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私の仕事人生(中)

 慣れない土地へ来て初めて車の免許を取り、どこへもくまなく駆けまわりました。方言の珍しさは私の考え方を変え、心をどんどん豊かにしていきました。幸いその土地のタウン誌を発行する小さな会社に勤めることができました。
 しかし地元の生まれでない自分に社長はタウン誌以外の編集の仕事をしないかと言ってきました。社長は地元では顔の知られた人脈の広い人でした。様々な所から新しい仕事を取ってきました。役所や団体、企業など次から次へと機関紙やPR誌などの仕事を私に与えました。女性の助手を一人付けてもくれましたが、「君は経験豊かなはずだ。困った時は言ってきたまえ」と言い、仕事が始まれば全てを私に任せました。収支についても利益の分岐点の時期を決め、企画を取材、執筆、編集、そして納品、集金まで一切を一人でしなければなりませんでした。
 と言っても、やはり成功ばかりであるはずがありません。スケジュールの間違え、納期遅れ、誤植、赤字などは一通り経験しました。
 とくに著者の肩書を間違えた時のことは忘れられません。「もちろん全部刷り直す。まずは自宅へ行って謝って来い!駆けつけて来たという事実を作るんだ。責任者をよこせと言われたら電話をよこせ。すぐ私が行く」。先方は県外へ出て不在であった。行き先を聞き、私は即車を走らせようとした。「死んでるはずがないなら世界のどこかにいる」そんなふうに社長は言ったことがあったからだ。しかし降り頻る雪の中、夜の峠を越えるのは危険だった。私は社長宅へ戻り報告した。そして翌日、東京から社長宅へ電話が入った。その結果に私は安堵した。しかし社長は間違えた奥付1ページのために2000冊を刷り変えた。私はボーナスをカットされたが、挫ける気も起きないまま同時進行の仕事に専念した。

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