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編集ブランコ5-ブック・モチベーション

 「声に出して読みたくなる日本語」という本に対抗して、「黙読のススメ」なんて考えてみたことがあった。声に出さないのだから、けっこう適当な読み方をしてしまうのを戒めたい気持ちからだった。また、昔よく声を出して勉強をし東大法学部に合格した兄に対するコンプレックスの様なものが働いていたのかもしれない。どうあれ、読書は孤独な作業で、僕のような弱虫には一番の慰めなのである。
 とりあえず「黙読のススメ」なる本のプロットを考えることとした。しかし、妻は「お金になることからやりなさい」としきりに言うので、敢えなく頓挫。というのも、その頃、定期的に本の紹介文を書く仕事が入って、「あなたにピッタリね」なんておだてられ、しゃにむに仕事を引き受けた。
 ところが、である。200ページ以上に及ぶ本を何冊も読み、締め切りに間に合うように書き上げるのは、さすがにハードであった。もちろん、仕事だから飛ばして「適当に読む」ということは出来ない。そこでしっかりと読んではいたものの、締め切りの壁は分厚く立ちはだかり、筆は思うように進まなくなるのだった。

 「火事場の馬鹿力」は女だけのものだろうか。妻はそれに滅法強い。先頃も年齢ぎりぎりで何かの国家試験にパスした。こちらはいつだって野次馬根性の方がお似合いなもんだから、合格とか受賞とか資格とかには縁もゆかりもないくらい程遠い話で、いつだって指をくわえて眺めているしかないのだ。
 しかし、こんな僕だって、自分に困ればアイデアが誰よりも泉のごとく湧き出るのである。そう思っている。
 ふだん僕は新聞の批評やエッセイを読む時に、自分なりに見出しを変えたり、大きな段落に天声人語とは逆さまの三角マークを入れてプロットに分けたりして読んでいる。プロット分けは接頭語や語尾でほぼキーワードが拾え、おおまかな趣旨が読み取れる。プロットには小見出しを付けてみる。これがけっこう楽しい。

 この方法を書籍の読書にも応用した。すると、いつからともなく眼力(めぢから)で読んでいるという不思議な技を身につけた。口で読まないで目で読むのだ。記憶より印象が大事なのだ。これを僕は「印象の絶対化」と勝手に呼んでいる。さらに大事なのが、何が書いてあるかより、その本から何を知りたいのか、それがどう自分の悩みや疑問を解決してくれるのか、ということを意識的に持って読むことだ。仕事だから本は自分で選べないが、本屋さんで探したり広告を見て買ったりした本は、その本を手にした動機(思い)を解決(満たす)する読み方がベストだ。このブック・モチベーションを身につけるためには、好きなことだけでない事柄にも強い興味を抱き挑む楽しみを感じることだ。政治とか自然科学とか、芸能とか。本は文学や社会科学だけのもではないし、そこには夢のような奇跡が詰め込めれている。その奇跡に出会うために、誰だって本を手にするのだろうと思う。その気持ちは、やっぱり満たされたいのだ。だったら、初めからそのつもりで読み始めよう。そこに、ちょっと自分なりのテクニックを添えて。楽しくないと中身も見えないし、楽しくするために自分なりのアイデアで挑んでみる。それが僕の場合、逆さまの三角だったり独りごちた小見出しだったりする。

 本は作者や出版社だけのものではない。読者あっての本だ。全部分かる必要もないし、もっと自分なりの読み方があってもいいと思う。もう一つ、自分なりにタイトルを付けて読み終わりたい。

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