな通り道になった。

でも、何を告白して、何を宣言したかははっきりとは言えない。言えないけれど、山形へ来て十一年少したって、いろんな想いがあって小さな事件がおこった。事件といっても嫌な事件じゃない。でなければ、好きにもならない。通りたくもない通りになる。事件は誰も知らないし、誰にもふりかからなかった。

ただ僕をひどく決意させた瞬間があった。車に乗って通りすぎて行く僕が風になった。そんな瞬間だ。信号無視をしたわけじゃない。もし僕が風だったなら、風に心があったなら、僕の心がとても熱かった瞬間で、二度と忘れられない精神の高揚をおぼえたということだろう。

四十年生きて、山形へ来て十一年たって、今僕は少し興奮している。その時の流れを、僕は風となって感じたという瞬間だったのだろう。

それ以来、そのあたりだけが僕にとっては何となくあたたかそうなのだ。宣言角で日なたぼっこなんかしたら、ほんとに大好きなのら猫になってしまうかもしれない。いや、ほんとにのら猫になりたいのかもしれない。さまざまな事柄からとき放たれて、人生と呼ばない生き方をしたいのかもしれない。

でも僕は告白通りの宣言角のあったかさを知ったんだ。いつでも感じたいし、いつまでもじっと感じていたいと思う。たとえのら猫になっても、そこへ帰ってくると思う。のら猫って、風みたいな生き方してると思う。

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