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編集ブランコ6-仕事の恩人

 恩師は学校の先生ばかりではない。仕事の恩師もいる。こちらは一生の糧を得るためだから恩人と言える。
 僕は大学受験に失敗して家を飛び出し、18歳で版下屋という仕事に就いた。印刷機にかける刷版の元の台紙を作る仕事だ。割付どおりに台紙に図版を描いて活字の写植を貼り付ける。フィニッシュ・アートとも言った。その仕事の上司が僕の恩人である。その人と出会っていなければ、今日の僕はなかったと思う。
 名前はスガワラさんとしか覚えていない。しかし、風貌はしっかり記憶にある。歳は55歳位だったかと思う。背が高く、痩せていた。いつも腫れぼったい顔をしていて、色黒なのに藁半紙のように飄々としていた。声は少ししゃがれて低く、考え事を呟くようにしか手短なことしか言わない。だからその一言一言が心に残った。動作は緩慢に見えるのに、仕事を終わらせるのが神懸かり的に速かった。
 「同じことは二度やるな」「一番初めに思いついたことだけやれ、考え直しても今度にしとけ」「言われたらその通りだけしかやるな」「教わるより発見しろ。技術なんて見つけるものしかない」そんなこんな言われる一方、「俺には盗めるものなんかない。他所へ行って盗んで来い!」「残業になるような仕事の仕方は頭の悪い人間のする仕事だ。仕事なんかするな。朝来たら目の前のものを片付けることだけを考えろ!」と言い、酒が入ると「酒も煙草も賭け事も女もやらねぇ奴は男じゃない」というのが口癖であった。風狂でいて、ビシッビシッと一徹な堅物のような言葉を返してくる。そんな言葉の一つ一つが見つけた技術を前へ前へと押しやってくれたのだと思う。
 彼の仕事場の机上はいつもきれいさっぱりとしていた。無駄がないのとは違い、そこには正体がないのだ。さっきまで彼がそこで仕事をしていたという気配がすっかり消えているのだ。超人的な技術も数知れなかった。細い表罫も引き筆で描いた。正円ならばフリーハンドで描いた。レタリングも明朝体だろうとゴシック体だろうと大小に関わらず素早かった。
 一つの作業を終えると、机上には何一つなくなる。僕が定規を縦に置いていたら、「定規は横にしか使わない。縦の線を引く時は三角定規をあてろ」と、定規を横に引き出しの一番手前に押し込まれた。メモ書きを机の上にセロテープで貼っておいたら、「財布に入れておけ」と、彼の財布のメモの夥しい束を見せ付けられた。
 スガワラさんは毎日遅刻してやって来た。タイムレコーダーの棚にカードはなく、来るのも帰るのも仕事次第で、始めれば昼休みも取らないで続けていた。外食から戻ると、すでに帰っていて姿がないこともあった。
 そんな彼が社内で正確にはどんな立場にあるのか、誰も分からなかった。分からなくても彼が仕切れば仕事はちゃんとおさまった。僕が勤め始めてやっと一年ほどがたった頃からのこと。ある大手の代理店からの仕事が一つ二つとなくなっていった。スガワラさんは毎日、定規や烏口など道具をみがいてばかりいた。僕は総務や営業などの使い走りが多くなり、会社を出たり入ったりしていた。
 そしてある日、スガワラさんに裏通りの飲み屋で、 「おまえ、もう会社やめろ」と突然言われた。何か大きなミスをしたのだろうかと初めは思った。しかし、それは彼の僕への思いやりであった。 「もうおまえのやる仕事は会社にはない。だから今のうちに次の会社に行け」その“次の会社”という言い方には「俺から覚えたことを無駄にするな」という意味だった。僕は彼からまだ何も教わっていないような気がした。「引き筆で、まだ裏罫も引けません」 そう僕は言って彼にまだ沢山学びたい気持ちを伝えた。 しかし、スガワラさんは、 「未練がましい酒はまずくなるじゃないか」と言ったきり煙草ばかりを吹かしていた。
 僕は三日ほどして辞表を出した。誰も止める者はなかった。やっとスガワラさんが笑顔を向けてくれた。「頑張れよ」と言ってくれているように見えた。僕は黙って頭を下げ会社を後にした。
 それからの僕はすっかり自分がスガワラさんになってしまっているような気がした。もちろん技術的なことではなくて、彼のいろんな癖みたいなものが、僕に染み付いているのだった。それらは些細なことが多かった。土産物などは包み紙も紐もしっかり折って束ねてからでないと中身を開けられない。目の前に並んだ料理も酒を飲みながら一品ずつ器を下げていくようにしなければ食べられない。一度決めたゴミ箱の場所は二度と変えられない。数えたら切りがないほど、僕にはすっかりスガワラさんが乗り移っていた。
 あれから、いくつも会社を僕は渡り歩いた。 小さな会社ばかりだから、一カ所では一つのことしか覚えられない。スガワラさんの言いたかったことが、いくつも会社を歩いて一つずつ技術を身につけていくうち、よくわかった。 無駄にしないということはつなげていくということ。職場は変わっても職種を変えないで、同じ世界で生きていくこと。そういう生き方をスガワラさんから僕は学んだ。 そして、今がある。

#あの選択をしたから

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