Mai-kou

Designer/G/SHIROKUMA https://twitter.com/sg…

最近の記事

邂逅の先へ

先日、映像作家、諸沢利彦さんと念願叶って数年越しに初対面させていただく機会に恵まれた。 諸沢さんは、自分が中学生の頃から憧憬する80年代のアンダーグラウンドシーンに始まり、名だたるアーティストの生き様や、その時代その時代のリアルを捉えて来られた方。そんな方に面と向かってお話を伺える機会ということで、久々に心が躍った。 有難いことに諸沢さんは、5年前に自分が執筆した文章「笑いとばすことができなくて、なにがパンクだと思います」で自分のことを知ってくださり、以降全ての活動を見て

    • 青春の墓場

      単刀直入に言って、やり切った。今持ち得る力は余すことなく全て出し切った。そう、今年はやり切った年だと思う。 今年最後の自主企画イベントである個展の場で、自分は夢のような光景を見ることができた。自分という人間が多くの他者に理解され、愛されているという実感を得ることができた。ドス黒い10代〜20代のかつての日々が報われた。どんなに暗い青春だって、今は輝いて見える。 それらは全て、愚直に"続けてきた"からこそ見ることの出来た景色だった。 遡れば10年以上前から、とにかく脇目も

      • アチチュードとしてのパンク

        パンクロックは自分にとっては単なるファッションや音楽のカテゴライズではなく、自分の社会的態度を位置付ける、一種のイデオロギーのような 概念、価値観である。  十代前半、自分の生き辛さから湧き出す対外的な憎悪感情は、切実なカウンター精神へと自然に繋がった。自己の外へ放たれる反骨精神は自分のコアであり、生き方そのものへの問題提起であり、人生の主題である。  パーソナルな問題意識の根源的要因は、実は社会に起因する場合が往々にして多いと感じる。社会に対する「自分事」を発端にした訴えは

        • あなたと話がしたい

          27clubを意識して生きてきた自分にとって、27歳を超えてもなお自分が生きているという事実は物事を考えるにあたってとても大きな契機である。 そして27歳を超えて今度は30歳になろうとしているのだから、自分の生きてきた軌跡を全て可視化して形として残さなければいけないと思った。 それが今回の個展をやるにあたっての大きな動機となった。 他のことが何も見えなくなるくらいには、自分を表現することにのめり込んで命を懸けてきた。16歳で活動を始めてから、一瞬も立ち止まることはなかった

        邂逅の先へ

          何もないこの地球に真赤な花が一輪咲いた

          最愛の人が天使になった。 親よりも歳上の人に、自分は本気で憧れて、本気で追い掛けて、本気で恋していた。自分の中にはいつでも櫻井敦司の存在があって、自分自信の人格を形成していた。 メイクも髪型もファッションも歌い方も全てを真似していた、少しでも近付きたくて、少しでも側に櫻井敦司という人の存在を感じていたくて。 人前に立つときは常に気高く美しくあるべきだということ、品の良さや美しさは性別や年齢を凌駕するということを教えてくれた。それは、ジェンダー感に強く支配されて閉塞しきっ

          何もないこの地球に真赤な花が一輪咲いた

          性善説と歪んだ自己愛が絡まると

          30を目前にし、自分という人間とその周囲をメタに俯瞰できるようになってきたと感じる。 今までは網膜に写る全ての景色が寄りの画角でトリミングされていたのに、ある時からそれが引きの画となって、自分と自分の周囲を少し遠くから眺められるようになった。 自分が生きてきた時間軸の中から、せっせと蓄えてきたインプットを反射的に引用して考察してみるような余裕さえ生まれている。 ここ最近生まれたある種の精神的余裕からくるものなのか、単に歳を重ねたからなのか、理由はよくわからないが、自分の視点

          性善説と歪んだ自己愛が絡まると

          27th clubに入り損ねた僕へ

          「DREAMY TRASH」というアルバムをリリースしてから昨日で一年。 十代の時から、例の「27th club」の27歳を通り過ぎたら何かが変わると思って密かに期待していた。でも何も変わらなかった。 そんなタイミングでこの音源を世に出せたことは自分の支えになっているし、これからも存在に助けられていくんだろう。 そして自分自身、この音源を通してメタ的な物事の見方をいくらか覚えたように思う。 「DREAMY TRASH」は間違いなく、自分の人生のキャッチコピーになった。

          27th clubに入り損ねた僕へ

          ぶっ生き返す 2023

          ここ半年くらい、ずっと調子が良い。 原因は自覚していて、ひとつはオーバーワークでしんどかった仕事を辞めて転職をしたことが大きいだろう。 体力的にも精神的にも、ぶっちゃければ経済的にも安定したことで、生活に余裕が生まれた。 それによってちゃんとデザインについて今一度考えたり、本を読む時間が出来た。 思考の見通しが良くなったんだと思う。 部屋を好きな家具や緑で飾ることで、自分の部屋で過ごすことが好きになった。 フルリモートワークなので朝起きたらゆっくり緑たちに水をやり、珈琲を淹

          ぶっ生き返す 2023

          Summer'23

          29歳になった。 毎年誕生日にこのnoteを書くという習慣は、多分25歳くらいから続けている。 恥ずかしいのでいちいち自分の過去の記事を読み返したりはしないが、それでも毎年誕生日記事は、毎度救いようのないくらい暗い内容だったことはなんとなく覚えている(だから読み返したくないのだ)。 20代最後の今年の自分の精神状態はというと、なぜだかとても清々しい。 そう、もう何も辛くない、悲しくない、怖くない。 今となっては、どんなネガティブな感情でも、凌駕してしまう何かがある。 何

          いつか別れが来るんなら、いっそ出会わなければよかった

          愛猫・ハチが星になった。 小5の夏休み明け、通学路で拾って来た雑種の猫だ。 片手にすっぽりと収まるくらいの大きさだったので、多分生まれて間も無かったと推測できる。 あれからおよそ18年、ハチは18歳を目前にしていた。 あの日11歳になりたてだった自分はというと、間も無く30歳を迎えようとしている。 そう考えると随分長い時間一緒にいてくれた。猫の平均年齢からすると立派な大往生なんじゃないか。 生後数日だったハチはおじいさんになり、小学生だった自分はもう言い訳の通用しないよ

          いつか別れが来るんなら、いっそ出会わなければよかった

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介⑤ミサちゃんのこと

          今回の演者の中では、ミサちゃんが最古のお付き合いだ。 自分は高3、ミサちゃんは高2の年の初夏。 お互いの地元である藤沢・太陽だぬ壮スタジオでとあるサーキットライブイベントがあって、ミサちゃんはそこに演者として、自分は客として居合わせており、その日がはじめましてだったことは間違いない。 ミサちゃんは当時ベーシストだったが、1曲だけメインボーカルとして歌っているのを小さなスタジオの中で聴いた。 それが忘れもしない、OasisのThe Importance of Being Id

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介⑤ミサちゃんのこと

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介④君島のこと

          君島とのファーストコンタクトは、2014年の5月、自分が通っていた多摩美術大学のキャンパス内で。 彼は多摩美生ではなかったが、多摩美生の友人の繋がりでキャンパスに遊びにきていた。 不思議なほどお互いほとんど人見知りせず、同い年ということもありすぐに友達になった。それでその日は別の友人の家で一緒に夜な夜なギターを弾いたり歌ったり、くだらない話をして盛り上がった。 適当な国の名前を言ったら、いかにもその国っぽいギターを奏でてくれた。それが妙に楽しくて何時間もそうやって遊んでい

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介④君島のこと

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介③kumagusuのこと

          kumagusuというバンド名は、いつがきっかけだったか思い出せないが、それくらいずっと前から気付いた頃には頭にインプットされていた。 あるとき(もう6〜7年は前だと思う)、当時自分がやっていた白熊ピカソズというバンドで対バンをし、目眩がしてくるほどに惚れ込んでしまった。 艶っぽくて色っぽい。どこかこう落ち着いたような大人の佇まいがあるけど、油断すればナイフでグサッと心臓を刺されてしまう。 特にYさんの歌声、山崎さんのギターの妖麗さには脳みそをグラグラと揺さぶられた。ま

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介③kumagusuのこと

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介②片岡さんのこと

          8年前、自分は地元湘南で白熊ピカソズというバンドをやり始めた頃で、活動に本腰を入れるべく都内進出の第一歩として、2014年9月に新宿JAMでライブを行った。 片岡さんと出会ったのはまさにその、自分にとって記念すべき都内デビューの日。片岡さんは弾き語りで出演していた。 初めて片岡さんの演奏を聴いた時、グラフィックデザインでいうところの、「間」とか「余白」みたいなものを感じた(片岡さんと自分はデザイナーでもあるので敢えてこういう喩えをしてみる)。 それら余白には意味があって

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介②片岡さんのこと

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介①あじまさんのこと

          あじまさんと初めて会った頃(6〜7年前)、自分は女子4人で白熊ピカソズというバンドをやっていた。 所謂「ガールズバンド(と呼ぶのも辟易するが)」であることのコンプレックス、言ってしまえば「ガールズバンドと呼ばれる生きづらさ」みたいなものを毎日抱えながら生きていた。 メンバーが全員女子というだけで、良くも悪くもバイアスを掛けられる。 ボーイズバンドとは言わないくせにガールズバンドという呼称が存在することにさえモヤモヤしたし、極め付けはお客からの「女なのにパンクやってるのすごい

          4/15「夜と朝のあいだに」演者紹介①あじまさんのこと

          I wish you were here

          自分も他人も全員、もれなくいつか死ぬ。 と考えれば虚無恬淡ゆえ生き恥晒すことに何の抵抗もない。 その一点でこの一年は兎にも角にも、対外的な雑念は全て排斥し、とことんミクロに自分の内面へ没入することで、アウトプットに精を出した。 ◆ Music video 「時代」 Video Direction : Mana Hiraki 平木と自分の美意識たるものが、苦労せずとも自ずと噛み合ったことに鳥肌が立った。その点平木にはある種のシンパシーを感じている。 ◆ Music vi

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